湯兎は跳び箱がとべない
運動神経を反射神経と似たようなものだとするなら、湯兎の運動神経はいいほうである。
何せ湯兎、横にある腰丈のテーブルから落ちたボールを、床に落ちる前にキャッチできる。
見てもないのに。
これは前の職場で実際に起きたことである。目撃した全員、あっけにとられていた。
ちょっとした自慢である。えへん。
その他、錠剤をキャッチ、瓶をキャッチ、タブレットをキャッチ、包丁はよけた。無理。
こう書くと、なぜ湯兎の周りでこんなにものが落ちるのか、不思議に思う人が出るだろう。
そう、湯兎、落ちるものをキャッチするのも得意であるが、ものを落とすのも得意である。
空間把握能力に欠けているのだ。
ASDの中には優れた空間把握能力を持つ人もいる。
同じくらいか、それ以上に、空間把握能力に欠けている人もいる。
湯兎は欠けているほうである。
たとえば、歩いているとものによくぶつかる。
ものとの正確な距離を把握できないからだ。
たとえば、歩いているとよくつまづく。
やっぱり床との正確な距離が把握できないからだ。
そして、ものを取ろうとすると、横にあるものをひっかけて落とす。
取りたいものをとるのに、どれくらい腕を伸ばせばいいのか、どの角度に伸ばせばいいのか、正確に測れないからである。
そのせいで湯兎の周りでは文字通りの落し物が頻発する。
空間把握能力に欠けているはずの湯兎は、なぜか落としたものは正確にキャッチする。
なぜキャッチできるのか。
永遠の謎である。
あと、湯兎はドッチボールがうまかった。
なぜ飛んでくるボールをよけるのがうまかったのか。
それも謎である。
ところで表題である。
小学生のころ、跳び箱の授業があった。
知っての通り、跳び箱は跳び箱の手前に置かれたジャンプ台を使って箱を飛び越える競技である。
湯兎、このジャンプ台を跳ぶことができなかった。
ててててて! と走り出して、ててて……と失速し、ジャンプ台の上で停止。
首をかしげて停止。
跳ばない。
何度やっても同じような結果になる。
今までの話から想像できるのではないか。
ジャンプ台までの距離がわからず、踏み切れなかったのである。
ジャンプ台の上に乗って、ようやくああここにあるのね、とわかるが、その時はもう完全に停止しているのである。
助走の意味がない。
そしてまた、跳び箱の高さが正確にわからないので、助走なしでジャンプして跳び箱を跳び越えることもできない。
そもそも、跳んでいる間に跳び箱に手をついて……という動作ができない。
結果、湯兎はジャンプ台の上で首をひねる。
運動を正確にこなす能力を運動神経というのであれば、湯兎の運動神経はご臨終である。
似たような話では、湯兎は走り幅跳びができない。
助走をつけて、「両足で」跳ぶ。
両足を同時に地面から離す動作ができないのである。
そもそも踏み切り線までの距離がいまいちわからない。
結果、湯兎はいつも走り幅跳びは非常にゆる~く跳んでいた。
助走して、踏み切り線でいったん止まり、ぴょんとジャンプ。
助走の意義はどこへ。
こんなふうに、湯兎の運動神経は実にちぐはぐだ。
妙に突出した部分もあれば、大体の運動は苦手。
苦手なだけで嫌いではなかったのが救いだが、学生の頃の評価はあまり高くはなかった。
一生懸命にやっていたのに。
なんとなく、不条理を感じる湯兎である。




