第三話:陰影が音をたてた
彼の丁寧な説明で私がわかったこと。
ここは“常闇の国”と呼ばれている私がいた現実の世界とは全くかけ離れたところらしい。
そんなすごいところに何故来てしまったのか、それは……私が“アリスだから”の一言。この世界では永遠の闇となるものが存在していて、その闇を晴らし、国を光で照らすことができるのは“アリス”ただ一人だと言うのだ。
「つまり、私がアリスだってこと……?」
「はい。貴女はれっきとしたアリスの15番目の生まれ変わり。ここに来ることは生まれたときから決まっていました。世間で言うところの運命なのです」
「で、でも……」
「……? 何ですか?」
「私なんかがそんな凄い存在のアリスでいいのかな。何にも特別な力は持ってないし、暗いし、顔だってそんな可愛くないし……」
「特別な力も性格も顔も必要ありません。大事なのは貴女がアリスだという事実。たった一つそれだけです」
それを聞いて、気分が沈んでいくのを感じた。
私は、普通の女の子なのだ。元の世界では雑踏の中を1人で歩いていても誰も気に留めない。彼のいうアリスになった覚えはない。私はただの三条有栖。アリスじゃない……。
「わ、私……。元の世界に戻りたい……」
「え?」
「だって、私貴方達の役には立てない。アリスじゃない。有栖なの」
彼がそれを聞いて、がたんと席をたつ。何か言われるのではないかと思って身を縮めた私の横を抜けて窓にかかっていたカーテンをさっと引いた。
「見てくださいよ、アリス! 太陽が出ているでしょう? 明るいでしょう? これが貴女の力です。貴女がアリスだと証明する最大の事実です」
確かに窓の外は明るかった。青空の頂点に堂々と輝く太陽が眩しいほどに。
これが、私がアリスとしてこの国に来た理由。頬を紅潮させて外を指さす彼も、それを見て本当に幸せそうに笑うアンジェも私が来たからこんな顔をしているの……?
「どうですか?」
「それが事実だったとしても……」
目線を下におとし黙ってしまった。わからない……理由を話されてもわからないよ……。今まで私がいた世界とは無縁の世界。もう……頭の中がごちゃごちゃしてきた。
「有栖」
鈴をころころと転がしたような声が私の本当の名前を呼ぶ。“アリス”ではなく“有栖”と。ゆっくりと頭をあげる。アンジェと目が合った。かわいい人。清楚なワンピースを身に纏い、両足を椅子の下で行儀よく揃え、強くまっすぐな瞳を私に向けている。
「この国に唯一、光を照らされるお方……“アリス”を私たちは求めていました。毎日が、闇に始まり闇で終わる……そんな暗い世界にたった一つの希望だったのです。“アリス”という存在は」
「でも……」
「貴方がこの世に存在している、それだけで私たちの心の光だったのです。そして、この国にやってきた。アリス、そんなに難しく考えないで。私たちは貴方の味方です」
はっとしてアンジェのほうに向くと、眉を下げ悲しそうな顔をしながら、無礼なことはわかっております、だけど私たちのことをわかってもらいたかったのです。お許しください。と俯いた。
私は……この人たちの光になれたのだろうか。もしくは、これからもなれるだろうか。
アリスとして“有栖”として。
「じゃ、じゃあひとつだけ……」
「……?」
「私のことをそんな特別扱いしないでほしいの。さん付けもいらないし、敬語もいらない。ね? いいでしょ?」
二人は安堵したように揃って笑い、頭を深く下げる。
そして一言。
「この国の光。貴女が望むなら……」
「ありがとう」
「それなら」
アンジェが急に1オクターブ高い声を出してぱんっと両手を合わせた。
「もう堅苦しくて慣れない敬語を使わなくていいわね? 実は私、敬語が大の苦手で」
「アンジェっ、いきなりはしたないですよ!」
「いいじゃないの。有栖が敬語をいらないって言ってるし。リナも敬語やめたら? いつも敬語で疲れないの?」
「僕のことは放っておいてください! 癖なんですよ」
コントのようなやりとりに思わず笑ってしまった。
これが、私の居場所なのか。私の味方なんだ……。そう思うと心の中がほっこりと暖かくなった。
「……有栖、実はもう一つ言わなければいけないことがあります」
彼は笑顔をひっこめ、口を引き結んで深刻そうな顔立ちで私にそう言った。
アンジェも何かを悟ったのか目線を落とし、暗い顔をみせる。
「え……?」
「実は今、すでに有栖はこの国の争いに巻き込まれています」
「あ、らそい?」
「はい。常闇を照らす力を持つ、アリス。アリスの中にある“光”を独占してしまおう、と馬鹿げたことを考えた輩が起こした争い」
「え、何で? 私……光なんてもってな……」
「そうです。アリスの体の中に光が存在する、と書かれた文献は未だ見つかっていませんし住民たちもそんな考えを起こしませんでした。アリスは特別な存在。この国の光。それだけで納得していたのですから」
眉を寄せ、咳払いをひとつして彼はまた話を進める。
「ですが、女王様は違いました。自尊心の高さが裏目に出て、女王様はある日こう言ったのです。“アリスだけがこの国に光を与えられるなんて我慢ならない。どうして私が光になれないのだ”と。城内の者は女王の怒り狂った姿に感化され、やがてこんな迷信ができました。アリスは何か体内に光を持っているに違いない。アリスを捕え、解剖してみれば分かるはず。光を手に入れられる。そこから争いは始まりました。アリスを信じる者と、女王を信じる者の二手に分かれて」
心に暗い影が沈殿してゆく。
理不尽だと怒る力よりも先に、絶対的な絶望感が襲った。
解剖?
そんな迷信だけの為に?
狂ってる。おかしすぎる。いくらなんでも、常識を外れ過ぎている。
「僕たちは有栖の味方です。そして、他にも貴女の味方はたくさんここに集まってきます。どうか信じてください」
私はその言葉にただ、虚ろな目で頷くだけだった。