第7話
そして俺は案の定、印刷工房のマーサに叱られていた。
「見所があると思ったから信用したのに、こんな箱入りお嬢様をパブに連れていくなんて良くないよ、まったく」
「申し訳ありません」
工房の応接室兼事務所で平謝りする俺。
ちなみにメリアナは現在、自分の下宿部屋で休んでいる。ときどき「うぇーい」とか「天井が回る~」など聞こえてくる。すまない。
申し訳なさそうにしている俺を見て、マーサは少し口調を和らげた。
「まさかとは思うけど、酔わせていかがわしいことでもするつもりだったのかい?」
「とんでもない!」
俺は慌てて手を振った。いくらなんでもそれはない。
しかしマーサは疑惑の視線を俺に向けてくる。
「あんたがそんなことを考える人には見えないけど、人間ってのはわからないものだからねえ……」
それはそうだよな。俺も取材の過程で人間の意外な一面をたくさん見た。
しかしこのままではまずいので、俺は取材メモを取り出す。
「『ディプトン週報』で取材記事を掲載していくために、有益な情報が集まりそうな場所を探していたんです」
「ああ、それでパブってことかい? なるほどねえ」
マーサは疑いを解いてくれたようで、俺の取材メモをパラパラめくっている。
「あたしはパブに行ったことはないんだけど、こりゃダメっぽいね」
「噂話はたくさん入ってくるんですけど、質が最悪です。質を高めようと思ったら、いい情報を握ってそうな人と仲良くならないといけませんが……」
俺は天井を見上げた。工房の屋根裏、メリアナの部屋がある辺りだ。
「あの子にそれをやらせるのは無理ですからね」
「そうだね、向き不向きってもんがあるからね」
そこは意見が一致したようだ。
マーサは俺に取材メモを返すと、工房のオーナーとして重々しい口調で告げる。
「とにかく、あの子を危ない場所に連れ出すのはダメだよ。あたしにも責任ってものがある……」
言葉の途中でマーサがフラッとよろめいたので、俺は慌てて彼女の体を支えた。むっちりしているので意外と重い。
立ったまま抱擁しているような体勢になってしまったが、ガラス棚や机でゴチャゴチャしている場所で倒れると頭を打つ可能性があった。手を放す訳にはいかない。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「えっ!? あ、ああ……」
幸い、マーサはすぐに意識を取り戻したようだ。だが顔色が悪い。
「ほんの一瞬だけ、気を失っていたみたいだね……」
「ソファに横になってください。ゆっくり動いて」
俺はマーサさんの肩を抱き、応接用のソファに寝かせた。俺の上着を脱いで掛けておく。
「工房の職人さんを呼んできます」
「えっ!? いや、いいんだよ!」
マーサは慌てて起き上がると、俺の腕をつかんだ。
「主のあたしが頼りないと、みんなが心配になるだろう?」
「そんなこと言ってる場合ですか」
困ったな。医者に診せた方がいいかもしれないが、ビシュタルでは医師の診察はかなりの「贅沢」になる。俺やマーサみたいな下流階級の人間には無縁のサービスだ。なんせ高い。
どうしたものかと悩んでいると、屋根裏からメリアナが下りてきた。
「なぁ~に、やってんろよ……」
ろれつが回っていない。こいつもこいつでフラフラだ。
しかし俺とマーサの姿を見た瞬間、メリアナの目が「カッ!」と見開かれる。
「何やってんのよ!?」
「見りゃわかるだろ、看護だよ!」
今日はいろいろ疑われっぱなしで、さすがの俺も心がささくれてきた。
「マーサさんが急にふらついたから休ませてるんだ」
「また!?」
メリアナは酔いが吹っ飛んだ様子で……いや足取りが怪しい……とにかく駆け寄ってきた。
「マーサさん、やっぱりお医者さんに診てもらおうよ!」
「そんなお金があったら、職人さんたちのお給料に回さないと」
「そんなこと言ってて、死んじゃったらどうするのよ!? マッシュとケッティはどうなるの!?」
メリアナがマーサの子供たちの名前を出すと、さすがにマーサもつらそうな顔をした。
「それは……そうだけどね……」
俺は見かねてメリアナに苦言を呈する。
「俺たち貧乏人に医者を呼ぶ金なんかある訳ないだろ。あまり無理を言って困らせるな」
「それなら大丈夫!」
メリアナは胸を張ると、自信たっぷりに宣言した。
「だって私のお父様、お医者さんだから!」
「まじか」
「まじよ! うわっとっと!?」
胸を張りすぎてのけぞってしまい、そのままひっくり返るメリアナ。やっぱり酔ってるな。
彼女の軽い体を支えつつ、俺は溜息をつく。
「で、お前の親父さんを呼べるのか?」
「任せといて!」
のけぞったまま、メリアナは胸を叩いて断言した。本当かよ。
そのまま彼女が何も言わなくなったので、背中を支えていた俺は声をかける。
「おい、そろそろ自分で立てよ」
返事がない。
「おい?」
しばらくすると、くかーくかーという気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
マーサが苦笑する。
「あれまあ、すっかり寝ちゃってるねえ。代わりにソファに寝かせておいて」
まだ顔色は悪いが、マーサが起き上がった。動きに力がないので、やはり俺としても心配になる。
「メリアナのお父さんに診てもらいますか?」
「そうね、この子は言い出したら聞かないからねえ」
マーサは頬に手を当てて軽い溜息を漏らした。
「ただちょっと、この子とお父さんの関係が心配なのよね……」
王立女子寄宿学校なんて名門校を卒業したのに、こんなところで下宿生活をしている子だ。たぶん実家と何かあったんだろうというのは俺にも理解できた。
面倒なことになるのは承知の上で、俺はマーサに申し出る。
「俺に何ができるかわかりませんけど、トラブルが起きないように善処します」
「そうかい? ありがとうね」
マーサの顔色はまだ悪かったが、それでもにっこり微笑んでくれた。
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