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2-3 想い人の名は(3)

 放課になっても、初夏の空はまだ蒼々としていた。

 もう夕刻だというのに、柔らかな陽光は沿道の小枝に茂る濃緑を鮮やかに照らし出し、無味な街並みに豊かな彩りを加えている。

 今日も、いつもと同じように結衣さんと並んで校門を出た。

 二瀬は塾だそうだ。感心して、秀才もそうして誰かに習うのだなと言ったら、「努力によって結果が残せているだけで自分は秀才ではない」と言って、頬を赤らめて謙遜していた。

 坂下の停留所。

 この世界のバスにも、もう慣れた。

 セルロイドでできた札の中に現在の持ち金を覚えておく装置が入っていて、その札から電波で運賃を引き落としているという仕組みも、なんとなく理解できるようになった。

「秋次郎さん、ちょっと買いたいものがあるの。帰りに寄り道するね?」

 いつもなら、モノレール沿いを下るバスへと乗り換える巨大駅。

 今日は、結衣さんの希望で乗り換えを遅らせて、駅の店屋へ道草だ。巨大駅の中は、家路を急ぐ者が多いのか、どこも速足の歩みが目立っている。

「あの……、ちょっと聞いていい? 秋次郎さんの幼馴染みって……、どんな人?」

「え?」

 昼からずっと調子が悪そうにしていた結衣さんが、動く階段に乗ったところで私を見上げながら口を開いた。

 やはり少々、力ないように見受けられる。

「そう言えば、詳しくは話していませんでしたね。私の幼馴染みは、『志保』といいます。私のふたつ年下で、ちょうど結衣さんと悠真くんのように、小さいときから家がすぐ隣で」

「付き合ったりしてなかったの?」

「付き合う? 男女交際のことですか? 現在の男女交際とは少々違うかもしれませんが、私自身は、『身を固めるならば志保と』と、ずっとそう思っていました。志保もそう思ってくれていたようです」

「ふうん。じゃ、その思いを果たせないまま、こっちへ来ちゃったんだね。もしかして、もう結婚まで近かった? 志保さん、かわいそう」 

「いや、そんな話は――」

 そう言いかけたとき、ちょうど上階へと着き、足が動く階段の端に引っ掛かった。だいぶこの世界には慣れたが、この動く階段だけはどうも苦手だ。

 よろけた足を何事もなかったかのように踏み出し、ちょっと咳払いをする。

「んんっ、いや、それはまだずっと先の話でした。実は、海軍に志願して三年目、昭和十五年でしたか、私が二〇はたち、志保が十八歳のとき、志保から結婚を申し込まれましてね」

「志保さんのほうから?」

「はい。当時は、結婚というのは親が決めるものだったのですが、志保は、『日本は本気でアメリカと戦争をやるらしい』という話をどこかで耳にしたらしく、どうしてもその前に私と結婚したいと言い出しまして」

 辿り着いた階は、玩具や模型などを扱う店が軒を連ねていた。

 やや俯いた結衣さんが、じわりと私を追い越す。

「でも……、断ったんだ」

「はい。戦争が終わって、私が生き残っていたら一緒になってくれと頼みました。まずは戦って、護るべきものを護ったあとでなければ、駄目だと思ったのです」

「そっか。戦って護るって、覚悟をしてたんだ」

「そんなに格好いいものじゃありませんけどね。志保はとても気立ての良い女でした。私の女房にはもったいない。温和で思いやりがあって、家事もすべてにおいてそつなく、両親自慢の娘でした」

 そう私が言葉を切ったところで、先を行く結衣さんが突然立ち止まった。

 そしてゆらりと振り返り、眉尻を下げて首を傾ける。

「どうしました?」

「あの……、いまも志保さんのこと好き?」

 年頃の女学生らしく、結衣さんもこういう話に興味があるのだろうか。しかし、私自身は、いままでそんなことを真剣に考えたことはない。

「そう……ですね。現代の人は、そういう言葉を易々《やすやす》と口にできるので羨ましいです。現代を知っていま思えば、もっと素直に、自分の想いを言葉にして伝えてやれば良かったかと思います」

「ふうん」

 なにやらつまらなそうに、そう小さく返した結衣さん。

 あまり面白味のある話でもなし、その反応は当然だろうと少々苦笑いが出た。

「あ、ここだ。秋次郎さん、ちょっと待っててくれる?」

「え? は、はい」

 突然、結衣さんが店へと駆け込む。

 ちょうどそこが目当ての店だったらしく、私に店の前で待つように言い付けて、結衣さんは店の奥へと行ってしまった。

 ぷつんと糸が切れたように会話が終わり、所在なくそこに立ち尽くす。

 見ると、周りはなんとも賑やか。

 色とりどりの玩具たちが処狭しと並び、私を買い求めてくれと店先を通る客にせっせと音や光で売り込みをしている。

 別の棚には、外国製の拳銃が置かれていた。私の時代では、警察署の許可があれば誰でも銃を持てたが、この現代では猟に使う以外は持つことが禁じられているらしい。

 よって、あれは模型だろう。それにしてもよくできている。

 さらに、戦艦や戦闘機のほか、なにやら宇宙を飛ぶ赤や緑の鎧人形の絵が描かれた箱も大量に並べられていたが、開けてみると模型は入っておらず、代わりにセルロイドのようなものでできた部品群が重ねて入れられていた。

 どうやら、これらを自分で組み立てて絵柄の模型を完成させるもののようだ。

 そうして賑やかな玩具屋を眺めていると、脇からひょいと愛らしい顔が覗いた。

「秋次郎さん、お待たせ」

 満面の笑みの結衣さんは、小さな紙袋を手に提げている。

「目当ての品はありましたか?」

「うん! さ、帰ろ」


 巨大駅の吹き抜けは、今日も行き交う人々で賑わっていた。

 見上げると、モノレールの列車が天井すれすれにすっぽりはまって停車している。

 先ほどから、かすかに楽団の演奏が聞こえていたが、そのわけがここまで下りてきてようやく分かった。

 改札の前、ちょうど吹抜け広場の真ん中あたりで、吹奏楽団の演奏会が行われている。

 格好からして、どうやら我が校の学生のようだ。

 結衣さんが足を止めた。

「秋次郎さん、ちょっと聴いていってもいい?」

「どうぞ」 

 ニコリとした結衣さんの背中を追って、私も人垣の一部となった。

 (あで)やかな演奏がちょうど途切れる。

 見ると、いままで演奏していた楽団員たちが楽器と椅子を持って捌け、そこに新たに四脚の椅子が並べられた。

 改札を背に、司会を務める女学生がマイクロフォンに口を開く。

「次は、昨年のアンサンブルコンテストで金賞を受賞しました、サックスパート四人によるサックスアンサンブルです」

 その紹介を受けて人垣の向こうから登場したのは、大小のサクソフォーンを抱えた四人の女学生たち。

 いわゆるサクソフォーンカルテットだ。

 皆、制服の上に、揃いで(あつら)えた象牙色の背広を着ている。

 結衣さんが彼女らに向けて手を振ると、それに気が付いたカルテットのひとりが軽く手を振り返した。 

 そして各々(おのおの)が椅子に腰掛け、楽器の調整を始めると、さらに司会の声が響いた。

「演奏する曲は、ドラマやCMで有名な、『彼方の光』です」

 実は、私は吹奏楽になど全く興味はない。

 海兵団卒業の折、鎮守府司令長官視閲で一度だけ軍楽隊が演奏していたのを見たことがあるが、私は興味がないどころか、その軍楽隊を見て兵隊が楽器なぞ鳴らしておって戦争に勝てるのかと、少々腹立たしく思ったくらいだ。

「それではサックス四重奏、『彼方の光』、ごゆっくりお聴きください」

 (うやうや)しく上げられた司会の手が下ろされると、一瞬の静寂が広場を支配した。

 四人が互いに目で合図して、一斉にふわりと体を揺らす。

 木管の柔らかな響きが、ゆっくりと、そしておごそかに流れ出した。

 しなやかに紡ぎ出される旋律。

 それが無味な空間であった改札前の広場を満たし、この世のものとは思えないほどの豊かな河流となって私を包み込んだ。

 肩が軽くなる。

 背中にじわりと広がった温かな感覚。

 訪れたのは、まるで母親に抱きしめられているかのごとき安らかさ。

 私は陶酔した。 

 いつの間にか我を忘れて、その清らかなる旋律に陶酔したのだ。

 四人の女学生が奏でるサクソフォーンの音色が、得も言われぬ優しさで心を満たしていく。

 ふと、誰かに名前を呼ばれた気がした。

 突然、頬に走る雫を感じる。

 なぜだろう。

 楽団の演奏なぞで感動するなど、いままで一度もなかったというのに。

 思わず、天を仰いだ。

 それでも雫は走ることをやめない。

 見上げた、広場の天井。

 そこには巨大な円形の明り取りがあり、白い天幕が張られていた。

 そして、その天幕から溢れた天の光が、荘厳な筋となって私に降り注いでいる。

 まるで、大聖堂の(てん)(がい)のよう。

 ああ、これはあの光だ

 私をここへと連れて来た、あの眩い光。

 ふと、志保の顔が浮かぶ。

 志保は、幸せになってくれただろうか。 

 そう心の中で呟くと、私を包む光の筋がゆっくりと収束した。

 光の廻廊。

 その中心を清らかな旋律が昇ってゆく。

 志保よ、戦友たちよ、いずれ私もそこへ行く。

 この曲の題名のごとく、遥か彼方の光を追って、清き空へと舞い上がるのだ。

 そして、魂がどころとする、生命の源へと帰ってゆくのだ。

 皆、待っていてくれ。

 きっと私はいま、道に迷っている。そこへ行く途中で。

「秋次郎……さん?」

 ハッと我に返ると、結衣さんが柔和な笑顔で私を見上げていた。

「すみません、なぜか急に」

「ううん。いい曲だよね。何か思い出してた?」 

 そう言って結衣さんはハンケチを取り出すと、そっと私の頬へと当てた。

 花のような甘い香りがゆらりとする。

「この曲には歌詞があるの。私がどんなに遠くへ行っても、あなたは私を呼んでくれて高いところへ導いてくれる、って感じの」

「賛美歌なのですか?」

「あたしには、神様をたたえるというより、先に逝ってしまった愛する人にもう一度会いに行く歌に聞こえるけどね」

 そう言って結衣さんはハンケチをしまいながら、少し目を伏せて言葉を続けた。

「志保さんに、いつかまた会えたらいいね」

 広場に響き渡る、観衆たちの割れんばかりの拍手。

 私もその拍手に加わる。

 すると、結衣さんが拍手の手を止めて、先ほど玩具屋で受け取った手提げ袋をそっと胸に抱き寄せた。

「やっぱり……、いま渡そうかな。恥ずかしいから、別れる寸前に渡そうと思ってたんだけど」

 独り言のように、そう言った結衣さん。

 そしてほんの少しの間があって、結衣さんが私を見上げながら胸の紙袋をゆっくりと差し出した。

「秋次郎さん、これ、ちょっと遅くなったけど、誕生日プレゼントね」

 突然のことに、少々茫然とする。

「え? 先月、皆さんで祝って頂いたときに菓子をもらったではありませんか」

「うん、あれは悠くんのぶんね。今日はちゃんと、秋次郎さんのためのプレゼントだから」

 紙袋には、ビロード風の紺色の布が貼られた小箱が入っていた。

 小箱を手に取り、飾り紐を解いてそっと開ける。

 するとそこにあったのは、実に美しい金色の金属札。

 札の中央には、我が大日本帝國海軍の記章が彫りこまれていた。

「これ、キーホルダーね。裏も見て」

 やや放心としつつおもむろにそれを裏返すと、そこに彫られていたのは、『AKIJIRO』の文字。

「結衣さん……」

「この世界では、秋次郎さんの本当の名前が書かれたものがひとつも無いから。よかったら持ってて」

 思わず、また上を向いた。

 広場では、次の演奏が始まっている。

 先ほどまで煌々と降り注いでいた天蓋の光はやや穏やかになっていて、広場の隅々まで柔らかく拡散していた。

「さ、帰ろっか」

 そう言って、愛らしい笑顔で首を傾けた結衣さんがゆっくりと向けた背を追って、私も小さく足を踏み出した。

 そして私は、「ありがとう」と、その背に声にならない声を投げたのだった。  


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