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~よくわからない世間の風潮・主張・常識~

この話は湯兎の怒りと疑問に満ちている。

無理だと思ったら途中で読むのをやめてほしい。この題名の話で読者を楽しませようとは思っておらぬ。


ただ、「どうして?」と問いたいだけなのだ。

その「どうして?」に「こういう考え方があるんだよ」と答えが来たら吟味する。私も今は「そういう考え方があるんだ」で消化できるようになっているので。

・(主に子供のころ)異性にいたずらされたりちょっかい出されたとき→「あの子はあなたが好きで興味を引きたいんだよ、許してあげて?」


 ちょっかいかけられたら「こいつ嫌な奴だな」「なんでこんなひどいことするんだろう」と思うであろう。少なくとも私はそう思う。


 そんな嫌な奴から好意を向けられていると知って、素直に喜べるのだろうか。まして、子供とはいえ人一人が嫌な気分になったいやがらせを「許してあげて?」なんて、上から目線で被害者に強要していると同じではないか。


 そして自分が「許さない」というと自分が度量の狭い悪者にされるのだ。


 意味が分からぬ。悪いのは悪いことをしたほう。こちらに「いたずら」をした相手であるのに、「好意がある」から許すべき? 子どもだから?


 だとしたら相手が自分に性的ないたずらをしたり、人間としての尊厳を貶めるようなことをしても「好意がある」のだから許そう、となるのだろうか。それは話が飛躍しすぎ? なぜ同列に扱っていけないのだ?


 「子供のいたずら」と書くから軽くみられるのか。では言い換えよう。


 スカートめくりや髪にガムテープを貼るのは「暴行」、後ろから故意に押して転ばせてけがをさせたら「傷害」、「ブス」や「障がい児」とののしるのは「侮辱罪」、教科書に油性ペンででっかく落書きをするのは「器物損壊」である。


 もちろんすべて小学校までに湯兎がやられた行為であり、先生など主に大人たちに「相手なあなたが好きなの、許してあげて」と言われた行為である。


 もちろん、やられた側の私が納得できる言い分ではない。






・(主に未成年のころ)しつこくからかわれる、笑いの的にされる、いたずらされるなどしてこちらが相手を怒ったり抗議したりしたとき→「そういう反応するからからかわれるんだよ、無視してると相手が飽きるよ」


 前回より若干年齢が上になったときから言われるようになったセリフだ。


 これまた意味が分からぬ。あいもかわらずこちらは被害者だ。


 なのに、なぜ私が怒ったり抗議したりする権利を放棄せねばならんのだ。しかも相手が飽きてやめるまで、なんて。


 それで万が一私が精神を病んだり不登校になったりあまつさえ自殺したりした時、「無視しなよ」と勧めたあなたは、私が失った時間を補填するというのか? そんなことはないだろう。犠牲が出て初めて事の深刻さがわかる。


 あるいは、犠牲が出てなお「こんなことで……」と被害にあっていないあなたが思うのか。


 毎日毎日、学校という閉鎖空間でからかわれ続ける、それがどれだけ苦痛か。


 ちょっと想像したらわかるのではないか。


 無視して収まる保証などないのに、学年の一部からとはいえ、終わりのわからぬ嘲笑に耐えろというのか。


 私は、それを提案する側の心理がわからぬ。






・性被害にあった人に対してのお決まりのセリフ→「あなたにすきがあったんじゃないの?」「そんな異性をさそうようなかっこうをしているから」


 では逆に問おう。


 隙があれば、襲ってもいいのか。


 おしゃれをしていたら、襲ってもいいのか。


 んなわけなかろう。相手が女性だろうが男性だろうが襲ってもいい理由などどこにもない。


 ただただ、襲ったやつが悪い。


 なのに、なぜ被害者を責めるこういった声があるのか。


 私には、さっぱりわからぬ。






・(主に学校で)いじめにあい、けがをしたとき→教師に相談する


 気分が悪くなるだろうが申し訳ない。


 私はこの時、なぜ教師に相談するのかがわからないのだ。


 私はこう思う――「なんで警察に被害届を出さないの?」


 これを実際に被害にあっている人にそのまま言わないくらいの分別は私にもある。言うとしたら「警察に被害届を出しに行こう」だろう。


 そんなおおげさな、と言われるらしい。ことを大きくしたくない、とも言われるらしい。


 申し訳ないが、そこはことを大きくするべきだと、私は思う。


 あくまで私の主観である。そしてどうもこれを言うと私が非難されるらしい。


 仲間内で言って、微妙な雰囲気になったことはある。


 だからこれがいわゆる「常識がわからない」ってやつだろうな、とは思うのだが、考えを変えるつもりはない。


 でもって私はすでにこれを実行している。


 小学校高学年の話だ。小学生のころ交流を持っていて、そのころはすでに中学生になっていた人と、その他数人に取り囲まれ、荷物をばらまかれたりいろいろ言われたりした末、私は転んで腕を擦りむいた。


 家に帰って親に話したら、親は私に「警察に行く?」と聞いた。


 私は「行く」と答えた。


 その時の私の心境がどんなものだったのかは覚えておらぬ。


 結果は、以来私が囲まれることはなかった、である。


 教師に相談したことは何度もある。前述の子どもの頃の被害だって、もうちょっと大きくなってからの被害だって、大人に訴えた。


 だけど、何も変わらなかったのだ。


 相手は同じことを続けた。私は傷つき続けた。


 今、私が小学校高学年の頃の自分だったらどう考えるかな、と思ったら、こうだろう、と思うことはある。


「これが続くと嫌だな」


 成人した私の考えは、「人を傷つけるような人には『そうである』と周りに知らせるために届けを出す」である。


 賛否両論あろう。こういう主張は反感を買ったり反発されたりそもそも理解不能な人間を見る目で見られたりすることは知っている。


 けれど私にとって被害届は次に被害を受けないためであり、次の犠牲者を出さないためであり、「この人は過去こういうことをやった・やれる人である」というわかりやすい警鐘を鳴らし続けるためなのだ。


 加害者の権利はどうなる? 未成年の話だろう? そこまでする必要はあるのか?


 そんなことを言っても私は自分がかわいい。


 でもって自分の家族や友人――身内と呼べる人たちがかわいい。


 だから届けを出すことをためらわない。自分や身内が被害にあわないためにだ。


 届けを出したことでエスカレートしたらどうする? それはもうどうしようもないが、殺されたらそれまで、私の身内と社会が制裁に動くだろう。被害が激しくなればやっぱり警察を頼る。


 警察が頼りにならなければもう一つの公権力、民事裁判に持ち込む。


 これは、私に許された私の尊厳を守る権利だ。過剰だとは思わない。犠牲が出た後では遅い、私は犠牲になりたくない。


 また、普通に犯罪被害にあったのに同じ学校だとか子供のやったことだとかで「先生」という犯罪に対して何の権限もないし抑止力にもならない人に相談するのは意味がないことを私は知っている。


 先生は、私の言を受けて注意とか情報共有とかしてくれていたはずだからだ。


 それでも被害は止まらなかった。ではもう、公権力にたよるしかなかろう。


 ところがそういうと、なぜか世間の大半(あくまで実感で。本当はもう少し少ないかもしれない)は私を変な人と見る目で見る。


 なぜ警察を頼ってはいけないのか。


 さっぱりわからぬ。




今回出てきた症状……発達障害 暗黙の了解や場の空気を読むことが不得手

          主にADHD  感情を抑えるのが苦手、衝動的に怒る・手が出てしまう



※湯兎は、怒りの沸点はそれなりに低いが、覚えている限り相手を追いかけたり泣いたりするのがメインで、手を出したことはない。覚えている限りでは。

 また、幸か不幸か湯兎は足が遅い。

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