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2-3 想い人の名は(1)

「サッカー、面白かった? 僕、驚いちゃった。秋次郎さん、すごく上手いんだもん」

 四時限目の運動は、蹴球であった。

 運動場の端で、鬼瓦のような体育教師が解散を告げると、すぐさま駆け寄ってきた二瀬が笑顔とともに昼を誘う。

「あー、お腹すいちゃった。秋次郎さん、今日、何食べる?」

 例の諍い以来、先週はずっと食堂で二瀬と昼餉をとった。当然、今日も同じくと思っての二瀬の問いであったが、私は小さく手刀を切る。

「それが、結衣さんがどうしても今週からはまた弁当を作ると聞かなくてな」

「あはは、そうなんだ。じゃ、僕、売店でパンでも買ってくるよ。それにしても、秋次郎さん、ずいぶん名プレーを連発してたけど、もしかして昭和の世界でもサッカーやってたの?」

「いや……」

 今日の運動では、なんとも不思議な体験をした。

 いまここでこうしていること自体が奇妙奇天烈の極みであるのだから、少々の不思議はそう大したことはないはずなのだが、それにしても至極珍妙。

 蹴球は、尋常小学校の授業で真似ごと程度にやったことがある。

 当時はまだ米国との戦争は始まっておらず、敵性競技などと問題にはされていなかったため、どこの尋常科でも野球や蹴球といった競技を授業で行っていた。

 しかし私は、野球ならばそれなりに格好をつけられたが、こと蹴球については、思うように球を扱えず、無様を晒して級友らの笑いものになったほどの才の無さだ。

 その私が、今日はどうしたことか。

 容易に奪えた球。軽快な球運び。そして、最後は思うがままに、網へと蹴り入れて得点に貢献することができた。それも、何度もだ。

 これは、私の動きではない。

 やはり、この体は彼なのだ。

 体は私の意識を超えて、明確に横田悠真を記憶している。

 もしや、私が意識を乗っ取っているだけで、本物の横田悠真の意識はまだこの体の中にあるのではないか。

「……じろうさん、秋次郎さん?」

「え?」

「どうしたの? なにか考えごと?」

 我に返ると、二瀬が実に愛らしい笑顔で私を覗き見上げていた。

「いや、なんでもない。それでは済まんが、私は今日から再び結衣さんの弁当だ」

「分かった。僕も一緒にいい?」

「いいとも」

  

 学級へと帰り、私がちょうど運動着から制服へと着替え終わったとき、パンの(たぐい)で大きく膨れた袋を片手に、二瀬が満面の笑みで私の席へとやってきた。

 未だ運動着のままだ。どうやら、着替えるより先に売店へと行ったらしい。

 見ると、袋と反対の手に、頁を差し込んで使う固い表紙の帳面を抱えている。

「間に合った。柏森さん、まだだね。ところで秋次郎さん、これ、ちょっと見てくれる?」

 私の隣の机に袋を放り投げた二瀬が、その空席に腰掛けつつ、抱えていた帳面を開いて見せた。

 しとやかな字。

 どうやら、自身で書き付けた帳面らしい。

「インターネットや市販の本なんかでいろいろ調べたんだけど、確かに、『川島秋次郎』という名前の海軍軍人さんの名前は、いくつかの資料に出てくるね」

「そうか。私はいつどこで死んだのだ」 

「いや、それが、特攻隊とか戦没者名簿とかもいろいろ見てみたんだけど、正確な日付や場所が載っているものはなかったんだ。もうこのへんが限界かも。あとは、海上自衛隊で保管されている旧海軍の資料を見ないと難しいみたい」

 二瀬は、はらりと頁をめくり、そこで突然ハッとして、帳面に張り付けた書籍の複写を手で覆い隠した。

「ん? どうしたのだ」

「いや、これはあんまり見ないほうがいいかも。これ、戦死者名簿のコピーだから」

「どうせ私の名があるのだろう? 別に落胆したりはせん」

「そ、そう? それならいいけど」

 どうやらそれは、公立図書館にあった書籍の写しらしく、そこには戦友たちの名がずらりと並べ記されていた。

 そして、二瀬が付けた小さな印と共にそこにあったのは、懐かしい名前たちに混じって整然としている、私の名。

『川島秋次郎 飛行兵曹長 福岡県小倉市』

 確かに、私の名だ。

 階級が、『飛行兵曹長』となっている。

 『飛行兵曹長』は、いまの私の『上等飛行兵曹』のひとつ上の階級だ。

 戦死すると、海軍の人事担当者から、その者の地元の首長宛てに『戦死通知』が送られる。

 そしてほとんどの場合、その中に『戦功ニヨリ特ニ進級』などと書き添えられ、階級名を付して、戦死により特進した旨が記されていた。

 それからすれば、私は間違いなく『戦死』している。

 他に記された名は知らぬものも多いが、ちらほらと、最後の最後に岩国で共に誓いを立てた戦友たちの名も見ることができた。

 岩国での教育隊再開隊の折、我々()()れに与えられた任務は、一命を以って本土防衛に資さんと名乗りを上げた若き志願兵たちを、すぐにでも前線の空で戦えるようにすることだった。

 しかし、その勇ましき姿に胸を熱くしたのも束の間、着任後数日もしないうちに、その兵たちの本当の任務が、『一機一艦撃沈』、すなわち、飛行機で敵艦に体当たりすることなのだと悟った。

 一瞬当惑したものの、それはすぐに武者震いへと変わって一気に体が熱くなり、「よし、やってやるぞ」と、血が体の隅々まで濁流のごとく駆け巡ったのを覚えている。

「ごめんね? 秋次郎さん。結局分かったのは、『おそらく戦死しただろう』ってことだけ。せめて亡くなった日だけでも分かればって思ったんだけど」

「いや、気にするな。そうだな、もしかすれば正式な戦死扱いではなく、あの光る雲の一件で『行方不明』とされたままだったのかもしれん」

「うーん、その光る雲もね、異常気象の一種なのかとも思っていろいろ調べたんだけど、これも全く記録がなくて……。昭和二〇年四月七日の九州は全般的に曇りで、一日中どんよりとした天気だったみたい」

 二瀬が苦笑いで眉尻を下げる。

 男にしておくのがもったいない、女であればさぞかし気配りの利いた良い女房になったであろうと、二瀬の淡い微笑みを見て、そう思った。

「あ、そうだ。四月七日といえば……、秋次郎さんはその日にこっちへ来ちゃったからたぶん知らないよね。その日は、戦艦大和が沈んだ日で有名なんだ。秋次郎さん、大和、知ってる?」

 大和か。

 大東亜戦争が始まってすぐ、我が帝國海軍の象徴たる、とてつもない不沈艦が就役したと聞いた。

 その艦名が、『大和』ということはもう少しあとで知ったが、聞こえてくる噂は、象徴たる(くろがね)の城には相応しくないものばかり。

 どでかいばかりで役に立たんとか、お偉いさんを乗せて逃げ回っているだとか。

 ついには、『大和ホテル』などと揶揄する者まで現れた始末。

「知ってるとも。私は実物はお目に掛かったことは無いが。そうか、同じ日か。武蔵と同じく、大和も沈んだのだな」

「戦艦大和の最期は、たくさん映画にもなっているよ? 今度、DVDを一緒に――」

 帳面をしまいながら二瀬がそう言いかけた瞬間、突然、前のほうで大きな声が聞こえた。

「なんで通してくれないのっ?」

 悲壮感に満ちた、聞き慣れた声。

 思わず目をやる。

「マネージャーのくせに練習にも来ないようなヤツは立入禁止だ!」

「はぁ? 先生にはちゃんと許可とってあるもんっ! 通してよ。ちょっと一緒にお弁当食べるだけじゃないっ」

「誰がこの教室で食っていいって許可したんだよぉ!」

 結衣さんだ。

 弁当袋を抱えた結衣さんが、学級の出入口で赤坂の腰巾着の男子学生に足止めされている。

 あのニヤけた、お渡り食器のような顔を見ると虫唾が走る。

 私はすぐに立ち上がった。

 心配そうに二瀬が私を見上げる。

「秋次郎さんっ」

「構うな。怪我はさせん」

 また両親の顔に泥を塗るわけにはいかん。

 息を整えつつ、ゆっくりと歩みを進める。

 結衣さんは必死に抵抗している。

「もう、何よ! じゃ、渡すだけならいいでしょっ? ちょっとどいてっ!」

「よこせよ、俺が渡してやっからっ」

「ちょっ、触んないでっ!」

 ついに腰巾着が弁当袋の端を掴んで、ぐいぐいと引っ張りだした。

 幼稚だ。

 幼稚極まりない。

 これが十七歳にもなった男子がすることか。呆れ果てて開いた口が塞がらない。

 私が腰巾着の背面から近づくと、その肩越しに、結衣さんが今にも溢れんばかりに雫を湛えた瞳を私へ向けた。

「悠くんっ!」

 腰巾着が振り返る。

「お? なんだよ、横田。さっきはえらくかっこつけやがって。この前の練習試合も来なかったくせに」

 どうも、この腰巾着も赤坂と同じく蹴球部らしい。

 私が運動の時限に少々活躍したのが気に入らんということだろう。


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