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シンギュラー発見から六百年後。
人類は繁栄を謳歌している。核融合発電は更に効率を上げ、産業の自動化を果たすロボット達も高性能化した。それも急速に。
何故急激な発展が出来たかといえば、二つの理由が挙げられる。
一つは研究者の増加。研究という行為は、それ自体は金や富を生むものではない。故に誰かからの『支援』がなければ成り立たないが、支援者は当然ある程度の成果がなければ支援なんてしたくない。このため研究職というのは非常に優秀な、一部の者にしか就けない職種であった。しかし政府の食料政策のお陰で、食べるだけなら収入は必要なくなった。このため趣味として研究を行う者が増え、様々な分野で発展を生んだのだ。
また無給でも研究出来る事から、今まで「経済性がない」「採算が取れない」などの理由から、スポンサーが得られなかったテーマ……例えば虫の生態などの研究が思う存分行えた。
経済性がないと言ったが、本当にそうとは限らない。研究が何を生むのかというのは、実際に調べなければ分からない事が多いのだから。発光する軟体動物の成分から難病の薬が作れるとしても、それは軟体動物を発見した時点では誰にも予想出来ない。軟体動物を観察して発光すると分かり、どうやって発光しているのかを解明し、その発光成分を抽出して、その成分の薬理作用を解き明かしたから、薬は開発出来たのだ。「軟体動物が光ったところで役に立たない」として調べなければ、難病の薬は永遠に開発されない。
なんでも研究出来る時代が、「お金になるか分からない」から研究しない時代よりも、格段に技術発展のスピードが上がるのは当然だった。
発展したのは技術だけではない。人口も増加していた。
近代化するほど少子化が進んでいた人類。そうなった原因は様々であるが、夫婦どちらかの働き詰めによる子育ての負担増加、子供の教育に必要な費用など、経済的・肉体的制限は大きな割合を占めている。つまり過剰な労働、豊かさを求める社会風土が大きな問題だった。
労働が必要なくなれば、夫婦で子育てを行える。キャリアアップを求める必要もない。食料はいくらでも供給されるため、子供を一人や二人と言わず、十人二十人作っても問題なく養える。学業の多くが無償化され、学ぶ意志のある者を受け入れる体制も出来た。
たくさん子供がほしいと思っていた人達の『制限』が取り払われた事で、出生率が一気に上がったのだ。他には女性の身体的負担を避けるための、人工子宮なども(経済性を無視した科学者達の努力もあって)開発された事が大きい。精子・卵子提供などの仕組みも整い、独身者も自由に子供を持てるようになった影響もあるだろう。
とはいえ人口増加は、大きな問題も生む。人が増えればそれだけ資源消費も増えるし、住むための土地が必要だ。すると自然環境の破壊が深刻化し、異常気象を引き起こして人類の生存を脅かす。
だが、この問題も解決した。
人類はシンギュラー発電施設を起点に、高層型巨大都市を作り上げたのだ。これは一定機能を有する区画を『一層』とし、積み木のように重ねていく事で都市を作り上げるというもの。縦方向に社会を積み上げる事で、横に広がる自然環境の破壊なしに人の暮らす土地を増やしていける。
これが可能になったのは、核融合発電技術とシンギュラーのお陰だ。核融合発電では水素を燃料に使う。しかし使われた水素は、消えてなくなるのではない。核融合の名の通り、原子同士が融合して別原子となる。
例えばトリチウムと重水素を用いたD―T反応という核融合の場合、ヘリウムの同位体He4が生成される。このヘリウムを更に核融合すると、ベリリウムの同位体Be8が生まれる。Be8を一億度以上の高熱環境に置くと、He4と核融合を起こしてC12……炭素を合成する。
こうした核融合を繰り返す事で、鉄までの重さの原子を自由に作り出せるのだ。鉄より重い原子となると超新星爆発並の出力が必要なため、流石に今の人類ではどうにも出来ない。だが見方を変えれば、それ以外の元素を無尽蔵に作り出せるとも言えた。
この潤沢な資源により、人類は超硬度建材の開発に成功した。何十億トンもの重さでもビクともしない、凄まじく頑強な素材だ。これなしには、超高層文明など机上の空論で終わっていただろう。
勿論数億度の高熱を生み出すのは、核融合発電のエネルギーを用いても簡単ではない。一つの核融合炉で作れる素材量はほんの僅かだ。しかし僅かでも超硬度建材の生産ラインが出来れば、核融合発電所も積み上げていける。核融合発電の数が増えれば素材の生産量も増えていく。素材が増えれば更に核融合発電所を増やし、また素材の生産を増やせる……時間さえ掛ければいくらでも増築していけるのだ。
核融合発電の役割はこれだけではない。
核融合により炭素を大量生産するのも、核融合発電の仕事だ。この炭素は様々な方法(火力発電など)で燃焼させ、その過程で発生した二酸化炭素を大気中へと放出する。
数百年前の人類にとって二酸化炭素は、気候の温暖化や海洋酸性化を引き起こす厄介者だった。しかし植物にとっては光合成で栄養分を作り出すために必要な原料であり、それは巡り巡って、植物を食べる人間や動物の身体を作る材料でもある。そして炭素自体は、やはり有限の『資源』だ。
つまり人間の数が増え、その食べ物となる家畜や植物が増えると、その分だけ二酸化炭素が減っていく。しかも水素を燃料とする核融合が主電力となった今の人類文明は、殆ど二酸化炭素の放出をしない。人類文明が発展するほど、二酸化炭素濃度は低下していった。
二酸化炭素が減ればいくら光合成しても栄養が作れず、栄養が作れないから植物は育たない。シンギュラーが作れるのはあくまでも水だけ。よって二酸化炭素がなければ、シンギュラーが育つ事はない。二酸化炭素濃度の低下は、人口増加に転じた人類にとって新たな火種だった。無論シンギュラー以外の植物にも同様の問題が起き、二酸化炭素濃度の低下による生育減衰、それによる野生生物の絶滅が危惧されていた。
しかし核融合が生み出す二酸化炭素により、問題は解決した。人間が増えた分だけ二酸化炭素を供給する事で、生命にとって適切な濃度を保つ。こうすれば植物の成長が妨げられる事はない。他の栄養素であるリンや窒素も、いくらでも合成し、排水などの形で自然界に供給出来る。
人類は、資源の枯渇からも解放されつつあった。




