海岸へ
こちらに呼ばれて、一番長い距離を歩いたのは岬の墓場にいったときだけだ。
今回はそれ以上の距離を歩くことになる。道も細い踏み分け道しかないため、知っているダイを先頭に、森の中をすすんでいく。
現代人の俺のことだ。簡単にばてて休憩を何度もはさまないといけないといけないと思ったのだが、塵も積もったものか、案外体力があって驚いた。
と、言ってもダイどころかダラに比べてもやはり虚弱だった。結局、俺は二人の足を引っ張り、朝一番に出ていれば夕方にはついていたはずのところで野宿することになってしまう。
その可能性は考えていたので、樫鬼式の野営の準備はしてもらっていた。
人間なら開けた乾いた地面にテントをたてるが、彼らは木の上に寝袋を固定して潜り込む。焚火は地面で行うが、寝てる間の寒さよけは焚火で温めた石を灰をつめた袋にいれて抱え込むという方法になる。この袋の作り方が樫鬼たちの累代の工夫のたまものでちょっと見ものだった。
寝床の準備と入り込むところまで、助けてもらうことになったがダイは文句ひとついわなかった。ただ、自分の子供の面倒をこのように見た思いでをなつかしそうに語っただけだ。
彼に悪気がないのはわかってる。意志なき彼は、同じように世話をした野営初心者の若者にそうやって思い出を語ったことがあるのだろう。
でも少々へこんだ。わかっていたとしても、だ。
寝ている間に歓迎できない来訪者があるか心配だったが、タヌキかアナグマのような動物がつがいでごそごそ通り過ぎて行っただけだった。彼らは焚火と残ったにおいに食べられるものかないかさがしていたが、ダイが離れたところにうめたゴミを発見し、嬉しそうにくわえて去って行った。
聞きなれない虫の声に俺はぐっすり眠ってしまった。
翌朝、ダイがおれを補助しながら「よくない鳥」が早朝に飛んでいたと報告した。
気づいたことがあれば報告してくれという基本命令を遵守してくれたのだろう。
俺たちを探してた様子はなく、東のやや遠いところをゆっくり旋回していたという。
戦った人間たちを探していたのだろうか。
天候は曇りで気温もそれほどあがらなかったおかげで、最後の道程は昼までに完了した。
樫鬼の二人が雨の心配をしてせかしてきたことと、ほどよい涼しさと、あとは筋肉痛はあるものの慣れてきたというのもあってペースがあがったおかげだ。
海辺の廃村は小さな入り江を臨んだところにあった。波打ち際ではなく、少し奥にあがったところで波打ち際には壊れた船がもやいの杭のくちたのにつながれたまま波に洗われていた。住人は確かにいなくなって久しいようだ。
ただ、戦争でほろんだ前の廃村と違って建物はほぼ無傷で残っている。
樫鬼のものらしい、丸太で骨を組んで板をはり、干し草を熱く重ねた屋根の家、俺が住処にしていた蔵と同じような蔵も二、三軒、そして入り混じって泥をかためた壁に干した海藻や草で覆った円錐型の屋根を乗せた家屋が目新しい。壁を白くぬってあり、窓の板戸は赤く塗ってある。遠目にはかわいくおしゃれに見える。
これは小鬼の住処なのだそうだ。小鬼は樫鬼より頭一つちいさい人型種族で、ものづくりを得意とする器用な連中、とダイたちは語った。
使う空き家は小鬼たちのものでは狭いとわかっているので、二十少しある樫鬼の住居でも海にもっとも近い一戸を選んだ。選んだのはダイで、選んだ理由は空き家の札がかかっていたから。
「空き家は住み着く者が好きに選んでいい。許可をもらう相手がいない現状、使用中にしてしまっても後でもめる心配はない」
ということらしい。
こうして俺たちは新居に引き移った。