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そもそも運が良ければこんなところでこんなことはしていない

 子供のころから、かけ事とくじでいいことのあったことはない。

 教育熱心だった母親が俺を付属小学校にいれようとしたときも、最後の抽選で落ちる少数にはいったし、賭けに乗って勝ったことはない。

 それでも宝くじなんか買ってるのは万一があればこのクソみたいなブラック企業をやめることができると淡い期待をだいていたから。

 まあ、つまり、気休めである。一回飲み会にいくくらいで済むし、職場で飲み会があっても、俺だけはだいたい残業だったりするので行く必要もないから痛い出費にもならない。

 その日も俺は一人で残業していた。

 ミスや作業の遅さのせいではない。

 計画的かつ報告用の進捗内容と、実際の進捗を二重管理してたので遅い他人の作業を押し付けられるへまもなんとか回避し、本当なら定時で帰れる見込みだった。

 ところが、クライアントと上司が勝手に盛り上がって急遽要件を変えてきやがったんだ。

「これなら、行ける。ビッグビジネスや! 期限そのままですまないが対応してもらえるね」

 俺は上司運もない。

 たぶん今夜も徹夜だろうな、と思ったがブラック企業なのでタイムカードは上司が勝手に定時で切ってくれる。残業代は見込み額いれてるからいいだろうとかいうが違法だと思う。おかげで収入はそれほど悪くないのでやめる決意もしにくい。貯金がある程度できたらやめようと思うのが精いっぱい。

 まあ、こういう企業だ。日付がかわるころにも広々としたフロアのあちこちにちらほら人がいた。だが、退勤してしまった島の上の明かりは落とされていてなんともものがなしく、昼間にはない静けさがある。どこかでカップ麺をすする音がするのはご愛敬だろう。

 柱にかかった時計のデジタル表示が0の並びになる瞬間を、俺はあたりめ噛みながら見ていた。仕事はまだまだあるが、集中力が続かなくなってきたので少しの間休まないとやってられなかった。

 実際は音はしないのだが、かちっと0時になる音が聞こえたような気がした。不意の激痛に跳ね上がるように体を折り曲げることになったのが、同時だった。

 心臓がびくんとはねるように痛み、同時に激しい腹痛、そして炎にひとなでされたかのような皮膚の激痛。何が起きたかわからないが、これは過労死するのかも、という恐怖に助けを求めるうめき声をあげた。誰でもいい、救急車を。

 誰かが俺をかつぎあげてくれた。そっとおろされたのはふかふかのベッドらしい。視界がぐるぐるしていて相手の姿も見えないが、うちの職場にこんなベッドがあることだけは不自然だとわかった。

「すぐおさまります」

 きいたことのない柔らかな女の声が聞こえた。

 視界がおさまってくると、ビジネススーツをびしっと着込んだ眼鏡の若い女性が心配そうに俺を見下ろしている。

 いつのまにか、俺は気の変になりそうな真っ白な広い部屋の真ん中に置かれた真っ白なベッドに横になっていた。

 女と、ベッドと俺というとなんだかいかがわしいシチュエーションだが、そこにはもう一つおかしな見覚えのあるものがあった。

 年末にテレビでやってる宝くじの抽選用の的だ。矢のあたった数字の組み合わせで一等賞のきまるあれ。そんなものがなぜかそこにあって、矢もすでにささっている。

「大丈夫ですか」

 眼鏡の女性は俺の具合を尋ねてきた。さっきまで余波に苦しんでいた全身の痛みはほとんど消えていた。

「あの、これはいったい? 」

「よかった。ご無事ですね」

 にっこり笑うとえくぼができた。案外かわいいなと思ってしまった。

「さっきまでものすごく痛かったので、できれば医者に診てもらいたいんですが」

「あ、ごめんなさい。あんまり痛くならないようにしたんですが」

「どういうこと? 」

 誰だってそう訊くだろう。彼女は俺になにをしたのか。

 彼女は満面の笑みを浮かべた。巧言令色鮮し仁、という言葉が浮かぶくらい完璧な営業スマイル。不愉快を感じさせないが、誠意もない笑顔だ。

「おめでとうございます。あなたは選ばれました」

 この上もなく怪しい勧誘のような言葉。

「どういうこと? 」

 少し語気強く、俺はきいた。

「もうしおくれました。私、こちらの世界で神をしているカルと申します。そちらの世界の神と取引し、一名様を召喚させていただきました」

「異世界転移? 」

 そんなジャンルの小説だったか漫画だったかあったよな。

「はい、その通りでございますよ」

 得意げなのだが、聞きたいことはまだまだある。

「なんでそのかっこう? 」

「ただしい服装はビジネスの基本ですよね」

 あ、なんとなくわかった。サラリーマン向けのなんかの本よんでこれが正装だと思ったんだ。

「なんで眼鏡」

「あなたの国の殿方は女性の眼鏡姿がお好きとか」

 ゆがんだ情報つかんでるな、この神様。駄女神ってやつだっけ。

「後ろの宝くじ当選の的は? 」

「ああ、見ての通りですよ。宝くじの番号でおいでいただく方を選んだのです」

「まて、じゃあ俺が選ばれたのは完全にくじ運」

「はい、おめでとうございます」

 めでたい気分になれるわけがなかった、

「つまり誰でもよかった」

「そういうわけではありません。宝くじを利用したのはそれなりに理由がありますよ。長くなるので

省かせてもらいますが」

 ろくなもんじゃないような気がする。

「それで、この手の話のステレオタイプだと、このあとチート能力と使命かなんかを与えられて放り込まれるということになるのか」

 ブラック労働から解放されるのはありがたいが、生きるか死ぬかの世界はちょっと。それに生活水準がぐっと下がるかもしれない。不便だったり、使いにくかったり、力がすべてだったり。

 使命のほうも世界を救う勇者になれという面倒なのから、好きに生きていいというスローなのまでいろいろあるよな。スローだと自分で生活水準向上させないといけないし結局面倒だ。

「ご理解が早くて助かります。ちなみに、元の世界にはもう戻れません」

「ダメなのか。魔王を倒せば帰れるというパターンもあると思うんだけど」

「いえ、あの」

 彼女は口ごもって視線をそらした。

「あの、なに? 」

「外見は変わらないようにしましたが、その、あなたの体はこちらでくらせるよういろいろ変換済なので、あちらに戻りたければあちらの神に逆変換してもらう必要があるんですが、失敗の可能性があるのでお勧めできません」

「失敗? もしかして、俺もここに来るのに失敗したかもしれないのか」

「はい。失敗した場合、どんな怪物になるかわかりません」

 怪物っていったぞこの駄女神。

「そんな危険なことを、本人に同意も取らずにやったのか」

「異世界転移ものって、同意とってからってあんまりないですよね」

 こいつ、横着に逃げたな。

「これまで怪物になってしまったのがいるのか」

 駄女神を指をそっと三本立てた。

「成功したのは俺をいれて何人だ」

 今度は一本。

 殴っていいかこいつ。

「つまり、怪物化の危険がそんだけあるから帰るのは勧めないし、うちの神様も受け入れてくれないということか」

「ご理解いただけて助かります」

 うるさい黙れ。

 こうなったら腹決めて勇者でもスローライフでもやってやろうじゃないか。

「じゃあ、あとはもらえるものと役割と、質疑応答かな」

 どうやら責められてたのはわかったらしく、俺があきらめたと知るやにっこりする。自然な笑顔がかわいい分、なんか腹が立つ。

「ええとですね、ではまずやってほしいことを説明します。何をあげるかの話はそれを聞いてからのほうがいいと思いますから」

 にっこにっこしてる。あきらめたけど、許したわけじゃないんだけどな。だからってこの駄女神に何かするのもあまり賢い選択ではないように思う。下手に出てるけど、神を名乗るなら俺が小突いたくらいじゃなんともならないだろう。

「やってほしいことがあるのね」

「そりゃあありますよ。スローライフでいいっていう場合だって、それが何か有益な影響があるからで、それがやってほしいことってことになります。わたしは誠実をモットーとしてるので説明なしでお願いするようなことはしませんよ」

 説明なしで拉致ったやつが何をいうか。

「うう、そう思われているのですね」

 さすが神というか、思考は読まれているらしい。じゃあなんだ、かわいいと思ったことも筒抜けか。

「てへ、照れますね。でも人と神との垣根は越えてはいけませんよ」

 そこまで考えてはおらんわ。駄女神め。

「ま、いいや。話を進めてくれ」

 脱線がひどくなりそうなのでうながすと、彼女もはっとして咳払いした。

「あなたにやってほしいことは、一言でいえば魔王です」

「え、勇者じゃないの? 」

 思わず素で反応してしまった。こういうのは神の手にも負えない魔王がいて、異世界の住人のもってるポテンシャルに神々や人々の助力で底上げをして打ち倒すまでの長い苦難の物語なんじゃないのか。

「あんな殺し屋の必要な相手はいませんよ。送り込んでも相手にされないならまだしも、つまらない権力闘争に利用されて適当に処理されて終わりになるの関の山です。人間たちは十分優勢で、おごり、自分たちの世界しか見ていません。必要なのは魔王です」

 魔王、魔王とふんわり言ってるが、どういう役回りをすることになるんだろうか。

 どうやら質問すべきことが多そうだ。

 断る、ということはおそらくできないだろう。ならば詳しく話を聞いて、それからじっくり考えるべきじゃないか。

「ご理解いただけて助かるわ」

 駄女神は、得たりといわんばかりのむかつくどや顔をしてくれた。

 そこそこ長い説明と、くどいほどの質疑応答がこうして始まることになった。





 

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