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2-2 才知の援軍(1)

 翌朝も生温かい雨が街を覆い、バス停から高校へ向かう道には、学生たちの疎らな傘の波が続いていた。

 始業前の学級。

 学級の前には、割れんばかりに級友たちの談笑が溢れかえっていた。

 足を踏み入れる。

 そして、私が学級へと入った瞬間、その響いていた談笑は、糸を切ったようにプツンと途絶えた。

 級友らが押し黙り、畏怖の目で私の歩みを追う。

 なんだというのだ。言いたいことがあるならば、はっきりと言えばいいものを。

 私が何事もないかのように涼しい顔をして窓側最後列の自席に腰を下ろすと、静まっていた談笑は豪雨の始まりのように徐々に音量を上げた。そして、ついにそれが完全に元の喧騒にまで戻ったとき、私は窓際の風景の一部となっていた。

 手帳を取り出し、日課時限を確認する。

 すると、視野の外から、ずいぶんとあどけない顔がひょいと覗き込んだ。

「悠真くん、昨日は大変だったね」

 声を掛けて来たのは、なんとも可愛らしい、女のような見かけの男子学生。

「え? ああ、別に大したことはない」

「そうだね。ちょっと乱暴だったから叱られたかもだけど、僕は気にしなくていいって思うよ? 赤坂くんって、いつもあんなだから」 

「そ、そうか」 

 ニコリと笑って、私の席の隣に立つ男子学生。

「柏森さんもすっごく困っててね。サッカー部三年生の()()(りゅう)(きち)って先輩が、柏森さんのことすごく好きみたいで、悠真くんのことも()(かたき)にしてたんだ」

 その声色といい、仕草といい、男子学生の制服を着ていなければ女学生と見紛ってしまうような、なんとも言えない愛らしさ。

「そ、そうなのか」

「やっぱり、僕のこと分からないよね? 実は、僕と悠真くんとは、親友って言ったらおこがましいけど、いつもお互いに胸の内を話し合える友だちだったんだ」

 そう言えば、結衣さんに私が川島秋次郎であることを打ち明けてすぐのころ、結衣さんから、悠真くんには親友と言えるほどに親しい間柄の男子学生が居ると聞かされたことがあった。

 名はなんであったか。

 この男子が、その親友であろうか。

「お前は、私が怖くないのか?」

「もちろん。そうだね……、なんていうか、怖いって言うより、いまの悠真くんは前とはちょっと違ってて、不思議に感じるかな」

「不思議?」

「うん。なんだろう、記憶が無くなったっていうよりは、なんかぜんぜん別の人に入れ替わってしまったって感じで……」

 一瞬、息が詰まった。

 思わず大きく目を見張ってしまったことに気が付き、私は慌てて視線を落として、それから小さく咳払いをした。

 再び目を上げると、彼の女学生のような顔が、いよいよ愛らしく微笑に溢れている。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。しかし、なぜそう思うのだ」

「うーん、なんとなく……、かな。だからキミとは、『初めまして』だね。僕は、ふたはるか

 そう言って彼は、シャキリと右手を突き出した。

 思わず顎を引く。

 しかし、すぐにそれが握手を求められたのだと分かって、私もおもむろに右手を差し出した。

「ああ、よろしく。私は、川島……」

 そう言いかけて、ハッとして口をつぐんだ。

 さっきよりもっと深い咳払いが、二度、三度と出る。

 二瀬は笑っている。

「えっと……、カワシマ?」

「いや、私は横田悠真だ。これは、『初めまして』でいいのだろうか」

 二瀬は私の手をぎゅっと握り返すと、なんとも含蓄のある笑みを浮かべた。

「これから、よろしくね」

 真っ直ぐに私を見つめた、彼の澄んだ瞳。それは私に、彼の心が至極清浄であると知らしめているようであった。


 午前の日課時限が終わり、今日も昼休憩の時間となった。

 今日は食堂へ行く。

 昨晩、結衣さんへは、またいさかいの元となってはいけないので、今後は食堂で昼餉をとると告げた。

 至極残念がっていたが、致し方ない。学級を離れ、独り食堂で食すほうが得策だと思ったのだ。

 そうして、母親がくれた銭入れの金を確かめつつ席を立ったとき、やにわに甲高い声が耳をつんざいた。

「悠真くん!」

「うわっ」

 見ると、朝、握手を交わした二瀬が、満面の笑みで私の傍らに立っている。

「ごめん、びっくりした? 悠真くん、今日も柏森さんのお弁当?」

 二瀬は、私よりやや背が低い。

 実にしとやかな物腰、女学生と錯覚してしまうほどの愛らしさ。

「いや、弁当は断った」

「そっか。それなら食堂だね? じゃ、一緒に行っていい?」

 腕を後ろに回し、やや前屈みで私を見上げる二瀬。

 独りが一番良いと思っていた手前、さてどう返答するかと答えに窮していると、その二瀬の向こうで聞き慣れた軽快な足音が鳴った。

「悠くんっ、よかった。まだ行ってなかった」

 その足音とともに駆け入って来たのは、息を切らした結衣さん。

「結衣さん、どうしたんですか?」

「いや、え、えーっと、食堂行くよね? あの、一緒に行っていい?」

「え? いや、結衣さんは弁当では」

 横を見ると、二瀬がふんふんと頷いている。

 その表情に頬を赤らめつつ、結衣さんが二瀬のほうへ視線を投げた。

「えっと、あの、二瀬くん、悠くんと一緒に行くところだった?」

「あれ? 柏森さんも食堂? 珍しいね。お弁当は?」

「ああ、あの……」

 いよいよ頬を紅潮させて、目を泳がす結衣さん。

 どうしたというのだ。

 二瀬がニコリと口角を上げる。

「もしかして、お弁当、忘れて来たの?」

「え? そ、そうっ! 忘れて来たのっ。だから、悠くんと一緒に食堂で食べようかなーって!」

「そうなんだね。悠真くん、そういうことだから、三人で食堂、いいかな」

 私を見上げる二瀬。

 その横で、耳まで真っ赤にした結衣さんが口をもごもごさせて下を向いている。

 結衣さんの、見え透いた嘘。

 私は少々嬉しくなって、年甲斐もない笑みをこぼした。

「そうだな、一緒に行こう」


 がやがやと響く談笑。

 二瀬と結衣さんに案内されたこの高校の食堂は、本校舎から犬走を渡った先の奥まったところにあった。見ると、横長く並べられた洋机にひしめく学生たちが、なんとも品なく談笑しつつ昼餉をとっている。

 海軍では、食事は右手だけで食すのが基本だ。

 軍艦の狭い食堂では、戦友が皆で肩を寄せ合って食事をするため、互いに邪魔にならないように右手だけで食すよう訓練される。当然、そのような光景はここにはない。

「ふたりは何がいい? 僕はA定食、ご飯大盛りっ」

 二瀬のこぼれんばかりの笑み。

 女学生のような愛らしい顔をしているのに、やはり食欲は男子だということらしい。

 なにやら、出入口のすぐ脇に大きな箱型の機器があり、金を入れて希望の品目の釦を押すと、料理の引換券が印刷されて出てくるという仕掛けのようだ。

 もう、なにを見ても驚かん。

 厨房の手前で受付をしている女給に券を渡し、しばらく待って四角い盆に乗せられた料理を受け取った。

 三人で窓際に陣取る。私の隣に結衣さん、そして、その向かいに二瀬だ。

 食事を始めてしばらくは、他愛ない会話が続いていた。

 学級ごとで授業の進行具合が違うようで、課題がどうだとか、参考書がどうだとかいう話を二瀬と結衣さんが交わす中、私は黙々と料理を口へと運んでいた。

 ふと、箸を止めた二瀬が私の顔を覗き込んで、それから結衣さんへと笑みを投げる。

「ところで柏森さん、さっき悠真くんが言いかけたんだけど、『かわしま』さんて、誰かな?」

「え?」

 二瀬が突然放った私の名前に、結衣さんが絶句した。

 若々しい快活な談笑が飛び交う中、その喧騒から切り離された、一瞬。

 ポカンとしていた結衣さんが、突然ハッと私に瞳を向ける。

「なにか二瀬くんに話したの?」

「い、いいえ。私はなにも」

 その私と結衣さんのやり取りを見た二瀬は、なにかいかにも腑に落ちたぞと言わんばかりの微笑みで、優しい声音を投げた。

「柏森さん、彼はなにも話してないよ? ちょっとだけ、自分の名前を言い間違ったのさ。『かわしま』って」

 思わず顎を引いた。

 結衣さんが、じわりと二瀬へと視線を戻す。

 二瀬はいよいよ満面の笑みだ。

「自分の名前なんてそうそう言い間違えるものじゃないもの。悠真くん、何かわけがあるんじゃない? 僕、なにか力になれることないかな」

 聞けば、この二瀬という男、成績は常に学年上位であり、こと理数分野ともなると教師陣も白旗を揚げるほどの才気を発揮するとのことで、まさに神童の呼び名が相応しい学生とのこと。

 その洞察力の深さも折り紙付きのようで、教師も舌を巻くほどのものらしい。

「あのね? 僕、悠真くんが赤坂くんと揉めたとき、すぐに分かったんだ。キミ、悠真くんじゃないよね? すごく似てるけど別の人だ。もしかして双子?」


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