寝て起きたら、そこに赤ん坊がいました。〜俺魔王だけど、子育てなんて出来ません!〜
ここは魔王城。
鬱蒼とした森の中、樹齢千年を超える大木の影に隠れるように、それは静かに建っていた。
本来白かったであろう外壁は経年劣化と手入れ不足から灰色に変色し、壁を這うように広がった蔦の下をよく見ると所々ヒビが入っている。
屋根は苔に覆われ、何も知らない者はここで生活する者がいるとは想像もつかないだろう。
生物の気配を感じない静寂の中、突如大きな鳴き声と悲鳴が城中に響き渡った。
「おぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ?!?!」
「・・・あのお方はまた何かやらかしましたね・・・。」
1階にある一室で書類整理をしていたゴリュは聞こえてきた悲鳴にペンを止め、本日一度目のため息をついた。
悲鳴の出処はこの城の主だろう。
ゴリュは仕方なくペンを置き、部屋を後にした。
2階に上がり、右の廊下を真っ直ぐ歩くと目的の部屋に到着する。
「サタナス様!どうかされましたか?」
「ゴッゴリュか?!助かった!とにかく入ってきてくれ!!」
ドアの外から声をかけると、いつになく切羽詰まった声にゴリュは眉間にしわを寄せつつ、「失礼します」と声をかけながらドアを開けた。
ゴリュが入った部屋はここの主であるサタナスの寝室だ。
広い空間に大きなベッドとソファだけが置かれ、すでに日が昇っているにも関わらず閉め切られたカーテンの隙間から日の光が漏れていた。
「・・・これはこれは。」
薄暗い部屋の中、ゴリュはサタナスの抱えているそれをじっと見つめる。
ベットの上で胡坐をかき、左右にゆらゆらと揺れているサタナスの腕の中には、すぅすぅと寝息を立てる赤ん坊の姿があった。
「あっ朝起きたら俺の横にこれがいたんだ!びっくりして起き上がったらこれも起きて泣き出してっっ!」
慌てて泣きそうになっているわりに、赤ん坊を起こしてはいけないと思っているのか小声で訴えてくるサタナスの顔をみてゴリュはすっと頭を下げた。
「おめでとうございます、サタナス様。次代の魔王様がお生まれになったのですね。」
「俺は産んでないぞ?!」
顔を上げたゴリュがにこやかにそう伝えると、サタナスはゆらゆらと揺れ続けながら突っ込みを入れる。
「サタナス様が子を産めないことも、童貞であることも存じ上げております。」
突然槍よりも鋭い言葉の攻撃を受け、サタナスは「うっ」と言いながらゴリュを恨めしそうに見つめる。
しかし、ゴリュはそれを気にする様子もなく、言葉をつづけた。
「魔王様はある時突然生れ落ちてくるのです。サタナス様だってそうだったでしょう?」
「えっ、俺って先代が産んだんじゃないのか?」
首をかしげるサタナスに、ゴリュは目を丸くした。
てっきり、そのあたりの常識は先代魔王が伝えているものだとばかり思っていたのだ。
サタナスに聞いてみれば、特に己の出生について気にしたことはなく、先代からも聞かされていなかったらしい。
その結果、サタナスはずっと先代魔王から産まれたと思い込んでいた。
先代魔王は女性の姿を模していたので、それもあって勘違いしていたのだろう。
ゴリュは本日二度目のため息をつくと、魔王の誕生についてもう一度繰り返した。
「へぇ~そんな感じで生れてきたのか、俺。まぁ、とりあえずこれが次代の魔王ってのは分かったけど、これはどうすればいいんだ?」
己の出生にあまり関心がないのか、話もほどほどにサタナスは未だ自分の腕の中で眠る赤ん坊を見下ろす。
一見するとただの人間の赤ん坊に見えるが、その額からは小さな角が生えており、尖った耳と首元の刻印が、この赤ん坊が魔王であることを示していた。
「先ほどからこれこれと・・・これからあなたが育てていくのですから、そのように呼ぶものではありませんよ。ちゃんと名前を付けてあげてください。」
「・・・・・・は?」
サタナスを窘める様にゴリュが注意すると、サタナスはずっと続けていた横揺れをピタッと止めた。
額に汗をかき、口元を引くつかせながらゴリュに聞き返す。
「いっ今なんて言った?」
「ですから、その赤子はサタナス様が育てるのですよ。先代がサタナス様を育ててくださったのと同じことです。」
「聞き間違いじゃなかったっ!!」
まだ恋人ができたこともなければ誰かと手を繋いだこともないのに、全てを飛び越えて一児の育て親になってしまった事実にサタナスは涙した。
大の魔王様が何を言っているんだとゴリュは本日三度目のため息をつく。
「とりあえず、サタナス様はその赤子に名前を付けてあげてください。私は各所へ次代の魔王様が誕生したことを伝える書類を作ってまいります。」
ゴリュはそう伝えると、くるりとサタナスに背を向けドアノブに手をかける。
すると、サタナスは焦って呼び止めた。
「そっそれは俺がやるから、ゴリュがこいつを見ていてくれよ!」
「私はゴブリンですよ?いくら赤子と言えど、魔王様の面倒を見れるわけがないでしょう。」
本日四度目のため息をつきながらバッサリと切り捨てられ、サタナスはあーだのうーだの言葉にならない音を漏らす。
ベットの上で唸っているサタナスを一瞥し、ゴリュは扉を開けた。
「魔王様のお世話は魔王様にしかできません。腹をくくって、よろしくお願いしますね。」
そう言い残すと、ゴリュはそのまま扉の外へ消えていく。
置いて行かれたサタナスは、赤ん坊を抱えたままベットの上で立ち上がった。
「まっ待ってくれ!!急に言われても無理だ!ゴッリュッ?!」
ゴリュを追いかけようとしたその時、布団で盛大に足を滑らした。
赤ん坊を下敷きにしてベットから落ちそうになり、サタナスは咄嗟にぐりんっと体勢を変え背中から床に落ちていく。
「うわぁぁぁ!」
どすんっ
「・・・・・。」
目を覚ましたサタナスは、逆さまになった扉を見つめる。
布団と一緒にベットからずり落ちた体をゆっくりと起こし立ち上がると、自分の腕の中に何もいないことを確認する。
サタナスはゆっくりと顔を上げ、すーっと空気を吸い込んだ。
「夢オチっっっ!!!」
息を吐くのと同時に両手で顔を覆いながら崩れ落ちるサタナス。
安堵となんとも言えない羞恥に悶えていると、扉の外から声をかけられる。
「サタナス様!どうかされましたか?」
夢の中と同じ呼びかけに、両手で覆っていた顔を上げ、ふらふらと立ち上がり扉の前まで行くと自ら扉を開ける。
そこには、やはり夢の中と同じ姿のゴリュがいた。
「なんでもない・・・ちょっと夢見が悪かっただけだ。」
「夢見が悪いだけであんな大声を出さないでくださいよ・・・ご飯の準備はできていますが、召し上がりますか?」
本日一度目のため息をついて、ゴリュは食堂へ歩き出した。
サタナスの返事を待つ気はないらしい。
「あぁ・・・そうする。」
サタナスは後ろ手に扉を締め、ゴリュの後をのそのそとついて行く。
黙って歩くゴリュの後ろ姿をぼーっと眺めていたサタナスは何気なくゴリュに問いかけた。
「・・・なぁ、魔王ってさ、どうやって生まれるんだ?」
「何ですか藪から棒に。そんなの決まっているじゃないですか。」
ゴリュは振り向きもせず、本日二度目のため息をつきながら答えた。
「魔王様はある時突然生れ落ちてくるのです。サタナス様だってそうだったでしょう?」
ーーーー誰もいなくなった寝室。
床に落ち、無造作に放置された毛布がもぞりと動いた。