スーパーはダンジョンである
私は計画的な買い物ができない。
牛乳がなかったな、これが切れていたな、あとこれとこれとこれ。よし、これでおしまい。レジへゴー。
こんなスムーズな買い物は夢のまた夢である。
何回訪れたスーパーでも、無理である。
目移りする――のはするが、それ以前の問題である。
スーパーに入り、照明と大きな音楽(たいがいのスーパーは何かしら放送していると思う)を浴びた瞬間のことだ。
私は、頭が真っ白になる。
頭の中の買い物リストも真っ白になる。
何を買いに来たのかわからなくなり、わからなくなったにもかかわらずスーパーに入店し、かごをもって右往左往。
いったんお店から出ることもできない。
思い浮かばないからだ。
その時、私の頭の中はスーパーの放送でいっぱいいっぱいになってしまっているのだ。
そして目についたものを買う。
不要なものかもわからず、買う。
買って、家に戻って、「ああああれを買いに出たのに……!」までセットだった。
だった。
過去形である。
一人暮らしを始めた当初から計画的な買い物ができなかった私は、やがて、買い物リストというものを思いついた。
スーパーに入ると頭が真っ白になる。
では、別の記憶媒体を用意すればよいのだ。
私は買い物リスト専用のメモを用意し、常日頃から何かがなくなった、何かを買いたいと思ったときに書きつける習慣をつけた。
九割、大成功だった。
必要なものだけ買い、不要なものは我慢する・買わない、ということができるようになった。
改善がない一割は自分にあった。
買い物リストを持参して、スーパーで見ても、リストをポケットに戻すころには何を買うのか忘れている。
リストを眺め、戻し、また取り出して、戻し、また……。
こんな不審な動きをしている人がいたら私である。
もちろんこれも改善方法を考えた。
リストの一つだけ覚え、それだけ探してかごにいれ、また一つだけ覚え、それだけ探して……。
という改善方法を考え、実行した。
これも九割うまくいった。
必要なものを過不足なく買う、それができるようになった。と思う。
問題は、この方法だとスーパーの中を西へ東へうろうろうろうろしながら頻繁にメモを眺める人間が完成することである。
私見であるが、立派な不審者ではなかろうか。
あるいは、ゲームでダンジョンに挑んだキャラの動きに似ている。
あと、単純に時間がかかる。
もっとよい改善方法はないだろうか。
買い物メモを書き足しながら、今日も考え中である。