人間たちのはかなき生
ダイがなにかしとめたらしく、ステータス表示に点滅があった。
ちらりと見るとどうやら鹿らしい。そんなのは見かけた覚えはない。ダイには俺にはない知識と経験がある。読み方を知ってればおそらく情報空間で読み出せるのだろうが、まずもって俺にそのための知識がないのだから取り込んだからといって彼らを見下すのは大いに間違いだろう。
カササギ準公爵の情報は極めて濃厚だった。ここが「対岸」とよばれていることもわかったし、人間の本国の事情もわかった。帝国の他の国についても準公爵は知っているが、これはまた後で確認すればいいだろう。
三人の男たち、一人の女。彼らから得た情報はこれほど濃密ではないが、有益な情報だった。
彼らのうち大工だけは準公爵の本家である公爵家の領民だった。独立心旺盛な領都の新人親方で、カササギ準公爵がかねてもとめていた職人の一人として準公爵の死後すぐくらいに新天地にやってきたらしい。
中央の砦は彼の仕事だった。樫鬼を滅ぼして、接触可能な勢力が見当たらなくなったというのに、新しい君主であるイワツバメ準公爵は防御施設の建設を命じたのだ。幸いというか開墾で材木はいくらでもある。乱獲で得た大量の毛皮を本家に納めて招聘に成功したのがこの親方を含めた職人たちだった。それまでは掘っ建て小屋に急ごしらえの貧相な畑だらけだった準公爵領の体裁が整っていくのを親方は誇らしく覚えている。
だが、彼にはもうひとつ側面があった。本家のスパイとして内情、本家への忠誠心といったものを探る任務だ。これがうまくいけば、領都の親方株があいたときに優先的に彼を割り当てる密約もあった。
文字もかけ、本土に道具の発注などができる立場だった彼はそれを利用して情報を売り渡していった。その中には当面の敵がいないのに砦をなぜたてたか、作りを中心に考察したものもあった。小規模ながら、本格的なつくりのそれは、「対岸」の原住民への警戒だけではないと彼は報告したらしい。
そんな彼の行動はいつしか準公爵につつぬけていたらしい。砦の完成した少し後、彼は祝いの席で毒を盛られた。目にかけていた若い大工が心配そうに声をかけてきながら、口元に笑いを隠しきれていないのを見たのが彼の最後に目にしたものだった。
放浪民の三人は時期こそ数年単位で違うが、日ごろ彼らを目の敵にしていたほかの公爵領の人間たちに捕縛され、二束三文で売られてきた身の上だった。
漁師がこの中では古いほうで第二次開拓団に属していた。彼は海の仕事の下働きで網をたたんだり補修したり、時に船にのって手伝ったりをしていたのだが、何がめざわりだったのか、ある日同じ村の漁師たちに取り押さえられ、「対岸」に送るための人を狩り集めていた公爵家ご用達の口入屋に引き渡された。口入屋は雇用の仲介が仕事だが、時には借金返済のために鉱山などに連れて行く仕事もあって逃げそうな者を拘束することができた。口入屋はもちろん聞く耳はもっていなかった。なんといってもはした金とはいえ支払い済なのだ。漁師は他の同胞たちと一緒に船倉におしこめられ、対岸に渡ることになった。
食い扶持は不足していたし、働かないものには食べ物はない。漁師は手製の粗末な漁具で漁る[すなどる]生活を始めた。魚を取り、自分で食べたり物々交換に出す。そんな生活だ。貨幣はあったが、このころはあまり価値がなかった。
漁師は腕っぷしは強かった。物資不足は盗難をまねく。彼も何度も盗みをはたらくものをこっぴどい目にあわせていた。一目おかれていた彼に目をつけたのが準公爵子のイワツバメだ。彼は漁師をその気にさせ、樫鬼討伐軍に加えた。
樫鬼たちとの戦いが被害なしで終わるわけはない。彼らは頑丈なのだ。衆寡敵せず彼らは全滅してしまったが、人間側にも数名の死者と多数の負傷者が出た。漁師も負傷し、準公爵子からの見舞いの品物を傍らに横臥していた。たぶん打撲で内臓を少しやられてたのだろう。もしかするとそのままでも長生きはできなかったのかもしれない。だが、彼にとどめをさしたのは見舞いの品目当てにやってきたかつて痛めつけた盗人四人だった。おっかなびっくりやってきた彼らは漁師が腹を押さえて力が出せないのを見ると急に強気になって、取り囲んで蹴り殺してしまったのだ。数発目で漁師の意識は飛び、そのまま死んだらしい。
女は樫鬼たちがほろんで少し後で渡ってきた。彼女は非常に若くしてとある紳士の土地をたがやす小作人の女房となった。彼女の親はもとは放浪民だが今は同じ小作、そして夫の家も貧乏という面では同様だった。口減らしや労働力などの関係で取引こみの婚姻だった。そこで三人子供を産んだ彼女に対する仕打ちは、夫による人身売買だった。不作があったとかそういう事情があったわけではない。夫が彼女の妹を気に入り、邪魔な彼女を売り払ったのだ。
公爵家出入りの口入屋は、「対岸」の入植地では女性が不足しているからそういうことだと説明した。
子供とお別れをすることは許されなかった。かわいそうだから、ということらしい。わたしはかわいそうじゃないのか、と彼女は殺意さえ覚えたが女をひったてるのに慣れた店員たちによって抵抗もできずに連れ去られていった。
「対岸」にわたった彼女は集団洗濯場に配置された。これは衣類の洗濯、補修を行う女性集団で準公爵家のめしかかえということになっているが、入植者の男たちの欲求のはけ口としての仕事も与えられていた。男たちは前科ありで追放された紳士である監督者へのつけとどけと女たちへの手土産をもってやってくるのだ。妊娠すると粗悪な堕胎薬を飲まされる。この女はその数回目で中毒死してしまった。もっとも、それ以前に心はとっくに死んでいたが。
そして兵士は一番最近の入植者になる。この男は転変の多い人生を歩んでいた。先祖代々すんでいた旧公爵領は複数の公爵家によっていくつかの準公爵領、伯爵領に分割されていて、農奴の扱いでもここに残れたものは運のいいほうと言えた。また、旧公爵家の紳士、男爵で管理に有能ということでそれらに採用されているものは見下されながらも幸運といえる。だが、旧公爵家はその血筋を皇帝家の準公爵として残していて、遺民たちはいつか自分たちの公爵領の再建を夢見ていると思われているので、警戒もされていた。兵士はそんな残留紳士のせがれとして生まれ、領主の無茶ぶりにふりまわされる家族を手伝って育った。武器の扱い、読み書き、それに帳簿の見方をある程度覚えたのは十代になるまでのこのくらしのおかげである。大変だったが、もっとも幸福な時期と彼は記憶していた。
しかし、何がどうなったわからないが彼の父親は罪を問われ、彼の一家は家を失った。
家ばかりならいい。捕縛に手向かったといわれて父は胸を貫かれ命を落とす。冤罪であったことは明白で、捕吏が彼の手に剣を持たしているのを子供のころの兵士は目にしていた。
母は実家を頼ったが、同じような家で裕福であるはずはなく、母はすぐに老人ののち添えとして嫁がされ、子供たちは奉公に出された。兵士も遠縁の子爵の小姓として出され、先輩のひどいいじめにあう。
帝国は平穏ではない。公爵家が異なれば、もめごとで武力衝突は頻繁で、形勢がはっきりしたところで皇帝のとりなしがはいって和解となる。兵士の仕えた子爵もそんな争いに出ることが多かった。
一度、不覚をとってひどい敗北を喫したのが大きな転機となった。
この中で彼は成功と失敗を一つづつしている。成功は武官として紳士任官したいじめ先輩を総くずれの混乱の中で殺したこと。もともと憎んではいたが、敵に迫られパニックを起こし、兵士を身代わりにして逃げようとする醜態に強い軽蔑を感じたのが動機だった。せめてもの情けに、子爵には彼が勇敢に戦って戦死したと報告しようと兵士は思っていた。
だが、ここで彼は失敗する。捕虜になってしまったのだ。
捕虜になった場合、最終的に実家が身代金を出すのだが、主君がまずは立て替えるのが慣例だ。実家から身代金を回収できなくてもそれをけちっては主君の外聞に影響がある。
だから本当なら兵士も解放してもらえるはずだった。
だが、子爵は彼の身代金を拒否した。身をよせている母の実家にそんな気がなかったこともある。だが、他に理由があるらしく、子爵は彼の身柄を生かすも殺すも好きにしろと申し送ったのだ。もちろんそんなことを言われたのは彼だけである。
おそらく先輩殺しが何かでばれたのだろうと兵士は考え、覚悟した。こういう場合、外聞をさらに悪くするために処刑したり、あるいは有能とみられれば敵側で採用されることもあるがこれはよほど気に入られた場合だけだ。
だが、彼は処刑されなかった。「対岸」に送り込む放浪の民の一人として二束三文で売りつけられたのだ。蔑視を招く出自が命をつないでくれたといえるかもしれない。
経歴がものをいったのだろう。彼はこちらでは農夫にはされなかった。平素は建設に携わる工兵として配属され、水路を掘ったり、衝突している現地の勢力との戦いに赴くようになった。
近くの樫鬼はとっくにほろんでいる。衝突している相手は兵士のかかわった限り二つあった。
別の樫鬼の集落と、彼らも手をやいている魔物の王と呼ばれる正体不明の怪物だ。
魔物の王そのものは兵士は見たことがない。ただ、その手のものである異形の怪物たちとは何度も戦うことになった。魔物の王の正体は誰も知らないが、殺した生き物を少しゆがんだかたちで複写して手先に使うことが知られている。戦死者は出さない、死にそうなときは仲間の手でとどめをさして死体を持ち帰れば魔物の王の手先にはならない。兵士たちはそう学習していた。
そして兵士は致命傷を負う。相手は人の背丈より大きな熊の魔物。しとめるのに戦死者、負傷者を出さずにすますことはできなかった。
兵士の最後の記憶は、武器をふりかぶった上官の顔。彼のことを惜しむ気持ちが伝わって、兵士は不思議な満足を得て生を終えた。
このほかに、この準公爵領の名前が最果準公爵領と呼ばれていることや、イワツバメ準公爵が民心安堵を口実に皇帝家の準公爵となっている旧公爵家から正妻を迎えたことなどの情報などがあったが、それよりも重要なことがあった。
与えられた仕事をこなす上で、この準公爵領とはいつか衝突するだろうという確信。
魔物の王のこと。
おそらく、魔物の王はこれまで駄女神が解き放ってしまった怪物の一つだ。すなわち、準公爵領同様、対処しなければならない。しかし、こいつはでかい熊を取り込めるくらいのレベルがあるのだ。
ゆっくりしている暇はなさそうだが、焦ってはもっとだめだ。
それでも俺は焦りを覚えた、