5.説教せずにはいられなかった青年
食事が終わったところで、煉斗は手早く洗い物を済ませた。
その間、麗菜にはテーブルで寛いで貰っていた。
そしてドリップ式のコーヒーを供してみたところ、彼女はほっとした表情で微笑を浮かべ、満足そうな視線をキッチンに立つ煉斗に送ってきていた。
「それにしても、天笠くんって……その、凄いね。筋肉が」
「鍛えるばっかりで、何の役にも立ってませんけどね」
テーブルへ引き返した煉斗は、同じ様にコーヒーカップを手にして黒い液体を静かにすすり始めた。
そんな煉斗をじぃっと見つめながら、麗菜はどういう訳か小さな溜息を漏らした。
「天笠くんは、自分のことは大体何でも自分で出来るみたいね……わたしみたいな尽くすことしか知らないオンナとかは、お呼びじゃないってカンジ?」
「……あのですね、さっきから気になってたんでこの際、いわせて貰いますけど」
煉斗はコーヒーカップをソーサーに置いて、ぴんと背筋を伸ばして麗菜の美貌を真正面から覗き込んだ。
対する麗菜もどういう訳か、姿勢を正した。何か察するところがあったのかも知れない。
「美柄さん、もうちょっと甘えてもエエんやないですか? 何っちゅうか、こう、自分がやらないかん、みたいな変に気ぃ張り詰めたところがあって、見てて気の毒になってきますわ。そんだけ綺麗で、笑顔も可愛らしいのに、そんな頑張り過ぎなとこばっかり見せられたら、こっちが楽しゅうなくなります」
すると麗菜は急に顔を真っ赤にして、何ともいえぬ表情で僅かに視線を落とした。
「え……か、可愛い? わたしが、可愛い?」
などと、消え入る様な声でぶつぶつと呟いている麗菜。
しかし彼女は次第に煉斗の言葉の意味を理解し始めたのか、少しずつその表情に真剣みが増してゆき、遂には涙ぐむ様になっていた。
流石に少し、いい過ぎたか――煉斗は内心で幾分反省しながら頭を掻いた。
「いや、すんません。もうちょい言葉、選ぶべきでしたね……けど、いいたいことは、いい切りました。もしお気に障ったんなら謝ります」
「……うぅん、そうじゃないの……ただ、すっごく、嬉しくて……」
麗菜は手の甲でそっと涙を拭いながら、心底嬉しそうな笑みを湛えて小さくかぶりを振った。
「今までのカレシってね……自分の都合で文句をいうことはあっても、わたしの為を思って叱ってくれたひとなんて、ひとりも居なかったから……それに学校は学校で、クラスの皆は変に気を遣って、本音でものをいってくれてる様には思えなくて……だから、その、本気でわたしのことを思ってくれて、ずばっと本音でいってくれるひとが居てくれたらなって、ずっと思ってたの」
確かに、クラスメイトらは男子も女子も皆、麗菜に気を遣って上っ面だけの友達付き合いをしている様にも思えた。
その理由も、分からなくはない。要は誰も彼もが、麗菜に嫌われたくはないのだろう。下手に苦言を呈すれば麗菜の機嫌を損ねてしまうという恐怖感があるのかも知れない。
しかし煉斗は、違った。
彼はもともと麗菜に好ましく思って欲しいなどとは、ただの一度も考えたことは無かった。
煉斗にしてみれば、麗菜からの意識などは最初から無いものという思考であり、彼女に好かれたい、或いは嫌われたくないという欲求は欠片にも無かった。
だからこそ、逆にずばっと本音で斬り込むことが出来た。仮にそれが原因で彼女に嫌われたとしても、煉斗は全く痛くも痒くもないのだから。
ところが皮肉にも、麗菜が欲していたのは煉斗の様な直球で斬り込んでくれる友人だという話だった。
彼女からのその様な評価を、果たして喜んで良いのか悪いのかはよく分からなかったが。
「まぁ俺はね……ぶっちゃけ、他人に嫌われようが何しようが全然気にもならんから、こんな風にずばずばモノいえるんですけどね」
「うん、だから……天笠くんにはこれからも、もっともっとキツいこと、いって欲しいかな、なんて……」
ここで煉斗は眉間に皺を寄せた。
やけに恥ずかしそうな様子で頬を赤らめて視線を逸らせている麗菜に、変な疑問が湧いてしまった。
「そんなボロクソにいわれたいて……美柄さん、もしかしてドMなんですか?」
その瞬間、麗菜は危うくコーヒーを噴き出しそうになっていた。
が、彼女は決して気分を害する風もなく、妙に可笑しそうに小さく肩を揺すっていた。
「天笠くんって、ホント……面白い、ひと……」
別段ウケ狙いでいった訳ではないのだが、どうやら麗菜のツボにはまったらしい。
煉斗はふぅんと素っ気無く応じながら、更に熱いコーヒーをすすった。
◆ ◇ ◆
その後、煉斗は麗菜と連れ立って夜の住宅街を歩いていた。
時間も少し遅くなってきたということもあり、煉斗が麗菜を家まで送ろうということになったのだ。
当初麗菜は申し訳ないと断り続けていたが、結局煉斗が勝手についてくる形で麗菜と肩を並べる格好となった訳である。
最初の内は随分と気を遣っていた麗菜も、少し歩き出すと次第に嬉しそうな表情を浮かべるばかりで、何もいわなくなった。
やがて、美柄と表札の掲げられた一戸建て住宅の前に辿り着いた。ここが彼女の自宅なのだろう。
「わざわざ、ありがとね、天笠くん」
「いや、こちらこそ俺なんぞの為に足延ばして貰って、すんませんでした」
ここで煉斗は小さく会釈を送ってから踵を返した。
ところがどういう訳か、麗菜がまるで心残りでもあるかの様な調子で再度、煉斗の大きな背中に呼び掛けてきた。
「あの、御免ね……その、最後にひとつだけ、教えて欲しいんだけど……」
麗菜は、付き合っているひとは居るのかと訊いてきた。
何故そんな問いかけが飛んできたのかは分からないが、煉斗は居ないとかぶりを振った。
「好きなひととかも、居ないの?」
「俺はそういう、ひとに惚れるって感覚がよぅ分からんのです」
これは事実だった。
幼少の頃から、煉斗の友達はコンピューターと筋トレグッズばかりだった。だから、誰かを好きになるという感覚が今ひとつピンと来なかった。
「まぁその辺も、勉強ってなとこっスかね。一生分からんかも、ですけど」
「ふぅん、そうなんだ……じゃあ、今はフリー、なんだね……そっか、そっか」
麗菜は何度もひとりで頷き返している。
彼女が一体何に納得しているのか、煉斗には理解出来なかった。