聖なる涙を求めて①
バーの樹海……鬱蒼と木々が生い茂り、オリジンズも大量に生息し、さらには古来よりそのオリジンズ達の血液を摂取し、異形の姿に変化する力を手に入れたドリン族という仙獣人の集落があるこの場所に足を踏み入れる者は少ない。
そんな場所をまるで何事もないように悠々と闊歩する男が二人と妖精が一人……。
「ここまでは順調だな……この蒸し暑さはこたえるが」
言葉とは裏腹に無表情を崩さず、トラウゴット・マジエンスは額の汗を拭った。
「ですね。でも、オリジンズに襲われるよりは遥かにマシです」
そう言って同じく汗ばんでいるトモルが近くの木を撫で、上を見上げると、枝にとまっていた翼を持った小型のオリジンズが飛び立っていった。
「多分、ありゃあトモルにビビってんだな。野生の獣はバカな人間と違って、力の差がわかった上で挑んでくるなんて愚かな真似はしないから」
一人汗一つかいていないアピオンは同族達の聡明さにただただ感心した。
「では、オリジンズの妨害はこの後もなさそうだな」
「そうだといいんですけど、ちょっとした刺激で狂暴化するのもまたオリジンズですから」
「だな。あまり不用意な行動は取るなよ、トラウゴット」
「アピオン、上から目線過ぎ」
「実際そうだろ。こういうことに関しては、おれっち達の方が経験豊富な大先輩なんだから」
「アピオンの言う通りだ。必要とあれば気にせずどんどんと言って欲しい。下らない気遣いの結果、命を危機に晒すことの方がワタシにとっては問題だ」
「そうですね……命が一番大事ですもんね」
トモルはトラウゴットに応えながら、ならばなぜ元々こういうことに慣れているジョゼットをこの任務に寄越さなかったんだろうという疑問が頭に過った。
「なら、ワタシよりジョゼットが来るべきだと思っているのか?」
「!?」
そしてその考えは見事にトラウゴットに見事に見透かされていた。
「図星か。やはりワタシでは不服か?」
「違います!トラウゴットさんに何の不満はありませんよ!」
「わかっている。ちょっと意地悪しただけだ」
両手を横に振って、慌てて否定するトモルを見て、微動だにしなかったトラウゴットの表情筋が綻んだ。
「人が悪いですよ、トラウゴットさん……」
「悪い悪い……だが、仕方ないと理解していても侮られていると思うと、ついな」
「やっぱ気にしてんじゃん」
「ここで少しも悔しさを覚えない人間は成長しないよ」
「もしかしてご自分が成長するためにこの任務を受けたんですか?」
「いやいや、今回の采配はメルヤミお嬢様が決めたもの、お前も目の前で見ていただろうが」
「そうでした。でも、それならなんで……メルヤミさんはその人が一番力を発揮できる得意分野をやらせるタイプだと思っていたんですけど……」
トモルは思わず腕を組み、小首を傾げた。
「普段だったらそうだが、今回の場合はな」
「それってどういうこった?」
「ワタシ個人としてはあの古代人、オルコという人間は信頼に値すると思っている」
「ぼくもです」
「おれっちも。けど、それがどうしたっていうんだ?」
「個人の感情だけで、あれだけの力を持った者を野放しにはできんだろ。お目付け役を側に置いておかないと」
「お目付け役……あっ!」
ここで漸くトモルとアピオンはメルヤミの考えに気付いた。
「メルヤミさんはジョゼットさんをそのお目付け役にしたかったんですね」
「奴が暴走した時にやり合うことができるのは、ドラグゼオかフィジカルブーストしたブラーヴ改二だけだと判断したのだろうさ」
「トモルは不戦の矢の解除のためにこのバーの樹海に行かないと駄目だから、自然とジョゼットのおっさんが残ることに決まっちゃったのね」
「考えてみると、妥当としか言えない判断ですね……」
「さらに付け加えると、もしトモルが万全の、今こうして楽しくおしゃべりできている状態を維持できると確信できていたら、単独で行かせていたと思う。しかし、オルコが嘘をついているとは思わないが、不戦の矢に関しては専門外だと言っていたからな……何か彼の知らない効果でお前が不調をきたす可能性も否めない」
「そん時のためにトモルにもお目付け役が必要だってことか」
「そしてそれがこのワタシ」
「……あの短時間でそこまでのことを……さすがですね、メルヤミさん」
トモルは改めてメルヤミのことをただの箱入り娘ではないと、感嘆し……。
「そうだろうそうだろう!お嬢様はさすがなのだ!」
それを見てトラウゴットが誇らしげに胸を張った。
「なんであんたが誇らしげなんだよ……」
「お前達より付き合いが長いし、これからもウレウディオス財団のトップに立つ彼女に仕える気満々だからだ!」
「答えになっているような、なっていないような……」
「メルヤミお嬢様の深謀遠慮の凄まじさだけわかっていればそれでいい。それよりもワタシが疑問なのはお前の方だ、トモル」
「ぼくですか?」
トモルはきょとんとした顔を自ら指差した。
「得体のしれないものが身体に入っていたらもっと取り乱しもしそうなものだが、何故そこまで平静でいられるんだ?」
「どうしてって言われても……特に体調に異変がありませんからね。あれは夢だったのかって思うくらいですよ」
「戦えないのは殷則って奴だけだしな」
「そうなんだよ!もし奴が不死の怪物を作ろうとしなければ、ジョゼットさんやケントさんに殺してもらって、それでおしまい、こんな蒸し暑い場所に来なくても良かったのに……!」
トモルは「チッ!」と舌打ちをして、眉と口をへの字にした。
「そういうところは揺るぎないな……しかし、だとしてももっと色々と考えてしまう気がするが……」
「他のことに意識がいっていたからかもしれませんね」
「他のこと?」
「実はぼく、ここ最近秘密裏に挑戦していることがあるんです」
「ん?そうなのか?」
「ドラグゼオの燃費が悪いのはご存知ですよね?」
「あぁ、確か人を治療する炎が特に精神力を削られるらしいな。あとドラゴニック・ブレイズパニッシュメントとやらを使うと一発でヘロヘロに」
「はい、情けない話ですけど……」
「それを改善しようとしているのか?」
「まぁ、そういうことです。正確には燃費に関してはどうにもならなそうなので、炎を使わず余力を残せる戦い方を模索している最中なんですよ」
「ふむ……気持ちはわかるが、あのターヴィやタリク相手に勝つことができたんだから、そこまで気にする必要はないと思うのだがな」
「あれはそもそも出し惜しみできる相手じゃなかったですし、何より勝利条件が明確でしたから」
「勝利条件?」
「あの時はターゲットを倒せば、それでOK……だけど、本来ぼく達がやる遺跡探索や今みたいなオリジンズのいる場所ではゴールもわからなければ、戦力の全容もわからない。だから、できるだけ消耗を抑えることが大事なんですよ」
「なるほど……やはりワタシはトレジャーハンターとして、戦士としてはまだまだ素人だな。そういう思考に至っていない……」
トラウゴットは自分を戒めるように額を手首でトントンとノックした。
「まぁ、下手に後のことを考えて、逆に損耗を激しくしてしまう可能性もあるんで、本当に大事なのはそこの見極めなんですけど」
「もしかして知り合いのメカマンに頼んでいるものもそれ関係か?」
「はい。飛行に関しては、外部的な処置でどうにかできそうだと感じたので、そのことを相談しているんです」
「それならうちのメイド達でも良かったんじゃないか?わざわざ他所に……」
「こういうのは昔からぼくの癖とか知り尽くしている方がいいのかなって。職人としても人間としても信用できる人ですし」
トモルはふとカレーショップ“千花”、もとい非合法武器屋“戦花”を訪ねた時のことを思い出した。
「何!?ウレウディオスの依頼を受けてたのかよ、お前!?」
「はい……」
驚くゴンドウの顔を見て申し訳なくなったのか、トモルは肩をすくめた。
「急に水中用のピースプレイヤーが欲しいなんて言うから何事かと思ったら、そういうことだったのか」
「はい……そういうことだったんです」
「んで、誤魔化した挙げ句、深海で死にかけた……と」
「はい……きちんと用途を伝え、相談するべきでした……」
トモルは罪悪感に加え、恥ずかしさもこみ上げ、さらに身体を小さくした。
「まったく……信用ねぇな、おれも」
「別に信用してなかったわけじゃ……」
「ならなんで正直に言わなかった?」
「それは……」
「どうせウレウディオスがバックにあると思ったらおれが高値でふっかけてくると思ったんだろ?」
「それは……」
「その通り!大正解だ!!」
「……え?」
ビシッと親指を立てるゴンドウを見て、トモルの目は点になった。
「正解なんですか?」
「正解正解!大正解よ!取れるところから取るのが、ビジネスの基本!値段なんて釣り上げて当然よ!!」
「ええ……」
「だからウレウディオスのことを黙っていたことは気にするな!お前が恥ずべきなのは、それを隠したまま深海用のピースプレイヤーを用意させる物語を準備できなかったことだ!そんくらいできなきゃ、いいトレジャーハンターにも傭兵にもなれないぞ!」
ゴンドウは改めて親指を立て、満面の笑みを浮かべた。
「はは……そうですね……」
「いや、人間としてはどうだろう……」
トモルは急激に不安になった。
「よくわからんが職人として信頼できるなら、それでいいんじゃないか?」
「カレーもうまいしな」
「カレーはともかくそうですね。もう頼んじゃいましたし」
「そうそう!気にしてもしょうがない!」
「では、話を戻しましょうか」
「お前の省エネ戦法の話か?」
「はい。オルコさんとの戦いでは正直判断をミスったかな……と」
「奴との戦いでも試していたのか?」
「ええ、あの時はオルコさんを傷つけないで捕らえたかったのもあったので、攻撃には炎を使わず防御にリソースを割いた戦い方をしていたんですが……」
「そうしてだらだらと戦ってたら、殷則に不意を突かれてこの様ってことか」
「面目ない……」
アピオンは呆れ、トモルは肩を落とした。
「あの時、余計なことを考えずに全力で戦っていたらこんなことには……」
「それは結果論だろ。もしお前が本気を出していたら、オルコももっと苛烈に攻めて来て、より大きな被害が出たかもしれんし、ワタシ達の話を聞いてくれなかったかもしれない……ワタシはあの時のお前の判断はそこまで間違ってないと思うぞ」
「そう言っていただけるとこっちも気が軽くなります……」
「そうだそうだ!終わったことは気にするな、トモル・ラブザ!」
ドン!
「痛っ!?」
気合を注入するように、迷いを追い出すようにトラウゴットは力強く背中を叩き、トモルはよろけた。
「すまん。力を入れ過ぎた」
「いえ、元気が出ましたよ」
「元気出せ出せ!まとめるとあれだろ?一番ダメだったのは、殷則を足止めできなかったお嬢様とおっさんってことだろ?」
「ひどい総括しないでよ、アピオン……」
「でも実際にそう思っているのだろう……あの二人は。だからメルヤミお嬢様はいつにも増して張り切っているし、ジョゼットは敵の居場所を探るなんて地味な任務にも文句一つ言わない」
「いつも通りな気もしますけど……でも、心がつっかえがあるなら、取り除いてあげたいですね」
「そのためにもカジュルルの涙を一刻も早く手に入れないとな」
「そのためにもお客さんとうまいことやらないとな」
「そうだね、お客さん……と!?」
「!!」
瞬間、トモルとトラウゴットは足を止めると、背中の荷物を投げ捨て、臨戦態勢へと移行した!
「アピオン……?」
「あぁ、来るぜ」
「オリジンズか?」
「似ているけど、違う」
「じゃあ……」
「多分、仙獣人って奴だろうな」
ガサッ!!
「……ほらな」
二人と一匹の前に木々をかき分け、四人もの異形の獣人が姿を現した。




