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2-3 想い人の名は(2)

「おい、その手を離せ」

「あー? だいたい、女に弁当作らせて教室で食うとか、見せつけてんじゃねぇよ。よそ行って食え」

「要らぬ世話だ」

 私はおもむろに結衣さんとの間に割り込み、弁当袋に掛けている腰巾着の手首をがしりと掴んだ。

 鋭い眼光を向け、じわりと力を入れる。

「離せと言っている」

「痛ててて!」

 結衣さんがハッとして私を見た。

 分かっている。怪我はさせん。

「おいっ、横田! お前、赤坂のときみたいに俺をぶっ飛ばすつもりか? 俺の母さん、PTA副会長だからな? どうなるか分かってるだろうな?」

 ピーなんとかとはなんだ。

 言い方からすれば父母会のことだろうが、それならばなおのこと、こやつは赤坂を凌駕する出来損ないだ。 

「そうか。なら、お前はそのご立派な役職に就いている母親を笠に着た上、その顔に泥を塗って恥をかかせて回っているわけだな」

「は? なんて言ったんだ? 意味分からん」

「子は親を映す鏡だ。お前が愚行を為すことは、そのまま我が親は馬鹿だと周囲に宣伝しているようなものだ。その程度のことも分からないのか?」

「ぐこう?」 

 ポカンと口を開ける腰巾着。

 すると結衣さんが、腰巾着の手首を掴んでいる私の腕をじわりと引き寄せる。

「悠くん、あの……」

 私は結衣さんをかばうようにその前に立ち、そして少しだけ後ろを向いて、諭すような声音で申し向けた。

「女は黙っていろ」

 ハッと顔を上げた結衣さん。

 一瞬、その愛らしい瞳を大きく見開き、それから急に佇まいを正して、結衣さんはその瞳をゆっくりと足元へ向けた。

「は……、はい」

 至極素直な返事が、ぽつりと背後で聞こえる。

 私は、改めて腰巾着へと眼光を放った。

「貴様、恥ずかしくはないのか? 相手は女だ。女相手にそのような幼稚な嫌がらせをして、男としての(きょう)()はないのかっ」

「きょうじ? お前、さっきからなに言ってんの? だいたい、相手が女だったらなんだっていうんだよ。女だって嫌がらせしてくるじゃん」

 話にならん。

 私は掴んでいた手にむんずと力を入れ、そのまま腰巾着の手を弁当袋からじわりと引き離した。

「痛ててて! なにすんだよっ!」

「お前が女から嫌がらせを受けているのであれば、それはお前が浅慮で、男のくせに女を護ろうとしない安い男だからだ」

 突然すうっと学級内の喧騒が静まり、級友たちが我々のほうを注視し始める。

「は? 意味分かんね。何で男ばっか守らなきゃなんないんだよ。日本は男女平等だろうが」

「男と女が全てにおいて平等になることは、絶対に有り得ない」

「ははっ! お前、男尊女卑か!」

 私の腕に掛けている結衣さんの手に、じわりと力がこもったのが分かった。

 周囲はしんと静まり、級友らはただ(かん)(もく)して立ち尽くしている。

 私は構わず続けた。

「いいか? 男と女は、生まれながらにして心も体も造りが違う。だからこそ、互いにそれぞれの性分で精いっぱい相手を思いやるのだ。それが男と女というものだ」

「……は?」

「男は己に尽くす女を護り、女は己を愛しみ護る男に尽くす。それが在るべき姿だ。お前は護らないから尽くされないのだ」

「え? ええ? お前、頭大丈夫か?」

 腰巾着がやや顔を歪めて、一歩退いた。

「秋次郎さん……」

 結衣さんが小さく呟いて、じわりと私の腕を抱く。

 私は、その手にそっと手を重ねた。

「男は、己のことを真に思い尽くす女を、あらん限りの力で精いっぱいに護るのだ。軍人は、そのために命を懸けて戦地へ行く」

 腰巾着は、大きな口を開けてポカンとしている。

 結衣さんはそっと私の腕に頬を寄せて、そのまま黙っていた。

 水を打ったように、しんとする学級。

 するとどうしたことか、突然、学級の後方でパチパチと拍手が聞こえた。

 思わず目をやる。

「いいじゃん、横田くん!」

 声を張り上げたのは、ひとりの女学生。

 さらに、数人がこれに続いた。

「かっこいい!」

「男はこれくらいなくちゃ!」

 あれよあれよと次々に女学生たちが賛同の意を口にし、やがて賞賛の拍手の嵐が学級中に巻き起こった。

 呆気にとられる。

 結衣さんは、未だに私の腕にしがみ付いている。

 その割れんばかりの拍手に気圧されたのか、腰巾着はのけ反ってきょろきょろと周りを見回した。

「え? 何だよ。俺が悪いみたいじゃん」

 すぐ近くに居た女学生たちが、これに応酬する。

「は! こいつ、悪くないと思ってたんだ。どんだけ低脳なのよ! ウケる!」

「ほんっと! ガキだわ、ガキ」

 泳いだ目を下に向けた腰巾着。

 さっきまでの威勢の良さはどこへやら、急に猫背になった腰巾着はポケットに手を突っ込みながら唇を尖らせた。

「いや、俺はただ、リューキチ先輩が……、あ」

 なにやら、本件の首謀者と思しき名を口にしたあと、腰巾着は「しまった」という顔をして動きを止めた。

 はやしていた女学生も動きを止めている。

 私は一歩踏み出し、語気を強めた。

「ほう、またその名が出たな。貴様は――」 

「いいい、いや、なんの話だっ? 俺はただ、えっと……、ちょ、ちょっとトイレ」 

 そう言うと、腰巾着はいよいよ留まりなく目を泳がせながら、まるで脱兎のごとくその場を去った。

 一瞬の静寂。

 そしてドドッと爆笑が起きて、それからすぐに談笑が飛び交う和やかな学級へと戻った。

「結衣さん、大丈夫ですか? さ、結衣さんが作ってくれた弁当、頂いてもいいでしょうか」

「えっと、あの、その……、はい」

 少々怖がらせてしまったかもしれないが、あれが私ができる精いっぱいの、『現代の世にならった護り方』だ。

 サッと私の腕から離れた結衣さんは、先ほどの私の語気が毒気となったのか、顔を赤らめて目を泳がせている。

 気分が悪いのだろうか。

 すると、視線の先で二瀬が大きく手を挙げた。

「悠真くん、柏森さん、一緒に食べよっ?」

「ああ、二瀬、待たせてしまって悪かったな」

 そう言いつつゆっくりと自席のほうへ近づくと、二瀬がニコニコと笑いながら椅子を引いて、「ここに座れ」と結衣さんに促した。

 しかし結衣さんは腰掛けず、弁当を胸に抱いたままそこに立ち尽くしている。

 いよいよ心配になる。

「どうしました? 私のせいで具合を悪くしてしまいましたね。申し訳ありません」

「え? ううん。そんなことないよ?」

 すると二瀬が、なんとも得意気な顔になって、鼻を鳴らして結衣さんの顔を覗き見上げた。

「あ、そっか。秋次郎さん、かっこよかったもんね」

「え? あの、その……、うん」

 どういうやり取りなのか意味が分からんが、二瀬はそれからケラケラと笑って結衣さんを椅子へと促し、一番大きなパンの袋をバリリと破った。

 何事もなかったかのように、いつもの喧騒を取り戻した学級。

 結衣さんが拵えた弁当は、今日もなかなかに旨い。

 しかし、三人で昼餉を食す間、なぜか結衣さんはずっと俯いて、言いたいことを言い出せずに困っている子どものような顔をしていたのだった。


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