4.お世話したかった彼女
それから、小一時間後。
煉斗の部屋のキッチンには、何故か麗菜の姿があった。
彼女は持参したエプロンを身につけ、冷蔵庫の中のものを次々と引っ張り出して夕食の準備に取り掛かっていた。
(何でこんなことに……)
幾ら考えても、よく分からない。
煉斗はいきなり訪問してきた麗菜に用向きを尋ねたところ、彼女は夕食を作らせて欲しいと申し入れてきたのである。
曰く、煉斗の住所を見た瞬間に、彼女は煉斗がワンルームマンション住まい、即ちひとり暮らしだということにすぐ気付いたということらしい。
「んもー、ホントにびっくりしちゃった。うちから歩いて五分もかからないとこだったから、最初天笠くんちの住所見た時、目ん玉飛び出しそうになっちゃったよ」
あっけらかんと笑いながら、手際良く調理を進めてゆく麗菜。
家の近くにはワンルームマンションはそんなに数が多くないから、マンション名を見た時には相当にびっくりしたと麗菜は心底可笑しそうに肩を揺すった。
が、そんなことよりも煉斗は、何故彼女が煉斗の為に夕食を作ろうなどと思い立ったのか、そっちの方が遥かに気になってしまった。
「まぁ、作って下さるんは嬉しい話なんスけど……何でまた急に」
煉斗が問いかけると、麗菜はほんの一瞬だけ手を止め、頬を幾らか上気させて小さく俯いた。
「わたしね……あんな風に優しくして貰ったの、初めてだったんだ」
あんな風にとは、どんな風になのか。
その点が煉斗にはさっぱり分からなかった。
麗菜曰く、元カレに暴力を振るわれそうになった時に、煉斗がすぐさま助けに入ってきたのが、相当に嬉しかったというのである。
そこが煉斗には、よく分からなかった。あんなのは、普通のことではないのか。
ところが麗菜は小さくかぶりを振った。
「わたしね……今まで付き合って来たカレシから優しくして貰ったりとか、守ってくれたりとかって、ほとんど経験が無かったから……」
予想外の応えだった。
そんなことがあり得るのかと、煉斗は本気で疑った。
しかし麗菜は自嘲気味に苦笑を浮かべながら、小さく肩を竦めるばかりだった。
「わたしってね、何だか、尽くし過ぎるみたいなんだ……昔から、わたしって何でも自分で出来ちゃうから、可愛げがないっていわれてたの。だからね、付き合うひとには極力尽くしてあげようって、そんな風に思う癖がついちゃったみたい」
その結果、これまで付き合ってきた歴代カレシは皆、麗菜の尽くし過ぎる姿勢に甘えてしまって横柄な態度を取る様になってしまったらしい。
そして遂には彼女に優しくしたり、或いは守ってやろうという気持ちが、ことごとく無くなってしまったのかも知れないのだという。
そういえば浮気していたという例の元カレも、麗菜に対しては相当に上から目線でものをいっていた。
あれも結局は麗菜に尽くされ過ぎて、勘違いしてしまったのかも知れない。
実際麗菜は、今まで付き合って来たカレシ達から邪険にされたり、時には暴力を振るわれたことも一度や二度では済まないとの話だった。
「こらまた意外な話で……美柄さんってクラスの皆にも人気あるから、逆にちやほやされてるもんやとばっかし思うてましたけど」
「うーん……そうなのかなぁ」
麗菜は本気で悩んでいる様子で小首を傾げた。
その間も、調理の手は一切休めることがない。こういうところを見ると、今までのカレシに尽くし過ぎてすっかり慣れているという面も、確かにあると思わざるを得なかった。
「だからね、あの時、ホントに嬉しかった……こんなわたしでも、守ってくれるひとが居たんだな、って」
これはかなり重症かも知れない。
何故、彼女程の美貌の才女がそこまで自らを貶めなければならないのか。
煉斗にはさっぱり分からなかった。
だがそれも結局は、余りに豊か過ぎる才能が、彼女の女性としての幸せを奪う結果になったのだろうか。何とも皮肉な話だった。
などと話しているうちに、美味そうな匂いが室内に漂い始めてきた。
麗菜が用意してくれたのは、カレーとサラダのセットだった。
煉斗はカレー皿と小さなサラダ鉢を二組取り出し、シンク横の調理台へと並べてゆく。そんな煉斗の姿を、麗菜は本当に嬉しそうに眺めていた。
「イイなぁ……こんな風に手伝ってくれたカレシ、今までひとりも居なかったなぁ」
「それも大概な話ですよ」
余りに極端な男運の無さに、煉斗は呆れてそれ以上の言葉が出てこなかった。
どうして麗菜の様な美人がこんなにも不憫な目に遭わなければならないのか、寧ろその方が不思議でならなかった。
やがて、テーブル上にはふたり分のカレーセットの用意が整った。
最後に煉斗が冷蔵庫から沸かし置きの麦茶を取り出してきて、準備完了である。
この後、麗菜は明るい笑みを湛えながら煉斗とふたりで美味いカレーを堪能していた。その心からの笑みに、煉斗は逆に申し訳無さを感じてしまった。
(俺みたいな陰キャの為に、こないな時間を割かせてしまって申し訳ないなぁ)
麗菜ならばきっと、もっとイイ男を新しいカレシとして迎え入れることが出来るだろう。なのに何故、自分みたいな日陰のぼっちの家になんぞ足を運んでくれたのか。
兎に角その点だけが申し訳無く思えてならなかった。
ところが気が付くと、麗菜はカレースプーンを手にしたまま、煉斗の野暮ったい面を妙に熱っぽい目線でじっと見つめていた。
「俺の顔、何かついてます?」
「うぅん……そうじゃなくって……その、何かイイなぁ、って思っちゃって……」
その直後、麗菜は急に顔を真っ赤にして俯いてしまった。
何故彼女がこんな反応を示すのか、煉斗には全く分からなかった。