招かれざる客②
「ギシャア!!」
「おっと」
テナシェルカは不愉快そうにトゥレイターの手を振り払うと、先ほどとは逆方向、後ろに跳躍し、距離を取った。
「この感触……気持ち悪い!」
トゥレイターはというと、弾力性のある鞭を彷彿とさせる腕の感触を思い出しながら、手のひらに付着したぬめりのある体液を腕を振って、弾き飛ばした。
「ギシャアァァァァッ!!」
ブォン!ブォン!ブォン!ブオォォン!!
「うわっ!?」
その行為に怒りを覚えたのか、テナシェルカは両腕を目の前で勢いよく振り威嚇する。あまりのスピードに空気を切り裂く音が鳴り響き、未だ立てずにいるチーロの耳にも嫌というほど届くと、恐怖を駆り立てる。
しかし、トモルには……。
「そんなんでビビるほど……」
「ギシャア!!?」
「ぼくはやわじゃない!」
グンッ!グンッ!グニッ!!
「――ッ!?」
「ギシャ!!」
一気に懐に入り込み、怪物の胴体に立て続けにパンチを叩き込む!だが、その柔らかい身体に衝撃は吸収され、手応えはまったくなかった。
「そっちはかなり“やわ”みたいだね……身体も腕と同じでぐにゃぐにゃだ!」
「ギシャアァァァァッ!!」
返事代わりに再度トゥレイターの顔面に腕を撃ち下ろす!けれど、これも……。
「遅い!」
ドゴオォォォォォン!!
「うああぁぁっ!?」
くるりと回転しながら回避する。ターゲットを見失った腕は地面に激突し、アスファルトを破壊、破片が辺り一面に飛び散り、それから身を守るためにチーロは反射的に身体を丸めた。
ターンの途中でトモルはその情けない姿を確認する。
「チーロさんから離さないと駄目……か!!」
グニンッ!!
「――ギシャ!!?」
回転の力を利用して、後ろ蹴りを放つ!それは見事、無防備な怪物の腹を捉えたが、これまた手応え、この場合は足応えを感じなかった。それでもテナシェルカの身体を浮き上がらせ、一番の目的である遠くへ飛ばすことには成功する。
「チーロさん、まだ立てませんか?」
肩越しに座り込んでいるチーロをチラリと見ると、彼はブンブンと力一杯首を横に振る。
「重ね重ねすまないが、まったく腰から下が言うことを聞いてくれない……」
「そうですか……なら!こちらから攻めないと!!」
言葉を言い終わるかどうかの瞬間に、トゥレイターは地面を蹴り上げ、テナシェルカへと突進していた!
「ギシャアッ!!」
先ほどの攻撃で、突如目の前に現れた桃と黒の機械鎧のことを危険だと判断したのか、テナシェルカは打って変わって両腕を伸ばすのではなく、身体に巻き付けるようにして、防御を固めた。しかし……。
「本能的なものか、ぼくが思っているより知性があるのか……だけど、その程度でトゥレイターをどうにかできると思うな!!」
「ギシャア!?」
トゥレイターはテナシェルカの眼前で方向転換!怪物の背後に回り込んだ!
「前が駄目なら、後ろから!!」
下から上へ、抉り込むようにトゥレイターは怪物の背中に拳を撃ち出した!
ガアァァァン!!
「――ッ!?」
テナシェルカの背中は配置的なものだけではなく、特性も前面とは真逆だった。硬い殻に覆われ、殴った方のトゥレイターの拳に亀裂が入る。
「ちいっ!?硬い!?」
「ギシャアァァァァッ!!」
「――!!?」
一瞬の戸惑いすら怪物は許してはくれなかった。自身の真後ろにいる敵に、人間の可動域では不可能であろう強力無比なパンチを繰り出す!
ドンッ!!
「ああっ!?」
またまた悲鳴にも似た声を上げるチーロ!テナシェルカの背後から凄まじいスピードで自分を守るために戦っているトゥレイターが飛び出したのを目の当たりにして、自然と口から発せられたのだ。
「くっ!?やるな……思ったよりもずっと……!」
驚愕するチーロとは対照的にトゥレイターは冷静に空中で体勢を立て直し、静かに地面へと着地、怪物と間合いを取り、睨み合った。
「な、なぁ……?」
「あ?」
今の一連の攻防を遠目から観戦していたらチーロは不安に駆られ、自分の斜め上で堂々としている妖精を助けを求めるように見上げた。
アピオンは先ほどの失礼な発言を未だに引き摺っているようで、あからさまに態度が悪い。
「なんだよ、ようやく立てるようになったか?」
「それはまだ無理そうだが……」
「ったく……しょうがねぇな」
アピオンは額に手を当て、呆れ返った。
「で、そんなおれが言うのはなんだが、お前のツレ、トモルと言ったか?おれの目には少しずつ分が悪くなっているように見えるのだが……」
「情けないだけじゃなく、状況も正確に判断できねぇのか?はぁ……」
今度は腰に手を当て、お手本のようなため息をつく。辛辣さは据え置きだ。
「いいか?よーく目を凝らしてあいつのことを見てみろ」
「わ、わかった……!」
言われるがまま、チーロはまだ動かないトゥレイターを凝視した。
「見たぞ……これに何の意味が……?」
「いや、わかるだろ?あいつはダメージを負ってないよ」
「えっ?」
もう一度改めて下から上にトゥレイターを観察する。実際には拳にチーロからは見えないひびが入っているのだが、彼から見れば無傷と言って差し支えないほど、きれいな姿をしていた。
「本当だ……でも、さっき凄い音がして吹っ飛んだのに、なぜ?」
「それはあっちのオリジンズの背後の地面を見ればわかるぜ」
チーロは視線をアピオンの述べた場所に移す。そこには小さなクレーターができていた。
「あの穴は……」
「あいつが攻撃を避けるために踏み抜いたんだよ。あれが音の正体」
「じゃあ、本当にダメージは……」
「負ってない。何度も本人が言ってるように、奴は見た目より遥かにタフだぜ。少なくとも人間と同じ配置で四肢が付いてるからって、人間と同じような動きするだろうなんて浅はかな考えで見事に出し抜かれるルーキーのようなヘマはしない」
「なるほど……」
ここでようやくチーロはトモル・ラブザという男について認識を改めた。かわいい顔をしているが、彼は一流の戦士だと。
だが同時に、だからこそ目の前の光景がより不安を煽るものに見えるようになってしまった。
「じゃあ、今動かず睨み合っているのは、彼ほどの実力者でも、迂闊に手を出せない相手だってことかい?」
「いや、そうじゃない。トモルとトゥレイターならあのオリジンズぐらいなら難なく対処出来るよ」
「だったら、何故……」
「難なく対処出来るが、殺さずに追い返すことはできないぐらい強いから、ちょっとばかし躊躇してんのさ」
「ごめんよ、テナシェルカ……!」
アピオンが自分の心の中の代弁をし終わったのか見計らったかのように、トモルは謝罪の言葉を口にしながら再び怪物へ突撃を開始した。
「前面は打撃を吸収し、背後は拳が通らない硬い殻で覆われている。どちらから攻めるか……そんなもの決まっている!!」
「ギシャアァァァァッ!!」
「はっ!!」
迎撃にテナシェルカは鋭い爪の生えた腕を伸ばすが、トゥレイターはジャンプし、飛び越える!いや、腕だけでなくそのまま本体の背後まで、上下逆さまになって頭上から回り込んだ!
「パンチは無理でも、弾丸なら!ガンドラグR!!」
銃を召喚すると、そのまま引き金を引いて、縦に!そして続け様に横に動かした!
「十字葬弾」
バババババババババババババッ!!
「ギシャアァァァァッ!!?」
弾丸は硬い殻を突き破り、柔らかい前面から飛び出す!前と後ろに十字架を刻まれた哀れな獣は空をつんざくような断末魔を上げると、二度と動かなくなった。
「本当にごめんよ、ぼくが至らぬばかりに……」
戦いを終えたトモルはテナシェルカの死体の横に跪いて、手を合わせた。
そしてしばらくすると立ち上がり、背後のさすがに起き上がれるようになったチーロの方を向いた。
「彼はこの後どうなるんでしょう?悪意があって、あなたに襲いかかったわけではないでしょうから、できれば丁重に弔ってもらいたいのですが……」
「安心しろ、ここは漁師の町だ。海の生き物を無下にはせん」
「じゃあ……食べるんですか?」
弔って欲しいとは言ったが、異形の怪物であるテナシェルカを食べるのは、ちょっとご勘弁願いたかった。我慢しようとしたが、顔から拒否反応が漏れ出る。
「生憎、こいつはあまり美味しくない。なので食べないよ」
「でも、その言い方だと食べたことが……」
「おれのじいさんが流れ着いた奴をな。おれは一度も食ったことない。研究所に引き取られちまうからさ」
「研究所?」
「さっきどさくさに紛れて説明したが、こいつは普段は深海にいて、滅多に人前に現れないから、死体でも一部だけでも手に入れたら、近くの大学の研究所に引き取ってもらうことになってんだ。さっき連絡したから、すぐに来るはずだ」
「じゃあ、彼は雑に扱われることは……」
「ない!研究が終わった後は、この遺体は様々な道具やピースプレイヤーの素材となって生まれ変わる。奪った命は無駄にせず、全て糧にする。これもまた漁師の流儀だ」
「というか人間……いや生物として当たり前のことですよね」
「だな」
テナシェルカの行く末を聞いて安心したトモルはチーロと笑顔を交わした。そして……。
「今日はもう遅いから、うちに泊まっていけ。明日の朝に船を出してやるから」
「それではお言葉に甘えて……って!ええっ!?」
「命の恩人の頼みを断ったとなると、漁師仲間になんて言われるかわかんねぇからな。今回の件を話せば、みんなもわかってくれるし、船については任せてくんねぇ!」
チーロは力強くドンッと胸を叩くと、トモルは自然と両手を上げていた。
「やったー!!」
そして翌日、チーロの船に揺られてトモルとアピオンはポイド海溝周辺の海域までやって来た。
「ふぅ~、強い奴が乗っているからか、海に祝福されているからか、何はともあれ予想に反してオリジンズに襲われることもなくたどり着いたな」
「はい。ここからは……ゴウサディン・ソルジャイン!」
トモルの身体を光と共に現れた昨日と同じ桃色と黒の装甲が覆い、昨日とは違う流線形のピースプレイヤーが船の上に顕現した。
「何もなかったら、一旦二時間ほどで戻って来ます。仮に六時間経っても何の音沙汰もなかったら、構わずユチの町に帰ってください」
「わかった」
「あとアピオンのこともよろしくお願いします」
「ん?お前さんは行かねぇのか?」
チーロに問われると、アピオンは腕を組んだまま首を横に振った。
「適応力の高いルツ族はもちろん水中でも活動はできるが、さすがに地上よりも動きはのろまになる。おれっちが行っても足手まといになるだけさ」
「なるほどな。了解した、お前に何があってもこの妖精さんはおれが陸まで送るよ」
「はい。当然、そんなことにならないようにぼくも頑張りますけどね」
一人と一匹に敬礼すると、トモルゴウサディンは反転し、船の端に足をかけた。
「それでは……トモルゴウサディン!いってきます!!」
バシャン!!
船を揺らすほどの力で跳躍し、離れた場所に水柱を立てながら、桃と黒の機械鎧は海の中へと消えて行った。それを漁師と妖精は優しく笑顔で見送る。
「張り切ってたな~。それが空回りしないといいけど」
「あれだけの実力者だ。下手に深く潜らなきゃ問題ないだろ」
「いやいや!深く潜らないと!何のために苦労してここまで来たのかわからねぇだろ?」
「いやいや!あのマシンではそんなに深く潜れねぇって」
「……えっ?」
「えっ?」
アピオンとチーロは笑顔から一転、真顔になってお互いの顔を見合せた。
「ど、どういうことだよ、それ……!?」
「どうもこうもない……あれは深海探索用のピースプレイヤーじゃないだろ……?あれは水中用……」
「その二つって……違うのか……!?」
「全然違う!水中用は深度500メートルから1000メートル、上等な奴で2000メートル潜るのが限度だろ。それ以上深く潜るとなると深海用の特別な奴が必要だ」
「ち、ちなみにポイド海溝は……?」
「大体、2000メートルから一万メートルぐらいだな」
「――ッ!?」
アピオンは船から身体を乗り出した!
「トモル!カムバァァァァックッ!!」
その声は海水に遮られ、トモルの耳に届くことはなかった。




