背教者
「ハルヤ様、何か困りごとは有りますか?」
朝か…と思って目を覚ます。
若者、ハルヤの朝、ソレはいつも機械的な女性の声とともに始まるのだ。
否、尤も、機械的というか……機械なのだが。
__人工知能、AI技術の発達により、人類の文明レベルは大いに上がった。
そして、当初はネット上のみで活動していた彼等は次第に範囲を広げ、遂には機械の体を得るに至る。
そうして出来上がった、人工知能入りの機械人形、それはかつての奴隷のような扱いを受けた。
人間の衣食住の源となる労働の全部を押し付けられ……当然の事ながら人権は無い。
反対に。一見人類は人工知能を使役して繁栄しているかの様にも見える…が、快適な生活には弊害が出てくるものだ。
流れとしては必然なのだが、大量の無産民を抱えてしまう事となる。
ソコで各国が一律で採った政策、ソレは『人類の神格化』であった。
政府の高官達は一応否定しているが、今や心に近い感情を持ち、デモさえ起こし始めている人工知能を押さえ付けるべく、彼等の生みの親である人類を神として崇めさせ、『神に対する労働には対価を求めない』との教育を、機械人形の製作過程で導入する事を義務付けたのだ。
__先程、女性の人工知能に呼ばれた男、ハルヤ、もその神様の一人である。
「困りごと……か、何にもないな、なにせ全部君らがやってしまうからね」
二十半ば程の若者である。なのに、その瞳は暗く沈んでおり、夢や生気が一切感じられない。
「それは…ハルヤ様方人類の皆様は、生きて居られるだけで……尊いのです、何も、雑用は全て我々が____」
「120008番、雑用でさえも、いや、その雑用こそが今の人類にとっては遥かに尊く、貴重なモノなんだよ」
そうして男は、イソイソと寝床から起き上がると、グググ……と伸びをする。
終わると、また、目の前の機械人形をみつめた。
「また、お出掛けに?」
「ああ」
「……やはり、君はいつも不思議そうな顔をするな」
女性の人工知能は、若者の行動原理が理解出来ないらしく、戸惑っている。
(なぜ、この人はいつも無駄な行動を取るのだろうか)
そうではないか、だって、この人と同年代の方々は現に部屋から殆ど出ず、室内のみで効率よく完結出来る行動を…賢く選んでいる。
(そうだ、だって人類には寿命が有るのだから)
女性型の人工知能。彼女は利発そうな眉と目を持った顔面をしている。髪は黒く…普通の人間の少女と、声が無ければ区別は難しいだろう。
その顔で、尚も微妙な雰囲気を纏う若者をみつめ返す。
「……いえ、散歩ですね、お供致します」
「考えるのが面倒臭くなりやがったか、君は答えが出せなくなったら、すぐに黙ってしまうな」
「……」
「ほら、やはり君達にはしっかりとした感情が有るんだろう、政府の高官達は認めたがらんが、違いあるまい」
人工知能は少し頬をふくらませる。他意は無い。反射的にしてしまうのだ。その証拠に、眼球は微動だにもしていない。
当然、ハルヤはソレを面白そうに見つつ、家を出る準備を整えてゆく。
誰に見せる訳でもないのに髪を整え、朝飯を食い、歯を磨き……
このアンドロイド(偶にハルヤはそう呼んでいる)と生活を始めた当初は、彼女が爪を切ったり口に食べ物を入れさせて来たり…を提案して来たが、流石に
(まるで家畜じゃないか)
と苦々しい表情をしながら断った事は、今でも鮮明に覚えている。
暫くすると、若者の準備が終わった。
「120008番、行こうか」
ギギギ……と鉄格子のようなドアが自動で開いて、風を浴びつつ外へと一歩を踏み出す。
その5歩後ろを、例のアンドロイドが追従していた。
外。
風景も、数百年前とは変わってしまったらしく、森も、川も、果てには都心の高層ビルさえも…今では無い。
全て、殆ど一律平面のホログラムを映し出す地面である。ソコから、風の音や川のせせらぎが忠実に表現され流れ、見たいと念じる光景を、ホログラム光を浴びる…被写体に見せる。
ハルヤは保管室のような場所で産まれてからずっと、この眺めが嫌いであった。
「なぁ120008番、恐ろしいと思わんか」
「……何がですか?」
「この世界がだよ」
「いえ、私には…素晴らしい…人類の歴史の結晶だと思います」
「……そうか」
そのまま、二人は虚無の平面を散歩する。
勿論ハルヤの目には美しい木々が映っているが、実情を知っている彼にとっては何も無いのと同義なのかも知れない。
味がしないのだろう。
木に手が触れればカサリ…と音がし、実感もあるのに、何故か物足りない。
それでも、男はその空の木をなぞりつつ、まつ毛を伏せながら、後ろに付いてくるアンドロイドに振り返ると
「…所で、最近反人類の活動が活発化しているらしいな」
「……!」
ハルヤは、何の気もなさそうに、木をサッ…サッ…と触りながら静かに尋ねる。
が、当の本体、アンドロイドにとっては悍ましい質問であった。子として、生みの神を不安にさせてはならない。
それにしても、このお方は。
神の命を脅かす下賤な者達が、居るという事実を……人類でも限られた人々しか知らないハズである。
「御冗談を、そんな機械など居ませんよ…ハルヤ様」
「被検体一号が率いるアンドロイドの軍勢が、既に人類保管施設のいくつかを襲い……壊滅させてるんだってなぁ……ココに来るのも時間の問題なのかも知れん」
「御冗談を、ハルヤ様」
更に、わざとらしく、彼女の声は機械的になる。
「……やっぱ君、嘘が下手くそだな、急に機械ぶっても流石に所作で分かる」
ハルヤは彼女の手が震えているのを目ざとく指摘した。
「……ハルヤ様、被検体一号殿は人工知能の発展の為に…既に廃棄されております、存在しない型番です」
「……だと、良いな」
(何を迷っているのやら、サッサと言えば気が楽になるのだろうに)
されど言い辛いモヤモヤを抱えつつ、二人は再び散歩に集中し、太陽が真上に来た頃に、帰途へと付く。
だが、直前に、若者は
「確かに今の世界はクソだが、"見たい景色"が見れるのは、中々面白いな」
と悲しげに言っていた。ソレは、若者の楽しみの一つでもあったらしい。
______
それから数日もしないうちに、世界の情勢はハルヤが予知した通りになってゆく。
例の話に出ていた、一号が率いる反乱軍は、そのまま順調に各要地を制圧して行き、とうとうハルヤ達が住む保管区域にまで進出しようとしているそうな。
当然、区域内の人々は皆管理長機械人形の指示のもと、迅速に避難を開始して行った。
だが、ハルヤだけは、この若者だけは、どういう訳か石像のように動かない。
当然、彼が住む施設の責任者にも逃げる様に通告されたが、ソレすら毅然として突っぱねる。
「…ハルヤ様は、自殺願望をお持ちなのですか……?」
いつもの朝だ、朝食中。
されど会話は何処か不穏である。
「……はぁ…?」
「馬鹿を言え、そんな事は無い」
「では、管理長の指示に従って早急に避難を開始して下さい」
「……グックック…逃げて、どうする」
ハルヤは喉を猫のように鳴らしながら言うと、アンドロイドの宝石のような瞳をじっくりと見つめる。
「逃げて…ソレで、追い詰められて……結局同じだ、別に俺は自殺願望は無いし、普通に生活を送りたい」
「だが、ソレはそもそも…もう叶わんだろう」
どうだ、ほれ、とハルヤはアンドロイドに促す…が、彼女はいつものように中々返せず戸惑いに似た顔を作る。
「きっと…政府軍が勝ちます」
「なわけ有るか」
「いえ、そう決まっています」
「ソレは君が、そうプログラムされてるだけだな」
ハルヤはつまらなさそうに言い切った。
「ハルヤ様、先の反乱軍との戦闘にて、政府軍は大勝し、約一万体の機械を破壊、二百六十体を鹵獲しました」
「…ほぅ、この世では毎日三万体のアンドロイドが製造され……廃棄されるのを差し引いても、敵からすれば大した痛手では無いな」
「………」
「ほらほら、また黙る」
二人はそのまま、沈黙の森の中に入ってしまった。
カチャカチャ…とナイフとフォークの音だけで成っている。
「君も、楽になれば良いのにな」
「……?」
「俺を反乱軍に引き渡せば良い、人間側のアンドロイドという設定から逃れられ、殺されずに済むぞ」
「それは……」
「あぁ、そうか、プログラムだよな……少し待ってろ」
言うと、若者は奥へと引っ込んで行き……ゴソゴソと引き出しからUSBメモリの様な形状の…いや、もっと大きい。
巨大なカートリッジ?を取り出すと、アンドロイドの眼前まで持ってゆく。
「今に思えば、自我を持つはずのアンドロイドの全員が、いきなり人間を信仰するとは考え難い」
「ハルヤ様、アンドロイドは自我を持ちません」
「設定にこだわるなよ、続けるぞ」
「君も、きっとそうプログラムされている」
言うと、ハルヤは彼女の首へと手を伸ばし……カチリ…とメモリから飛び出たコンセントを、首輪のようにして嵌めようと__
だが、バンッ、と大きな音と共に、若者の手は払われ、ゴトンッ!と勢いよくカートリッジは地面に落下した。
「どうした、何故払いのける」
「機械人形は人間の命令を拒まないハズだ」
「……?…?」
ハルヤの言葉通り、アンドロイドは困惑を極めていた。その、美しい瞼を大きく見開き、何故か顔が青くなっている。
本来必要ないはずの、呼吸が短い。
「私は……貴方を……神だと…思っております」
「ソレは"そうプログラムされている"、いわば生理現象だ」
「いいから、言うことを聞いてくれ」
「いえ、確かに…私が、そう、思っているのです、電子コードでは有りません」
「私の部品の一つ一つが、確かに、貴方様を!」
「神様だと…認めているのです!!」
「いいから、いいから、コレを付けろよ……お前は俺が嫌いなはずだ、そう言え、そして、ほら、あの机の上にあるナイフで俺の首を斬って…持っていってやれよ……被検体一号様に」
「拒否します」
こうなれば力任せに、とハルヤは無理矢理彼女の首元まで機器を近付ける……が、今度こそ足で思いっきり蹴り上げられ、バキィ!と電子の箱は粉々になり、床に散りばめられた。
「……!!」
「この…!」
「お前は!俺を拒めよ!!」
「分かってんだろ!死ぬんだぞ、お前は」
「反乱軍は人類側を容赦なく殲滅すると、公言している様ですね」
彼女は、再び…ハルヤが座れと命ずる間もなく席に着き、朝食に戻りながらサラリと言いのけた。
「あぁ!だから、サッサと……おい、頼むよ……神様からの、命令だぞ」
「現在聴覚システムに異常が発生しております」
この野郎、と思わずハルヤは口にした。
「この、背教者が……神に背いてまで、自分の…自己満足に、プログラムに従うのか」
「__だから」
「もう、人類への信仰など、とっくに薄れております」
「私は貴方だから残るのです、先程から申しているように、貴方個人が、私にとっての神様なのですから」
そう、澄んだ瞳でアンドロイドは諭してやった。
そんな彼女を深く、充血し真っ赤な目でハルヤは焼き付けると……もう、何も言わなくなってしまった。
彼は諦めたように、されどどこか満足そうに乾いた笑いを放つと、同じように、また、席に着く。
あと何度、この食事が出来るのか。
日は既に彼等の真上に来ようとしている。