09
「うわー、これがバグってんのか。ヤバかったなぁ」
ぼそりと、人によっては身震いするほど恐ろしい事を独りごちる男がいた。
男と言ったが、それは人間ではない。頭部には髪も口も目も鼻もなく、体表面はつるつるとした輝きを放つ。服は着ておらず、不気味な色彩のマネキンのような姿形をしている。体型にあまり特徴はないが、若い少年のように見える輪郭だ。
少年の種族名は、人間の声では言い表せない。人間に理解出来る呼び名を付けるならば、高次元知的生命体だろうか。住処も高次元の領域で、虹色に輝く無数の光に満ちた平原のような世界だ。少年と同じように顔の凹凸がない動物や、つるつるとした体表面の虫、或いは植物なども数多く暮らしている。
高次元知的生命体も少年一人だけではなく、あちこちにいた。数も百や二百ではない。何十万といる。マネキンのような姿故に個性は少ないが、ある程度の個体差もあり、年寄りや子供、男や女などに似た姿が見られた。勿論彼等は人間ではないので、その特徴が人間と同じ意味を持つとは限らないが。
「何々? この前創った宇宙でバグでもあったの?」
少年に話し掛けてきたのは、一目で少女と分かるぐらいには可愛らしい雰囲気の高次元知的生命体だった。
少年は少女の方に振り返り、肩を竦めながら答える。眼球などないのに、彼等のコミュニケーションはまるで視覚に頼るかのようなものが多かった。
「そーなんだよ。ほら、ここの処理。どうも計算処理が飛んでいるんだ。負荷が大きいと頻発率も高い」
「アンタ、またプランク間に処理纏めて書いてるでしょ。あそこは元々処理が多いんだから、あんなところに追加したら問題起きても仕方ないじゃん」
「だってよー。認識外時間のうちに処理終わらせると動きが滑らかだし……」
「それで宇宙が崩壊したら元も子もないでしょーが」
少年と少女は世間話のように話し、それからある場所を見る。
そこには、小さな『宇宙』が浮かんでいた。
――――高次元知的生命体達は、宇宙を創り出す事が出来る。
全ての宇宙を創り出した訳ではない。無数にある宇宙の大部分は自然発生したもの(天然物と彼等は呼んでいる)であり、彼等の創り出す宇宙はその中のほんの一部だけ。無限に等しい数の中の一摘み、ぐらいの比率である。彼等の住まう宇宙の創造者だって『自然』であり、彼等自身ではない。神のような力を持ってはいるが、ただそれだけの存在だ。
彼等自身もそれをよく弁えており、創った宇宙を支配しようとは考えていない。破壊する事、干渉する事も好まない。中にはそれをする者もいるが、他の高次元知的生命体から白い目で見られる程度には、少数派かつ褒められたものではないという価値観がある。
では何故彼等は宇宙を創るのか。
それは、そこで生まれた生命や文明がどう発展するか、どんな未来を歩むのかを観察するため。様々な世界を創り、その発展や結末を観察する……それが彼等の『趣味』なのだ。
しかし宇宙の創造という大仕事は、高次元知的生命体にとっても簡単な事ではない。生命が誕生するほど整った宇宙には複雑な物理法則を設定しなければならないが、この作りが甘いと破綻した世界になってしまう。例えば高所から飛び降りるだけで時間旅行が出来たり、石から有機物が出来たり、真空の宇宙空間で音が鳴ったり。
そして未熟な若者が創った宇宙には、設定不備による問題が起きる事も多い。
「うわー、しかもこのバグ、増殖系じゃん」
今、少年少女が見ている宇宙も、その問題が起きていた。
どんな問題かといえば、負荷が大きくなると一部処理が正常に行われず、本来差し引き0になる筈の値が残ってしまうというもの。結果何が起きるかといえば、総質量の増加だ。そしてこの増えた総質量を調整する処理がないため、宇宙全体の質量が延々と増えてしまう。
当該宇宙ではシンギュラーと呼ばれている植物で、特に顕著な発生が確認された。水の吸収時に不具合が起き、細胞内で水総量が増えてしまう。しかも再現性が高く、条件を揃えば容易に生じる。このため膨大な水が無から生まれ、宇宙全体の総質量を少しずつ増やしていた。
宇宙の総質量が増えるのは、これ自体も問題である。無尽蔵とはいえ、有限の広さしかない宇宙をなんらかの物質が埋め尽くしてしまうのだから。
しかしそれよりも致命的な問題が、処理数の増加だ。
高次元知的生命体の創り出した宇宙は、『天然物』の宇宙と違い様々な制約がある。その最たるものが処理能力の上限が存在する事。彼等の創り出した宇宙は設定された法則に則って動くが、その処理は宇宙自体に付与された計算能力により行われている。この計算能力の高さは創造主である高次元知的生命体の技量や力、または体調に左右され、未熟な若者の創った宇宙はとても能力が低い。
計算能力が低い宇宙に物質が溢れると、計算が追い付かなくなる。一回一回の計算に時間が掛かり、次の計算をするまでの時間が伸びていく……
端的に言えば処理落ちを起こすのだ。宇宙に住む者の感覚としては、時間が遅くなったように受け取られるだろう。生物はその活動の複雑さから処理量が多く、処理落ちを招きやすい。生物数が増えると、劇的に処理が遅くなっていく。
高次元知的生命体の少年が創ったこの宇宙は、星系数が一つのごく小さな宇宙である。計算能力も極めて低い。このため一惑星での物質・生物数の増加が、大きな処理落ちを招いたのだ。
「ああ。だからそのうち処理が上手く行かなくなって、内部時間の進行が止まると思っていた」
「あーあ、かわいそ。こんな雑な奴に生み出されて……ん? 思ってた?」
「そう! そこなんだよ!」
少年は興奮しながら、文字が表示された半透明な板状のもの――――立体映像化した『ログファイル』を少女に見せる。
ログファイルとはプログラム内で起きた処理を書き出したもの。今回彼が見せたのは宇宙での処理内容……つまりは歴史だ。そこには少年が生み出した宇宙で起きた、全ての歴史が書き出されていた。
どれどれと言いながら少女は覗き込み、ログファイルを読む。最初は顰め面で、次に驚き、ふんだくるようにログファイルを掴む。
「うっそ!? この宇宙の知的生命体、自力でバグに気付いたの!?」
「そうなんだよ! すげぇだろ!?」
ログファイルにはしっかりと記録されていた。シンギュラーによる質量増加、それを起因にして起きた時間遅延を人類が発見。更には解決方法を見出し、政策として実行した事さえも。
不具合の発見から三千年が経過した今でも文明は存続し、時間の遅延は以前より解消している。施設の効率化などを進めれば、より問題は改善するだろう。
「やっぱ、生き物ってすげぇな! 俺でも諦めていた事を、自力で解決したんだから!」
少年は興奮気味に、その宇宙の生命を褒め称える。
この感動こそが、宇宙を創り出す醍醐味。自分達よりも、その被造物こそが素晴らしいと、少年は心から信じていた。
そんな少年を見て、少女は優しく微笑む。
「そうね。でもバグらせたのはアンタがクソみたいなコードを書いた所為なんだから、反省はしなさいね?」
けれどもキッチリ問題点は指摘してきたので、未熟な創造主はしょんぼり項垂れるのだった。




