第四話:彼方からの呼び声
「さて、有栖。今の恰好のままじゃさすがにまずいわ。着替えましょ」
ゆらゆらと焦点をあわずに見ていると、近くから私に向かって声をかけられたアンジェの、声。
「恰好……?」
「今の恰好は寝巻きでしょ? 流石にそれで外にはでれないわよ」
「……あっ、そっか」
すっかり今の自分の恰好を忘れてた。リナとアンジェの話を真剣に聞いてたからそんなことまで考えてなかったのだ。そういえば、確かにここベッドがあるから(今座ってるし)寝室だよね。
「……でも私、服持ってないよ」
「大丈夫よ、有栖! アリスの服はちゃんと私が持ってるわ。今、取ってくる!」
そう言うとアンジェはすぐに走って出ていった。足早いなぁ。と思ってると、そういえば三月兎とだったなぁと思い出し、納得する。
「有栖のことになると素早いですね、アンジェは」
ふふっとリナが微笑んだ。笑っても絵になるなぁ。じっと見てるとふいに目があった。ちょっと恥ずかしい。
「どうしましたか?」
「いい、いや、全然!」
「ならいいんですが」
不思議そうに見つめるリナ。かっこいいとか言われなれてるだろうし言いにくい。
「有栖!」
「アンジェ、早かったね」
少々息を切らせながら戻ってきたアンジェ。その両手には抱えるように大きい白い箱がひとつ。
「もちろん有栖のためだもの! はい、これがアリスの服よ」
箱の蓋を開くと、中には薄くストライプの柄が入った水色のエプロンドレスが収まっていた。私の知っているアリスのドレスってストライプ柄だったっけ? 疑問に思いながら、箱から取り出す。
「うわあ……」
手に持つと、先程まで箱に入ってていて気づかなかったが、スカートの部分がふんわりしていて、いかにもエプロンドレスです!と言う感じ。リボンやレースもついていて、すごくかわいい。
「可愛いでしょ? 絶対似合うわよ」
「こんなかわいいの、私に似合わないよ」
「有栖、これはアリスのために作られたドレス。似合わないわけがないですよ。ぜひ着てみてください」
「う、うん……」
少し戸惑いながらも、スクッと立ち上がった。リナは、では着替え終わったら呼んでください。と有栖とアンジェのいる部屋をあとにする。
「じゃ、私も廊下で待ってるね」
「ま、待って。アンジェ」
「うん?」
「きっ、着替えを手伝ってほしいの、ダメ?」
「いいわよ」
実はこのエプロンドレス、後ろにチャックがあり、一人ではなかなか着ずらい。それでアンジェに残ってもらったのだ。
アンジェはうふふと笑って後ろ手にドアを閉める。
「着替えましょ!」
するりとワンピースを脱ぎ、エプロンドレスに袖を通した。サイズがぴったり。大きくも小さくもなく丁度いい。逆にジャストフィットしすぎてびっくりしてしまうほど。
でも、ちょっと丈が短いかな……。
髪を軽く結い、できるとこまでチャックを閉めようと思って背中に手を回すと、アンジェが全部チャックを閉めてくれた。なんだか至れり尽くせりで申し訳ない。
「なんだか本当に全部やってくれてごめんね?」
「有栖のためならなんでもやるわよ!」
「ありがとう」
「さあ、有栖。次はリボンよ」
「リ、リボン?」
「そこのドレッサーに座って?」
アンジェの目線の先には白い立派なドレッサーが置いてあった。細かい装飾と青みがかかった白がとても美しい。高そう。リナってやっぱお金持ちなのかなあ。と思いながら、椅子に腰をかけた。縦長の鏡に自分とアンジェが映る。やっぱり、アンジェのほうがこのエプロンドレスに似合うんじゃないかな。
「そんなことないわよ、有栖」
「え?」
「ふふっ、有栖の考えてることは顔に出るからわかりやすいわ。髪ほどくわね」
そうなのかな。焦点を鏡に合わせると、真っ赤になった自分と、ブラシで髪をとかしながら鼻歌を歌うアンジェ。その旋律が心地よい。目をゆっくり閉じ、その音の波に心を委ねた。
髪をおろすのは久々。長いと邪魔なんだよね。
「ねえ、結んでちゃだめかな?」
「ポニーテールにする?」
「うーん。任せるね」
アンジェは人差し指を口に当て、考える仕草をしたあとじゃあポニーテールにするわ、と再びブラシを動かし始めた。誰かに髪の毛を触られるのは久々だなぁ、ふと思う。
******
遠くから声が聞こえる。誰かに呼びかけているような。誰?
「早くし……きゃ……そくなっ……アリス」
「……ぼく…ら……アァ……リス……」
アリス? 私の名前は三条有栖。どこにでもいるような普通の女の子。貴方達が言っている『アリス』とは全く違う。私は、貴方達の『アリス』ではない。
有栖って呼んで?
「……アリス……早く……起き……さ……」
「……!?」
一瞬で意識の底から浮上する。目の前には自分の姿。鏡だ。ゆっくりと深くため息をつく。胸がまだドキドキ言っている。
さっきのはなんだったんだろう。真っ白な光の中。“誰か”の焦ったような声。言葉が途切れ途切れでよく聞こえなかったな……。
「有栖?」
「あ……」
「どうかした? 額に皺がよってる」
「んんっ。ちょっとぼんやりしちゃった」
「そう? じゃあリナを呼んでくる。待ってて」
「うん、わかった」
くるりと反転し、リナを呼びに行ってしまった。鏡を見る。きっちりと頭の上に綺麗に結ばれている黒いレースのリボン。皺もよれもない。器用なんだなあ。
コンコン
ノックの音。戻って来たのかな? それにしては早いような気がする。扉を開けた。
そこには。
「アンジェ、これは……」
目の前には知らない人が立っていた。私を見て相手はいいかけていたことを忘れ、私も思わず黙ってしまった。曖昧な沈黙だけがその場に流れる。
ちらりとその人のほうへ目を向けると、薔薇の造花が一輪だけのシンプルな黒のシルクハット。黒のスーツ。その上には黒いロングコート。腰には銀の剣。
「……あ、あの」
呼び掛けてみたものの、反応がない。
やがて、ふむ、と頷いて腕組みをしたシルクハットの人はちらりと視線を向けた。
金色の瞳。綺麗なブロンドの髪の毛。リナに引けをとらない中性的な端正な面立ち。
「状況は理解した。君が“アリス”だな?」
肯定しようとして私は思い止まる。この人は誰? 味方なの? 顔を伏せて黙っていると、かすかにカーペットを踏む音が聞こえる。ばっと顔を上げると、黙ったままのシルクハットの人の隣に、リナとアンジェの姿。
「リナ! アンジェ!」
2人が警戒をしている様子はない。味方だということだろうか?
「シェリー! 来てたのね!」
私が悶々と悩んでいると、アンジェが嬉々としてシルクハットの人に飛び付いた。首に絡み付くアンジェの腕をその人は慣れた様子で受け流している。
「え、えっと……?」
「彼女はマッドハッター。帽子屋です。」
言いたいことが分かったのかすぐにリナが気付き、教えてくれた。すごい、よくわかったな、あれだけで…。
あれ? 彼女って……。
「女のひと……?」
「とりあえず…扉の所にいるのはなんだし、中に入りらない?」
ふんわりとほほ笑みながらアンジェが言った。それもそうだ。
一体帽子屋さんはどんな人なのだろうか? と少しの不安を抱いて……。