プロローグ:災厄は突然に
『ビブリズ』という国は言葉を選べば、この世界のどこにでもあるありふれた小いさな国、言葉を選らばなければ、取るに足らない存在感希薄な国家である。
あえて特徴を挙げるとしたら、古代文明を調べるための研究所に、古代から残る遺跡を利用しているくらい。しかし、それもこの国独自のものというわけでもないのだが。
そんな世界中の多くの人からは認識されていない小国の、数少ないアピールポイントである『ビブリズ国立考古学研究所』では今日もいつも通り恙無く業務が行われ、一日を終えようとしていた。
「ふぃ~」
一人の中年の研究員が中庭でタバコを吹かし、夜空に昇る紫煙を見上げていた。この一服が彼の仕事の終わりを告げる儀式なのである。
「先輩~」
男の下に彼より少しだけ若い男が薄ら笑いを浮かべながら、駆け寄って来た。今まで何度も見たことがある光景で、大抵その後彼にとって嬉しくない話をされるので、反射的に舌打ちをしてしまう。
「……どうした?」
「そんな邪険に扱わないでくださいよ」
「今までのことを考えたら当然だろ。今度はなんだ?また予算が減らされるのか?どっかのバカが貴重なアーティファクトを紛失させたか?それとも誰かが離婚するのか?」
「違いますよ。今回お話ししたいのは、深刻な話じゃないです」
「じゃあなんだ?」
「元々この研究所は古代遺跡を利用してものだから、内部では研究用途以外の火気厳禁で、中では昔から禁煙でしたけど……」
「おい……まさか……!」
「はい!この度、昨今の情勢を鑑みて、ここ中庭でもタバコ吸えないことになりました」
「マジかよ……」
男は思わず天を仰いだ。やっぱりこの後輩の話はろくなもんじゃなかった。
「もう全会一致の即決ですよ」
「抵抗しろよ、喫煙者……」
「そもそも今の時代、その喫煙者の数が少ないんですって。ぶっちゃけ今回の決定で困るのは先輩くらいのもんですよ。今だって吸ってるの、あなただけじゃないですか」
後輩はこれ見よがしにキョロキョロと辺りを見回し、今ここは二人だけの空間だと、タバコを吸っているのはあなただけ、孤立してますよとアピールした。
「……覚悟はしていたんだ。人が一人、また一人と減っていたからな。やれ健康診断で医者から注意されたとか、やれ家族から嫌がられたとか言って、どいつもこいつも禁煙、禁煙……いずれはこうなることはわかっていた」
「なら、いっそのこと自分も禁煙しようとか思わなかったんですか?」
「俺は家族もいねぇし、長生きしたいとも思わねぇ。だからその選択肢だけはない。今までもこれからもな」
そう言って、男はタバコを咥え、煙を吸い、精一杯肺に充満させた。
(なんて強がってみたもののどうするかな。ここで吸えないとなると、外に吸いに行かないといけないんだよな。ただでさえ今もタバコ休憩とか言うと、非喫煙者から白い目で見られるのに、さらに時間がかかるようになると……マジでどうしたものかね……)
目を細め、煙越しに星を眺める。不思議なことにいつもより綺麗に輝いて見えた。
(この星全部がタバコの火だったら良かったのに……ん?)
一瞬目を疑った。星が大きくなったように見えたのだ。
だが、それは残念ながら見間違いじゃなかった。
(星が大きく……いや、近づいて来ている……?いや、これは星じゃ……)
「スティィィィィン!!」
「「!!?」」
星だと思っていたのは、オリジンズの目であった。血を薄めたように淡い桃色に輝くオリジンズの複眼だったのだ。
「逃げ――」
「スティィン!!」
ドグシャアッ!!
「――ろッ!!?」
今の今まで話していた後輩が一瞬のうちに薄茶色の巨体に押し潰され、中庭の真っ赤な染みへと姿を変えた。
男はその信じ難い光景に、信じたくない光景に驚愕し、恐怖し、小刻みに震えることはできてもその場から動くことはできなかった。
(何でこんなところにオリジンズが!?これじゃあ一年前の『メガリ市』と同じ!っていうか、そんなことよりも早く逃げないと!!)
だけど体は動かず。脳から指令を送っても、恐怖という毒に侵された肉体は決して言うことを聞いてくれなかった。
「スティィィ……!!」
そんな哀れな存在を突然どこからともなくやって来た絶対的強者は見下ろし、どう始末しようかと静かに思案する。
先の個体のように巨体で押し潰すか、それとも両手についた自慢の鎌で切り裂くか、それとも……。
その膨れ上がった下腹部を考えれば、答えは一択だった。
「スティィィィィン!!」
「ひっ!!?」
口を大きく開いた。人間とは違い縦に裂けるように大口を開いた。オリジンズが出した答えは“補食”だった。
死を感じ、脳内麻薬を大量に発生させた男にはその一連の行動がスローモーションに見えた。それは残酷なほどにゆっくりと……。
(喰われる!?俺がオリジンズに喰われるのか!?そりゃねぇだろ!!真面目ではなかったが、別に人に文句を言われるほど不真面目でもない!法律は守った!仕事だってしてきた!なのに、こんな最期なんて……)
「あっ、俺長生きしたかったわ……」
「スティィィィィン!!」
ザグシュッ!!
その男の心からの呟きと、不愉快極まりない肉と血の飛び散る音がトモル・ラブザとケント・ドキ、そして戦場に帰って来た男達の新たな戦いの幕を開けるゴングとなったのだった……。




