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あの日々は地獄だった。

 湯兎には幾度かの引っ越しの経験がある。


 どこからどこに、とはもちろん言えぬ。


 言えぬが、まあ、そこそこ田舎からがっつり田舎に移動することが多く、今は割と都会にいる、とだけ明かしておこう。


 そこで私は、「音」にかかわる体験をたくさんしたのである。


 ここでは一つ、語りたい。


 先に断っておこう。私は私から見た世界を深刻にならないように書いているつもりである。が、この話はそうもいかぬ。


 私は地獄を経験した。


 これはそんな話である。


 割と都会に引っ越した時のことだ。


 引っ越し早々、近所で工事が始まったのである。


 家族は平気だった。


 私は、本気で、本当の意味で、悶絶することになった。


 家を壊す音、ドリルの音、木が折れる音、鉄骨が触れ合う音まで。


 私が平気な音はなかった。


 繰り返そう。そして強調しよう。


 ()()()()()()()()()()()()()()のである。


 信じられるだろうか。


 耳元で到底受け入れがたい、頭をがんがん突き刺すような音が鳴り響く。


 鼓膜がびりびりに破られると思った。


 頭が叩き壊されると思った。


 何より、何より、耳が()()されると思った。


 脊椎に絶え間なく虫が這うような信号が通り、頚椎で言葉にできない感覚をもたらす。


 もちろん苦痛に属する何か、である。


 仕事に行く以外の時間は地獄だった。


 なぜ家から出なかった?


 なぜどこへなりとも逃げなかった?


 もちろんそういう疑問は出よう。私も同意する。


 だが、スーパーの時と同じである。


 考えることすらできなかったのだ。


 私はただ、無理やり刺し込まれる音におびえ、布団をかぶって必死で意識を失う、それしかできなかったのである。


 当然家族は私の様子を見ていた。


 色々試した。


 耳栓はだめだった。頭が痛くなる。


 イヤーマフもだめだった。工事の音には勝てぬ。


 本格的な遮音用のヘッドホンもダメだった。私は視力が悪い。つまり家中でも眼鏡をかけなければ生活ができぬ。


 構造上眼鏡のつるとヘッドホンがぶつかり、かけ続けることもできなかった。


 工事は続く。


 私が最後に光明を見出したのは、「ノイズキャンセリング」機能をもつワイヤレスイヤホンだった。


 携帯で電話をしているときに思いついたのだ。


 携帯では向こうの雑音はほぼ聞こえぬ。これだ、と。


 これだ、と思ってからそれを手に入れるまでそこそこ早かった。私は憔悴していたし、家族はどんどんおかしくなる私を見ていた。


 優しい人たちである。


 相談してすぐに電器店に連れて行ってくれたのだ。


 電器店の騒音さえ救いだった。工事の音よりずっと良かった。また、私に合ったワイヤレスイヤホンを試すのにぴったりの環境だった。


 そして私は――そこで初めて、「静かな世界」を知った。


 眼鏡の時と同じである。


 世界が一変した。


 聴覚の情報が抑えられ、目に入るものが突然意味のあるものに変わった。


 「隣にあったもの」は「陳列台」に。


 「頭の上に合ったもの」は「案内板」に。


 「周囲の人が来ている服」には「色」がついたのである。


 何より――音がしなかった。


 それは私にとって、何にも代えがたい安らぎだった。


 聴覚過敏の人間が「聴いて(みて)」いる世界は想像もつかぬ。


 同じ聴覚過敏の私でも、想像がつかぬ。


 私が平気な音を地獄ととらえる人がおり、私が地獄と思った音が平気な人がいる。


 おそらく、それぞれ、必死の努力をするか、必死の我慢をしていると思う。


 家の近くでまた、工事が始まった。


 今回の工事では私は最初から静謐にいることができる。


 涙がでるほどありがたい。


 それが、この話を書こうと思った動機である。

今回出てきた症状……聴覚過敏

対処法……ノイズキャンセリング機能付きワイヤレスイヤホン



 同士の方々に安らぎがありますように。

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