2-4 魂の通り道(1)
『ねぇ、秋次郎さん、ゼロ戦見たくない?』
高校が長期夏季休業に入って数日が過ぎたとある朝、やにわに二瀬が電話をよこした。
いつも以上に意気揚々として、いまにも駆け出さんばかりの勢いだ。
『今日、時間ある? よかったら、いつか言った資料館、今日一緒に行こうよ』
「ああ、いつかそのようなことを言っていたな。本物の零戦が見られるのか?」
戦中、一万余機も製造された零式艦上戦闘機、いわゆる零戦は、戦後の占領軍による武装解除によって、その大多数が失われたと聞いた。
現在、実際に飛行できる零戦は世界に数機あるが、当時の発動機で飛行できる本物の零戦は、米国が所有している一機のみだそうだ。
一万余機も製造されたというのに、本物は一機しか残っていないとは。
二瀬から、『零』を英語の『ゼロ』と読み替えた『ゼロ戦』という呼び名は、敵性言語であるから当時は使われていなかったのではないかと問われたが、実のところ、海軍でも巷でも、『ゼロ戦』という呼び名は日常的に使っていた。
陸軍は小難しく、様々な用語を英語から難解な日本語にわざわざ改めていたようだが、海軍はそのあたりは寛容で、開戦以前とそう大差なく普通に横文字を口にしていた。
第一、艦船や飛行機に関する用語は日本語に訳せないものが多く、敵性言語などと小さなことを言っていては戦争はできない。そのあたりの実質に重きを置くスマートさは、やはり陸軍より海軍のほうがはるかに勝っていた。
しかしながら、私自身は、『ゼロせん』より、『れいせん』という呼び名のほうが好きだ。
濁音の入った『ゼロ』という響きは勇ましさを感じはするが、私にはなんとなくザラっとした粉っぽいものを連想させる。だから、どちらかというと滑らかで洗練された感のある、『れいせん』という響きのほうが気に入っていた。
『僕のお父さんがね、今日なら連れてってあげられるって言うんだ。最近、僕が日本海軍のことについて調べているの話してたから、時間を作ってくれたみたい』
「そうか。しかし、せっかくお父上が親子水入らずで行こうとしているところ、私が行ったら邪魔ではないのか?」
『そんなこと気にしなくていいよ。柏森さんも誘おう。僕、電話しとく』
「分かった。お父上に宜しく」
出発は正午過ぎだった。
「悠真くんっ、お待たせ!」
「やぁ、初めまして。遥からいつも話は聞いているよ」
二瀬を乗せて、我が家に自動車で迎えに来てくれた二瀬の父親は、海軍の純白の第二種軍装を着せたらさぞかし見栄えがするであろう、貴顕紳士を地でいく長身男性であった。
聞けば、大学教授とのことだ。
物理学の修士であり、時間や空間などを数理的解釈で理解するための学問を研究しているらしい。なるほど、この父上の影響で二瀬がその道に明るいわけだ。
「ずいぶんと古風な喋り方をすると聞いていたけど、そうでもないね」
「はい。遥くんにご指導を頂きまして、最近は現代的な言葉で会話ができるようになってきました」
「ははは、キミは面白いな」
助手席の二瀬は、肩を震わせてくっくと笑いを堪えたあと、振り返って後席の私に眉尻を下げた苦笑いを見せた。
「柏森さん、来られなくて残念だったね」
「ああ、私にも電話をよこしてな。えらい剣幕だった。昨日も明日も予定無しであるのに、本日に限って蹴球部の公式試合があって、どうしても手が足りないから来て欲しいと頼まれたらしくてな。なぜ今日なのかと」
「ああー、なんか申し訳ないな。お父さんの都合で、どうしても今日じゃないとダメだったから」
空は快晴だ。
その目が覚めるような青空の下を、自動車に揺られること一時間半あまり。
目当ての資料館は、私たちが住んでいる市街とはずいぶんと趣きが異なる田舎町にあった。
「ほう、もしやここは、陸軍の飛行場だった場所ではないか?」
地名に聞き覚えがあった。
その膨らんだ餅のような銀色の建物はなかなか愛嬌があり、良く晴れた空の下、夏の日差しを受けて鋭い光沢を放っていた。内部は意外に広く、餅全体がひとつの大きな空間となっていて、まるで巨大な掩体壕の中に居るようだ。
天井には、米軍の最新鋭爆撃機B-29の巨大さを輪郭で表した展示があり、周囲の壁には処狭しと当時の飛行場の様子や、特攻隊員に関する資料が展示されていた。
「秋次郎さん、あっちにゼロ戦があるみたい」
父親に聞かれぬよう、小声で私の名を呼んだ二瀬に続いて中央の資料室脇を奥へ進むと、突然、その懐かしき姿が眼前に現れた。
清潔感のある床の上で、少し所在なさげにしているその機体。
零式艦上戦闘機。
つい放心して、その雄姿に見入る。
機体の濃緑色は本物よりやや明るいようにも感じるが、それはおそらく室内の照明のせいだろう。
胴体と翼に書かれた日の丸も、惚れ惚れするほど美しい。
しかし、この太い白線で縁取られた日の丸は、実は前線ではずいぶんと嫌われた。
日章旗同様、白地に赤は実に清廉潔白で見栄え良いのだが、この白線はかなり遠くからも視認でき、敵機に発見されやすくしてしまう。
兵によっては、せっかく美しく描かれたこの白線を、地と同じ緑で塗りつぶしてしまう者も居たほどだ。
この展示零戦は、『三二型』であった。
なぜか、ずいぶんと小さく感じる。
つい数か月前、実際に搭乗していた時は、もっと大きく頼もしく感じていたというのに。
「思ってたより大きいな」
私の思いとは真逆の感想をぼそりと口にしたのは、すっと私の隣に立った二瀬の父親であった。
全長は一〇メートル、翼の幅は十一メートル。
前身の九六式艦上戦闘機と比較すると、ひと回り大きい。
私が初めて零戦を目にしたのは、海軍に志願して三年目であった。
初めて引込み脚を付けた新進気鋭の艦上戦闘機として、鳴り物入りで颯爽と登場したその大きな機体に胸が躍った。
昭和十五年、神武天皇即位来の年歴である『皇紀』でちょうど二六〇〇年となるその年、制式となった皇紀年の下二桁を取って機名と為す習わしに則り、この新鋭艦上戦闘機は『零式』と名付けられた。
機名のあとに続く『三二』は型式だ。
これは海軍機の共通の型式表示で、最初の一桁が機体形状、二桁目が発動機形式を表す。
すなわち、この展示されている『三二型』は、三番目に採用された機体形状に、二番目に採用された発動機を載せたものということだ。
この三番目の機体形状は、よく知られている翼の端が丸みを帯びたものと異なり、ばっさりと鋸で切り落としたように角ばっていて、非常に生産数が少ない。
そして、ときに我々を泣かせたのが、この戦中ずっと一線で現役を張った発動機だ。
この発動機は、『榮二一型』という、非常に軽量軽快な発動機であったが、いかんせん馬力が小さいため、米国が高馬力の戦闘機を次々に造り出してくるようになると、なかなか対等に空中戦を展開できないようになっていった。
「秋次郎さんは、このゼロ戦に乗ったことあるの?」
「いや、私はこの型では飛んだことがない。零戦で一番長く飛んだのは二一型だな。最後に謎の雲に飲み込まれたときに飛んでいたのも、練習指導用に改修された古い二一型だった」
「そうなんだ」
展示されていた零戦のすぐ横には、操縦席の近くまで登れる階段が設けられていて、誰でも直近で内部を見られるようになっていた。
見ると、計器は抜け落ち、計器板の至る所にひび割れや穴があった。
修復された外見の美しさに比べると少し残念な気もするが、永年に亘りジャングルの奥地で眠っていた機体を引き揚げて修復した経緯からすれば、これは致し方ないだろう。
昨年、何度かブインからラバウルへの物品輸送任務に就いたが、そのときそこで内地から送られてきたばかりの新品の零戦五二型を見た。
華々しい戦いを繰り広げる彼らと違い、我々の隊は残り者を寄せ集めて作られた消耗部隊であったため、当然に最新鋭の新型機が配備されることはなく、その新品の機体を見たときは本当に惚れ惚れとした。
たまたま同期が居り、操縦席に座ってよいというので、年甲斐もなくわくわくとしつつ、そのつやつやの計器の前に腰を下ろしたのが鮮明に思い出される。
「秋次郎さん、あっちに特攻隊の資料があるよ」
実に愛らしい仕草で、二瀬が背後を指さす。
見ると、海底から引き揚げられたという陸軍の九七式戦闘機が展示されており、そのすぐ横に特攻隊員が認めた遺書や遺品が展示されていた。
この飛行場で操縦を会得した多くの若き飛行兵たちが、ここから鹿児島の特攻基地へと次々に送られたらしい。
眺めれば眺めるほど、胸が締めつけられる。
私の教え子たちも、この若者たちと同じように次々と南の空で散華していったのだろう。
私は熱くなる目頭を押さえて、小さく手を合わせた。