鼻息の荒い騎士団長が気付けば私の後ろにいるんですが
タイトルが降ってきたので、短編を書いてみました。
ヒロインの心の声は毒舌です。
バザグゼア王国の王都は、別名『薔薇の都』と呼ばれていた。
理由は簡単。都中が薔薇だらけだからだ。
毎日薔薇の匂いを嗅ぎ過ぎて、私の鼻は大分前からバカになってしまっている。
先日父の靴下の匂いを嗅いだら、焼き立てのパンみたいないい香りだと思ってしまった。どう考えても末期だ。
出来たらもう薔薇の匂いなんて嗅ぎたくない。薔薇なんて咲いてない別の町で、目立たずにひっそりと暮らしたい。
優雅に咲く目の前の白い薔薇を遠慮なくブチブチ掴み取りながら、心の中で己の運命を呪った。
道行く人が、私を見ては手を合わせてお祈りしていく。
頼む、お願いだからやめてくれ。勝手に人を拝むなよ。
ギロリと睨みつける。「今朝の『花摘みの乙女』はお疲れなのかしら』なんて噂しながら立ち去っていった。よし。
疲れてるよ。今日だけじゃなく、人生に疲れてるよ。どうせなら鉄仮面でも被って作業したいと願うくらいには、うんざりしてるよ。
無心に引き千切り、籠に積み上げていく。すると突然、薔薇の葉に映っていた私の影が、バカでかい影の中に消えた。
――また匂いを嗅ぎにきたか。
影を見ただけで、それが誰か分かってしまう。こんなにでかい図体の騎士は、奴しかいない。
「ラウラ殿は今日も爽やかな香りだな」
そのまま私の首筋をスンスンと嗅ぐのはやめてほしい。個人空間ってもんを、この国の騎士は分かってないのか。
相手にする義務はない。私は現在職務全う中だ。そのまま無視して、薔薇摘みを続けた。
私が完全無視していても、王族の警護が担当の第二騎士団団長は気にならないらしい。いや、気にしてくれ。ていうか、いつまでスンスン人の首の匂いを嗅いでるんだ。
「さすがは『花摘みの乙女』。選ばれし者の香りは気高い」
何か言っている。
「あの、翳って手元が見えづらいんで離れてもらえます?」
ちらりと冷たい一瞥をくれてやろうと振り返ると、人の肩のすぐ上に第二騎士団長の男臭い顔があった。内心飛び跳ねそうなくらい驚いたが、辛うじて抑える。
散々『花摘みの乙女』だと崇められ続けて早五年。思ったことを表に出さない技術だけは、ピカピカに磨かれていた。
それにしても近い。早く離れろ。
私が一歩横にずれて距離を置くと、第二騎士団長はそのままスススッと同じ体勢でついてきた。だから怖いって。鼻をスンスンさせるな。
「……第二騎士団長様自らが『花摘みの乙女』の警護をされなくてもいいのでは?」
「ラウラ殿。今更なのだが、私のことはロルフと呼んでほしい」
いや呼んでほしいじゃないよね。人の話聞いてた? それに本当に今更何を言い始めた。
私は無理やり笑顔を作ると、せいぜい乙女らしく可愛らしく首を横に振る。
「いえ、第二騎士団長様のお名前を軽々しく口にするなど、平民の私には恐れ多いことですから」
「貴女の声でロルフと呼ばれたいのだ。呼び捨てで構わない」
いや、私が構うから。不敬って知ってる? 見つかると怖いんだよ?
私が笑顔のまま何も答えないでいると、ロルフはガチムチの身体についている肩をしょんぼりと落とす。
「では……ロルフ騎士団長様でいいから」
ちっとも諦めてない。そこは普通、名字だろう。何故名前の後に騎士団長様を付ける。
このままだと城までこの体勢でついて来られそうだったので、仕方なく折れた。
「はああ……。わかりました。では、ロルフ騎士団長様」
全くもって気持ちが込められていない笑顔を向けたのに、何故かロルフは大仰に喜ぶ。
「ああラウラ殿、素晴らしい! いや待てよ、ここはいっそのこと、ラウラと呼び捨てに……」
「翳って見えないです」
「あ、すまない」
ロルフ・ボルグハルト。れっきとした貴族の青年だ。いつもペラペラと個人情報を私に向かってひとり語りしていたところによると、ボルグハルト家の次男で、家督は長兄が継ぐことが決定している。現在二十五歳、独身。可憐なお嫁さんを募集中だそうだ。
この国では、普通の貴族男性は二十歳前後で結婚することが多い。つまり、男性としては晩婚に差し掛かる年齢に突入している。
婚約者がいたが、王妃様が嫁いで来られた五年前、第二騎士団の団長に異例の大抜擢をされた。その際、職務に専念したいと婚約を解消したそうだ。真面目かよ。まあどうでもいいけど。
ちなみに女性の結婚適齢期はもう少し若くて、成人の十六歳からバンバン結婚していく。これは平民も貴族令嬢も大体同じだ。
したがって、今年二十歳の私は完全なる行き遅れに分類される。コンチクショウ。
ちなみにロルフの見た目だが、概ね町の女性の評判はいい。艷やかな黒髪を後ろに撫で付けていて、キリリとした眉の下にある青空を映した様な青い瞳は、吸い込まれそうだと大人気だ。
頑丈そうな顎に高い鼻はどこから見ても男らしい顔なので、ガチムチだし背も高いこともあり、男性っぽい人が好きな人は好きだと思う。
私はキラキラ王子系の細身の方が好みだけどね。
そんなガチムチ騎士団長ロルフが、スンスンはやめたけど相変わらず人の背後に勇ましく立ったまま、のたまった。
「しかし大変奥ゆかしい。ラウラ殿は『花摘みの乙女』の中でも抜きん出て清らかなのだな」
「……ありがとうございます」
清らかで悪かったな。年季入ってるからそりゃそうでしょうよ。
更にブチブチと白い薔薇を籠に放り込み続けていると、やがて籠は満杯になった。これくらいでいいだろう。
籠といっても、全然可愛らしいものじゃない。大きな筒状の籠で、背中に背負う仕様になっていた。曲りなりにも人を乙女と呼ぶなら、こんな行商人みたいなでかいものを持たせないでくれよと毎回思う。
「よっ」
掛け声と共に背負うと、城を目指し歩き始めた。普通に重い。
少しよたよたしながら先を急ぐ。横を歩くでかい影が、申し訳なさそうに眉を垂らした。ロルフは、日差しが暑い時は日陰に入れるので便利は便利だ。
「私が持ってあげられたのならよかったのだが」
「男性が持つと枯れるので、極力離れて下さい」
触れられた途端、私の数時間の努力が水の泡となる。
「しかし妖精族の薔薇とは、不思議なものだなあ」
ロルフが花籠を覗き込みながらしみじみと呟いたが、これのせいで私の人生設計は大いに狂ってしまった。だからそんな呑気な感想を述べられると、はっきり言って不愉快だ。
これはそんな簡単な問題じゃない。
「こうしてラウラと歩くのも、もう五年か」
知らない間に呼び捨てに変わった。私は許可していないが、平民なので黙り込む。
「最初からいる『花摘みの乙女』はラウラだけになってしまったな」
「皆さんさっさと結婚しましたからね」
抑揚のない口調で返しても、この大男は穏やかに微笑んだままだ。不敬だと、腹が立ったりしないのか。もしかしたら、人の心の機敏を感じ取る能力がちょっと残念な感じなのかもしれない。
「……ラウラは、何故結婚しなかった?」
また思いきり切り込んでくるな、この騎士団長。
それにしても、これまでは「俺の話を聞け」状態で口を挟む隙すらなかったのに、今日に限ってどうしたのか。
「結婚しなかったんじゃなくて、出来なかったんですよ」
別に隠す様なことでもないので、横目で答える。
「うちの両親、がめついんです」
「なんと」
「この仕事、いわゆる特殊任務じゃないですか」
「ああ……まあ」
若干引きつった笑顔に変わったので、ざまあみろと心の中で舌を出してやった。
「お給料いいんですよね。なので出来る限り働き続けろと言われ、恋人が出来そうになると片っ端からぶち壊されました」
「え!? 恋人が出来そうに!? 一体いつそんなことが!」
何故そこで驚いた顔をする。失礼にもほどがあるな、この騎士団長。
向こうから声を掛けられ、合う約束をした。だからまあ、間違っちゃいないと思う。相手が本当にどう思っていたかまでは知らないけど。
「ですが、第二騎士団の騎士様に厳重警護いただく様になってから、出会いは皆無になりました。以上です」
「…………」
今度は黙ってしまった。ふんだ。
城の門を潜ると、花びらが敷き詰められた噴水の前に辿り着く。噴水の中に向けて籠をひっくり返すと、本日の私の仕事は終了だ。
この一回で、平民が普通に働く一週間分くらいのお給料がもらえる。労働内容に対する対価としては、破格の値段だ。
ちなみに『花摘みの乙女』は当番制だ。一日三回この作業が必要なので、現在五名の『花摘みの乙女』で回すと、毎日仕事はある。一週間働けばひと月半の給料になると考えると、かなり割のいい仕事ではあった。
「――では、警護ありがとうございました」
その場でぺこりと一礼すると、ロルフが何かを言いたそうな顔になる。少しだけ待ってやったが、何も言わないのでもう一度頭を下げた。
「失礼します」
踵を返すと、でかい身体が駆け寄って私を覗き込んでくる。
「ラウラ、家まで話を」
「近いんで離れて下さい」
にべもなく返す。ロルフの眉が、悲しそうに垂れ下がった。意味が分からない。
「ま、待っ……」
ロルフに背中を向けると、私は急ぎ足でその場を立ち去った。
別にロルフが悪いわけじゃない。分かってはいるけど腹立たしくて、一度も振り返らないまま王城を出る。
はああああ、と深い溜息が漏れた。少し離れたところからロルフが付いてきているのは知っていたが、完全に無視する。
今あの男の顔を見ると、思っていることが全部表情に出てしまいそうだった。
『花摘みの乙女』に護衛騎士が付けられているのは周知の事実なので、もう今さら誰もこんな面倒なものに手は出さない。だというのに、毎度ご苦労なことだ。
ロルフとて、こんな平民の行き遅れなんて本当は興味の欠片もないだろう。いつもの一方的なロルフのひとり語りは、間を持たせる為だと思っている。もしくはからかっているかのどちらかだ。
ロルフが私の首筋の匂いを嗅ぐのは以前からだけど、これまで私の事情なんてほぼ何も聞いてこなかった。こんなにぐいぐい聞かれるのは、今日が初めてかもしれない。
それだけロルフは、私のことに興味がないんだろう。花摘み以外何も出来ない、いや選択肢を与えられていない哀れな女だ。そのことを、私は十分に理解していた。
だって、貴族は平民を嫁に迎えないから。
あったとしても、後妻か妾。万が一多少は私を気に入っていたとしても、双方に明るい未来は確実に訪れない。
相手が平民とほぼ変わらない生活水準の貧乏な底辺貴族なら、あり得るかもしれない。でも、ボルグハルト伯爵家といえば名家だ。平民と結ばれた途端、一族から爪弾きにされ、騎士団長の座だって危うくなるんじゃ。
次男とはいえ、腐っても騎士団長だ。そんな立派な肩書を持つ男が平民の私に話しかけ続けるのは、憐れみからだと思う。だから彼のあれは、私に楽しい泡沫の夢を見せているつもりなのかもしれない。
――反吐が出そうだった。初めからないものなら、そもそも見せるな。それにガチムチは好みじゃない。
もういっそのこと、誰も知り合いのいない町に逃げ、とっとと野合でもしてこれまでの自分を捨て去りたい。でも、騎士団の監視の目があって、簡単には逃げ出せない。
「『花摘みの乙女』なんて、くそくらえよ……っ」
拳を握り締めると、地面を見つめたまま重い足を引きずる様に歩いた。
さきほどから言っている『花摘みの乙女』とは、妖精族の王妃様がこの国に嫁いでこられた際に出来た職業だ。
王妃様は花の妖精で、妖精の国の王女様である。王様が妖精の国を訪れた際、なんか知らないけど劇的な恋に落ちたらしい。
トントン拍子に話は整い、王妃様は人の国であるこのバザグゼア王国に嫁いでくることになった。
だけど、問題は食事だった。
花の妖精の王妃様は、妖精の国で咲く花の凝縮された精気を食べる。妖精の国ではどこでも咲いているので食糧難はないらしいが、人間の国にはそもそも自生していない。
そこで王様は、王都全体に植樹することを決めた。妖精族の薔薇の生命力は異様に強く、あっという間に根付いたけど、どこを向いても薔薇、薔薇、薔薇。肉を食おうが酒を飲もうが、常に薔薇臭が付き纏う。
飯が不味くなったと、そこそこの数の国民が王都を出て行った。私も全くの同感だったので、当時成人だったなら自分の意思で町を出ていたかもしれない。つくづく、未成年だったことが悔やまれる。
そして次の問題は、「誰が薔薇を城まで運ぶか」だった。
さすがに王妃様が「さあ食べよう」と毎食薔薇が生えている所まで来る訳にはいかない。だから、誰かが運ぶ必要がある。
だけど、なんとこの薔薇は、乙女――つまり純潔の、更に妖精族の血が入った女性が摘まないと、あっという間に枯れてしまう代物だった。よく調べてから植樹しろよと心から思ったが、当然不敬に当たるので口には出さない。
全く知らない国ではないので、そりゃ歴史のどこかの段階で血が混じることもあるだろう。だけど、誰に、までは分からない。
空腹のあまり日に日に弱っていく王妃様を心配した王様は、王都中の乙女を半ば強制的に集めた。妖精の国から人を呼ばなかったのは、そうすると彼女たちの分の食糧も必要になるからだそうだ。どれだけ大食漢なんだろう。
集められた乙女たちは、薔薇の花に触れる適性検査を受けさせられた。白い薔薇の花に手を触れるだけのものだから、さしたる抵抗もなかった。
その中に、何も考えていなかった私もいた。そして何故か私の持った薔薇は白いままで――それ以降『花摘みの乙女』として、日々せっせと薔薇を摘み取る羽目になってしまった。
ちなみに妖精の血が入っている乙女は、何らかの花の匂いがするらしい。ロルフが爽やかな香りとか言っていたのは、それのことだろう。
悲しいことに、私には身近すぎて自分がどんな香りを振りまいているのか分からない。いや、たとえ嗅ぎ分けることが出来たとしても、この大量の薔薇の前には匂いなんて掻き消されているだろう。
これまで数人の騎士に護衛をしてもらったけど、私の匂いがどうのこうのと言うのはロルフひとりだけだった。鼻が高い分、鼻が利くのかもしれない。毎回鼻息もスンスン凄まじいし。
『花摘みの乙女』は、簡単に言ってしまえば乙女でなくなれば役割を終えることが出来る。結婚するなり恋人が出来て純潔を失った途端に触れた薔薇が赤く染まるので、一目瞭然だ。
この赤い薔薇は著しく不味いらしく、王妃様も乙女じゃないので自分じゃ摘めないんだそうだ。聞いた瞬間、だったら国に帰れよと思ったことは、私の心の中だけに留めておきたい。
要は『花摘みの乙女』は、「私は純潔ですよ」と対外的に主張しているに等しい。冗談じゃない。誰がそんな看板を背負って練り歩きたいものか。
まだ若い内はいい。『花摘みの乙女』経験者というだけで、何となく箔が付いて嫁の貰い手も増えるし、なんか特別感もあっていいことは多い。
だけど、結婚適齢期を過ぎた途端、憐れみを含んだ視線に晒されてしまった。「行き遅れちゃって可哀想に」の世界である。このまま放置しておけば、老婆になるまでこき使われかねない。
だから私は、出来るだけ早く辞めるつもりでいた。必死で貯金もした。
だけど、うちの親はとことんがめつかった。私の想像の遥か上をいくくらいに。
周りが私に持ってきてくれた結婚話を片っ端から蹴散らし、私に言い寄ってくる男がいると箒を持って追いかけ回した。かと思うと、町のごろつきを安価で雇って男を脅したりする。自分の親ながら、かなりいかれていた。
とんでもない親であることに間違いはない。しかも、私のへそくりも少しずつ盗られていた。ありえない。
今すぐ返せと問い詰めたら、高い肉に消えたと膨らんだ腹を叩かれた。腹いせに晩御飯にこっそり腹下しの薬を混ぜて溜飲を下げたけど、まだ許せてはいない。
ならばいっそ、最悪どこかの誰かにひと夜の情けを頼み込み、意地でもこんなエセ聖女みたいな仕事はさっさと降りてやると意気込み、計画を練った。
それをまさか計画書をこっそり見られ、騎士団にチクられるとは。
「『花摘みの乙女』の貞操が狙われているとの通報がありましたので、本日から完全警護とさせていただきます」と出勤前にロルフに迎えに来られた時に、私は負けを悟った。
かくして逢瀬を禁じられた『花摘みの乙女』たちは、私に会うと「お前のせいで」という非難めいた目線を向けるに至る。
なお、騎士団は、基本貴族で構成されている。それに比べ、『花摘みの乙女』はその出自がほぼ平民だ。貴族の血は由緒正しいが故に、多種族の血が混じりにくいのかもしれない。
このままじゃ、完全に行き遅れになるどころか、老婆になるまでこき使われる。枯れた花摘みの乙女と陰で呼ばれた日には、本当に鉄仮面を被るしかなくなるじゃないか。
家事は出来ても、手に職なんて全くない。花摘みしかしてこなかったから。このままだと、家族だって作れず孤独死まっしぐらだ。
それに何より私は――恋をしてみたかったのだ。
◇
とは言っても、ろくに出会いもないこの状況で、そう簡単に恋には落ちられない。
顔を合わせるのは、両親と送り迎えをするガチムチロルフだけだ。ちょっとそこまで買い物にと思っても、騎士団に外出届を出した上で同伴してもらわなければならない。
他の『花摘みの乙女』は、女子の長々とした買い物にも騎士を引き連れて、存分に楽しんでいるらしい。私だって相手が可愛らしい新人騎士なら、ちょっとぐらいはやったかもしれない。
だけどここ数年、何故か決まって来るのは騎士団長のロルフ。騎士団ってそんなに暇なのか。
今をときめいているらしい第二騎士団団長を連れて買い食いとか、普通の庶民感覚ならまず無理だろう。下着類を買いたいと伝えた時のロルフの真っ赤な顔だけは、思い出すだけで今でも腹が捩れるけど。
ということで、仕事以外の時間は、家事をしているか部屋の窓からぼんやりと外の喧騒を眺めているのが大体の過ごし方だった。
一時期恋愛小説にドはまりし読み漁ったけど、その後暫く「どうせこんなのあり得ないし」という無力感に襲われてしまい、今は古本屋にある。読まなくなった途端、親が人に断りなく売りに行った。
ああ、恋愛したい。出来れば小説みたいな面倒くさいのじゃなくて、何の変哲もないのんびりした淡いやつを希望する。
窓枠の縁に顎を乗せてぼんやりと往来を眺めていると、仕事を終えた仲間のひとりが歩いているのが目に入った。『花摘みの乙女』の中では一番年が近く仲もいいハンナだ。
成人したら修道院に入ろうと思っていたくらい徹底した男嫌いで、このままいけば男と結婚しなくてもいいと喜ぶ変わり者。時折私を見る目が熱っぽい気がしなくもなくて不穏に感じる時はあるけど、基本はいい奴である。
ということで、私は勝手に彼女を枯れた花摘みの乙女仲間の候補に数えていた。勿論本人には言っていない。
そんなハンナなので、護衛騎士は近くに寄らせてもらえない。少しでもハンナのかなり広めの個人空間に入った途端、恐ろしいほどに鋭い眼光で睨みつけられるからだ。
そのハンナに付かず離れずの距離でついてきていた護衛騎士に見覚えがなくて、私は目を凝らして凝視した。
流れるような金髪。スラリとした肢体。戸惑っている気配が伝わる動作。年齢は、あの騎士団長よりは大分若そうだ。下手をすると私より若いかもしれないけど、――いい。キラキラ王子っぽさが醸し出されていて、あれはいいぞ!
私は興奮を抑えることが出来ず、通り過ぎようとしていたハンナに声をかけた。
「ハンナ!」
「え? ――あああん! ラウラじゃないの!」
ハアハアと何故か興奮気味な息をしながら、ハンナが窓に駆け寄ってきた。若干目が血走り気味なのが一瞬あの大きな騎士団長を思い浮かばせたけど、軽く頭を振って残像を追い払う。
私はガチムチには興味はない。キラキラ系王子一択だ。
「ねえあの護衛騎士、新人?」
「あ? ああ、アレね」
男の話になった途端、声の高さがドスンと低くなった。徹底している。
実に嫌そうな目つきで、往来の反対側で待機している金髪の騎士をじろりと睨む。
「つい最近騎士見習いになった奴よ。『やる気のある平民を採用しよう運動』の一環で、平民枠で採用されたんだって」
「平民? あの人貴族じゃないの?」
『やる気のある平民を採用しよう運動』ってなんぞやと思ったが、そういやペラペラとロルフが喋り続けていた中にそんなものがあったかもしれない。
確か、薔薇臭に耐え切れず都落ちした貴族が多数出てしまい、人手不足解消の為に優秀な平民をうんたらかんたらとかいったやつだった様な。
それにしても、平民とな。これはもしや、出会いのきっかけになりうるかもしれない。
「――ねえハンナ、実はお願いがあるんだけど」
「え!? なになに!? ラウラのお願いなら何でも聞いちゃう!」
私はハンナを手招きすると、周囲に警戒しつつ、私の計画を耳打ちした。
◇
翌朝。
私の家の扉を叩いたのは、ズモモモ、と音がしそうな大男――ではなく。
「あのっ! こちら『花摘みの乙女』ラウラ殿のお宅でよろしいでしょうかっ!」
「はいっ!」
すでに準備万端だった私は、両親に彼の姿を見られないようサッと外に出た。即座に扉を閉めると、にっこりと目の前の美形騎士を見上げる。はうう、近くで見ると益々好み。
「ハンナ様から急遽、ラウラ様と交代されたいと申請がございまして」
不安そうに泳ぐ水色の目が、私をチラチラと見ている。初々しい! いいよ、初々しいの最高!
「ええ、昨日相談がありましたから引き受けさせていただきましたの。ご安心下さい、騎士様」
日頃は絶対使わない言葉遣いで、私は愛想を振りまきまくった。うはあ、笑顔が爽やか! ゴツくない!
「あ、俺が籠を持ちます! 籠が空の間は大丈夫ですよね?」
「ええ、ありがとうございます。なんて親切な騎士様なんでしょう!」
大袈裟に褒めると、金髪騎士は照れくさそうに微笑んだ。
道中、あの騎士団長を真似てぐいぐい質問攻めにして判明したのは、以下のこと。
金髪騎士の名前はアレス様。これまではギルドに所属し冒険者として生計を立てていたが、ギルドに騎士募集の紙が貼られ、ダメ元で応募。これがなんと見事採用され、第二騎士団の騎士見習いとなり、ハンナ担当となったそうだ。
「まだ右も左も分からないので、粗相があったら申し訳ございません」
キラキラ王子系金髪美形のはにかむ笑顔。鼻血が出そうになった。ありがとう、眼福。
アレスの笑顔に見守られながら、出来るだけ時間をかけて薔薇摘みを行なう。会話ははずみにはずみ、噴水に薔薇を放り込んで帰路につく頃には、私たちはすっかり打ち解けていた。
「実は、ハンナ殿に一切近寄らせてもらえなくて。すごく気になっていたことがあるんだよね」
一瞬で砕けた口調に若干「あれ?」というものを感じなくもなかったけど、今は距離を縮める時だと違和感に蓋をする。
「何ですか?」
極力おしとやかに見えるよう、小首を傾げてみた。
水色の瞳が細められると、アレスの声が一段低くなる。
「『花摘みの乙女』って、花の香りがするって本当?」
なんだ、そんなことか。
彼の目つきが一瞬、意図していない時にロルフと目が合った時みたいな不思議な色をしていたから、ちょっと緊張してしまった。
ああいう時のロルフの目つきは、何だか獲物を狙っている様に見えて落ち着かない。匂いを嗅いでやると虎視眈々と狙っている目だと、私は確信していた。
「え? え、ええ。ただ、私自身はよく分からないんですが」
「へえ……」
アレスの目が、キランと怪しく光った気がした。あ、あれ? やっぱり同じ目つきに見えるんだけど。
「……ちょっと嗅いでみてもいい?」
「ええと……」
どうだろう。初対面でいきなりクンクンされるのは、たとえいい香りがしてるんだとしても気恥ずかしいものがある。
笑顔を引きつらせても、アレスは一歩も引かなかった。
「……これまでの騎士は、誰も匂いは嗅がなかったの?」
嗅いでいた。あの騎士団長は、毎日飽きることなく人の首筋をクンクンスンスン嗅ぎまくっていた。
「嗅がれて……ましたけど」
「じゃあ俺も嗅ぎたいな」
そう言うと、アレスは私の肩に手を回し、往来からは一歩入った暗がりへと導く。……ええと。
細い路地裏の壁に引き寄せられると、いきなりガバッと抱き締められた。
「ひえっ!?」
首筋に鼻先を当てられ、硬直する。いくらなんでも性急過ぎやしないか。
スーッと嗅がれた後、ほう、と熱い吐息が首にかかる。まあ普通は一回だけで繰り返しスンスンしないよな、とこんな時でもあの大男を思い出してしまった。しかもあいつの場合、追いかけてきてずっとスンスンやっている。どんだけ鼻息が荒いんだ。
「ああ、いい香りだ。これのことか」
アレスが、耳元で囁いた。ていうか、なんで抱き締められているんだろう。初対面で抱きつくのが今の恋愛作法なのか?
恋愛の世界には疎すぎて、私には普通が分からなかった。
「俺さ、知ってるんだ。史上最年長の『花摘みの乙女』は、親が毒親で結婚相手が逃げちゃったって」
何故知っている。まあ知ってるか。見てりゃ分かるもんな。でも逃げたって失礼じゃない?
「君さ、結婚したいんでしょ?」
「そ、それはまあ、いつかは……」
嘘です。今すぐにでも結婚して辞職したいです。
「俺もさ、折角この職に就けたから、出来たら元『花摘みの乙女』と結婚して箔をつけたいんだよね」
だから、君の純潔、奪ってあげようか?
艶やかで妖しすぎる笑顔で囁かれ、私は混乱してしまった。
結婚。この美形と結婚は、かなり惹かれる。純潔だって、そりゃあもういい加減手放したい。
だから、好条件なのは分かってる。分かってるけど。
――会ってその日にする話か?
「……ごめんなさい。貴方のことはまだよく知らないし」
私は、恋をしたいのだ。誰でもいいから結婚したい訳じゃない。それに、こんな条件が合うから結婚なんて、どう考えても政略結婚じゃないか。
そもそも私はアレスを格好いいとは思ったものの、別に好きも嫌いもまだない。
「あ、でも、これから徐々にお互いのことを知……」
「あーあ。行き遅れの癖にそんなこと言ってるからどんどん行き遅れるんだよ」
「……はい?」
アレスは私の肩を掴むと、乱雑に引き剥がす。それまでのキラキラはなりを潜め、どこか粗野な印象を与えるニヤケ顔を浮かべた。
「あんたさ、自分が行き遅れ乙女って言われてるの知ってるか?」
「……」
知らないけど、まあ言われてるだろうなとは予測はしていた。だけど、そこは言うなよ。
「折角担当になったっていうのにハンナは全然なびかないし、あんたはあんたで固いしさあ。あーあ、ハズレくじ引いちまったな」
あまりの言葉に、私は何も返せなくなった。
アレスが、にやりと笑う。
「あ、でもあんたが望むなら、別の『花摘みの乙女』を紹介してくれるなら、純潔はいつでも奪ってやっていいぜ?」
「ふ……」
「いつまでも乙女呼ばわりされるのもいい加減恥ずかしいだろうしなあ! あははっ!」
「ふざけ……っ」
なんて奴だ。ブルブルと拳が震えた。殴ってやりたい。
私は拳を構えると、ギュッと唇を噛んでアレスを睨みつける。
アレスが、私の顔を覗き込んだ。
「あれえ? もしかして泣きそう?」
「な、泣かな……っ」
ズシャ、と重い音が路地裏に響く。
「いじめ過ぎちゃったかなあ? やっぱり俺と結婚するっていうなら、これからは優しく……」
アレスの言葉が、途中で止まった。余裕ぶっていたアレスの顔面は一気に蒼白に変わり、私の肩越しの先を凝視している。なに、なになに。
「……ラウラを泣かせたと?」
低い唸るような声が聞こえてきた。
「い、いや、まだ泣いていな……っ」
聞き覚えしかない声に、安堵から私の涙腺が一気に崩壊する。
「ロルフ、様あ……っ!」
泣き顔で振り向くと、こめかみに青筋を盛大に浮き上がらせた怒り顔の騎士団長が、ハッとした表情に変わった。
「ラウラ!」
ロルフは大きな身体に似合わずしなやかな動きで私に駆け寄ると、ガチムチの腕の中に私をそっと包み込む。
なんだこれ。安堵感が半端ない。なに、この守りは完璧みたいな絶対的安心感は。
私の頭上から、ギリギリギリ、と歯ぎしりの嫌な音が降ってきた。
「……きっさまああーっ!!」
私を片腕でひょいと抱き上げると、直後にロルフはアレスの顔面に綺麗な一発を決める。
「グハッ!」
後ろに倒れそうになったアレスの頭を、グワシと鷲掴みにした。
「私の宝物に、なんてことをする!」
私の宝物ってなんだ。
「……第二騎士団長様、今なんて」
「ロルフだ!」
そこは譲らないらしい。
「あ、ロルフ、様」
「うむ!」
うむじゃない。
焦点が合わずに目線がグラグラと四方八方に彷徨いているアレスは、多分もう聞こえちゃいない。
だけどロルフはまだまだ言い足りないらしかった。頭を前後に振り揺らしながら、噛み付くように怒鳴り続ける。
「どれだけ私がこの可憐な花を摘み取ることを我慢してきたと思っている!」
可憐な花って、キザなこと言うねえ。――え、いや、それってまさか……えええっ!?
驚いて超至近距離にいるロルフを見上げたけど、ロルフは興奮しているのか私の視線には気付いていなかった。
「ラウラに好かれていないことは重々承知していたっ!」
あ、すんません。かなり冷たい態度を取っていた自覚はあります。
「だが、私は決めた! もう迷わん!」
何をですか、騎士団長様。
「とにかく、お前はここで排除だ!」
そこでそうくるか。
ロルフは叫んだ後、今度は足で股間を蹴り上げた。
アレスが、気が狂ったように叫ぶ。
「ぎゃあああああっ!!」
……うわあ、絶対痛いやつだこれ。
「――よし! これでもうラウラの純潔はお前には奪えん!」
な、なるほど。そういうつもりで。
ロルフが掴んでいた髪を離すと、口から泡を吹いたアレスがどしゃりと地面に落ちた。ピクピクとしていると、もうさっきまでのキラキラはどこにも窺えない。
「……ラウラ。大丈夫か?」
太い指が、私の頬を伝う涙をそっと掬った。青空みたいな澄んだ瞳に覗き込まれ、私は完全に呑まれてしまい言葉を失う。
こくこくと頷くと、ロルフがほっとした様に肩の力を抜いた。
「……一瞬見失い、焦った」
は? 一瞬?
私の顔に疑問が浮かんでいたのか、ロルフが勝手に説明を始める。
本来の私の順番は今日の昼だったので、ロルフはのんびりと登城してきた。すると、事後報告でハンナが私に順番を代わってもらったと聞き、急ぎ噴水に向かう。
そこで目にした光景は、楽しそうに会話しながら立ち去っていく豆粒くらいの私とアレスの姿だったそうだ。一瞬で判別したというから、とんでもない視力の持ち主だ。
ロルフは大急ぎで私たちの後をつけた。
「騎士団長なんですから、普通に呼び止めればよかったのでは」
「あまりにもラウラの態度が普段と違うので、衝撃を受けてな」
何故かロルフの腕に横抱きにされながら、ちょっぴり悲しそうに苦笑される。なんだこれ。
「どういうことだと、話の内容をなんとか密かに聞けないかと耳を澄まし目を閉じた瞬間、見失ってしまってな」
何やってんだこの騎士団長。盗み聞き宣言してるよ。
「慌てて探し回り、見つけたらラウラが泣いているではないか。心臓が飛び出すかと思ったぞ」
「す、すみません……」
さすがに申し訳なくなって縮こまると、何故かロルフがキュンとした顔になった。
「……ラウラ。昨日、話をしようとしていたことなんだが」
「昨日……?」
何かあったっけ。記憶を手繰り寄せてみた。
ロルフが青い瞳を私から逸らさないまま、続ける。
「昨日帰り際に話をと声を掛けたが、断られてしまった」
「あ」
結婚のことを聞かれて腹が立ったので、先に帰ったのだった。いつものただの「俺の話を聞け」じゃなくて、本当に何か話があったのか。
「それは……申し訳ありませんでした。てっきりいつものあれかと」
「……そんなことだろうと思った」
ははは、とロルフが乾いた笑い声を上げた。いつものあれで通じるあたり、本人にも一応自覚はあったらしい。
「実は――私には最近、大臣の娘との婚約話が持ち上がっていたのだ」
「そう……ですか……」
そりゃあ騎士団長にこの見た目だ。家だって名家だし、話のひとつふたつもあるだろう。
分かり切ったことだったけど、何故私は地味に衝撃を受けているんだろう。
「いい加減身を固めろと実家からの圧も日に日に強くなってきていた」
当然だろう。私は無言で頷いた。
すると、突然ロルフが泣きそうな目で声を荒げる。
「だが!」
びっくりした。
「だが……私は、どうしても嫌だった」
「それは……何故です?」
「簡単な話だ。私はひと目ラウラを見た時から、貴女に惚れていたからだ」
「……嘘だあ」
思わずタメ口が飛び出した。
途端、ロルフが弾けた様に顔を上げる。
「嘘ではない! 貴女の可憐な姿を見た瞬間、運命の人だと思った! だから即座に婚約を解消した! 話してみると、もっと好きになった! ツンとされるのも、堪らなくよかった!」
あれがよかったのか。ツンが好きとはなかなかな通な気もする。ていうか、婚約やめたのって私が原因? 嘘だろう。
「……ロルフ様、そういう趣味あったんです?」
「違う! ラウラだけだ!」
本当かな。
「ラウラはいつも、どの『花摘みの乙女』よりも丁寧に仕事をしていた。他の者の様に護衛騎士に色目を使うこともなく、常に清貧を貫く姿に私は夢中になった……!」
清貧言うな。ていうか、他の奴、色目使ってたの? 仕事だよ? え?
「私はラウラ殿を独り占めにしたくて、他の騎士から遠ざけた」
いつからか送り迎えがロルフのみになったのは、こいつの仕業か。
「だが、ラウラはもしかしたら誰かと家庭を持つことなど望んでいないのか。そう思い悩み、眠れぬ日々を過ごした」
望んでます。滅茶苦茶望んでます。やっぱりこいつ、人の心の機敏を読むの苦手なんだな。
「私の婚約話がどんどん私の意思抜きに進んでいく中、私は考えた。たとえばここでラウラに結婚を申し込み結婚出来たとして、貴族の世界にラウラは馴染めるのか? それが果たしてラウラの幸せなのか? とも」
「そもそもご実家が許されないと思いますが」
当然のことを言うと、ロルフの口がひん曲がった。
「……分かっている。だから、これが最後の未練だと思い、昨日はラウラの本心を聞こうと思ったのだ」
それを私が無視して帰っちゃった訳か。それは申し訳ないことをした。
だがそれよりも、ひとつ気になることがある。
「あのお……私けっこうロルフ様の前では猫被ってるんで、ロルフ様が思っている人間とは大分違うと思いますよ」
「そんなことはない!」
必死な形相で、ロルフがきっぱりと言い切った。いや、だって本当のことだし。
するとロルフは私を片腕と膝で抱えたまま、後ろポケットをガサゴソと漁り始める。下ろしてくれていいんだけど。
「これを見てくれ、ラウラ」
真剣な眼差しでロルフが手渡してきたのは、革張りの小さな手帳だった。
「これは……?」
「……中身を見れば分かる」
「では、失礼します……」
いいのかなあと思いながら手帳を開く。途端、とんでもないものが視界に飛び込んできた。……は? なにこれ。
「……『今日のラウラも可愛いかった。最近は恋愛小説は読まなくなってしまった。小説にはまっている頃は寝る時間が遅かったので、ラウラの健康の為にはいいのかもしれないが、最近はつまらなさそうに外をぼんやりと眺めていることが多くて心配だ。何か懸念ごとがあるのかと、先日古本屋にラウラの父親が売りに行った本を全て買い取って読んでみたところ、愛しのラウラは王子が姫を助け出す話が好みの様だ。あの両親の元ではさぞや窮屈だろう。へそくりを父親に盗られ怒っていた声は可憐で可愛かったが、あまりにもラウラの扱いが酷すぎる』……てこれ、どういうことです……?」
「そのままだ」
あっさりと返すんじゃない。寝る時間が遅いとか、売った本を全部買うとか、私が怒った声を……て、え? えええ!?
「私はラウラ専属の護衛騎士だからな」
ポッと頬を染めて言う内容かな、これ。
「――とまあこの通り、私はラウラが私には見せていない日頃の姿も話し方も大体把握している」
「そ、そうですか……」
他になんて答えればいいんだ。
「だが、先程のこやつの言葉で泣くラウラを見て、決めた」
さっきも言っていたけど、何をだろう。
ロルフが、私の顔に顔を近付ける。若干目が血走り気味なのが、いつも通りでちょっと笑えた。
だけど話す内容は、全然いつも通りじゃない。
「大臣の娘との結婚は、断る」
「……え? いや、それって断れる様なものじゃないんじゃないですか」
「断る。同時に、騎士団も辞する」
「……はい?」
一体何を言っているんだろう、このガチムチは。
「ラウラが辞職を望んでいないなら、諦めようと思っていた。だが、結婚を望んでいるのなら話は別だ」
目を見開く以外、何も出来なかった。
青い瞳が、私を捉えて離さない。
「ラウラ、私と結婚してほしい」
ロルフが、きっぱりと言った。
だけど私は、首を横に振りながら再び涙を流す。
「だって、貴族は平民とは……っ」
「それが断る理由ならば、私は貴族をやめる」
「嘘だ……っ! そんなこと、出来る訳が」
「出来る! いつでも覚悟は出来ている!」
だって、ロルフは貴族だから、ガチムチは好みじゃないしってずっとずっと自分に言い聞かせてきたのに。
本当に嫌いだったら、首筋の匂いなんか絶対嗅がせなかった。そのことを、この大男は果たして気付いているんだか。
ロルフが、愛おしそうに私の頬に鼻先を幾度も擦りつけ、今日も今日とて鼻息荒くスンスンと嗅ぐ。
「ラウラ、愛しているんだ。貴女の香りも、存在も、全て。信じてほしい。頼む、本当なんだ……っ」
ロルフは目を真っ赤にして、今にも涙が溢れそうになっていた。
ああ、可愛いな。そう思ってしまったら、もう私の負けは決定だった。
「……では、お願いをひとつ聞いてくれますか?」
「願い!? 何でも聞くぞ!」
頬を淡い赤に染めて、相変わらずロルフがスンスンと鼻を鳴らす。だから嗅ぎすぎだってば。
「このお願いを聞いてくれたら、結婚してあげます」
お前何様だよ。自分でそうツッコミながら、私はロルフに対する願いを口にする。
みるみる内に真っ赤に変わったロルフの顔を見て、「この人、本当に私のことが大好きなんだなあ」と思うと可笑しくなり。
視線を彷徨わせ始めたロルフの鼻の頭に、小さなキスを落とした。
◇
翌々日の朝、ロルフがいつもの通り私を迎えに来る。
ぎゅっと横に結ばれた口を見て、「何難しい顔してるんです?」と尋ねると、「にやけそうになるのを抑えているんだ」と答えられ、返事に窮した。なにその可愛い返事。卑怯だってば。
今日も見事に咲き乱れる白い薔薇の前に籠を置くと、私はロルフを笑顔で振り返った。
「ちゃんと変わりますかね?」
「そうでないと困る」
相変わらず変な顔のロルフが答える。
そうして私は白い薔薇をぶちぶちと威勢よく摘み取っていくと、城の中の噴水――には向かわず、籠をえっちらおっちらと背負い自宅へと戻った。
玄関を開け放つと、まだ夜着で彷徨いていた両親が寝ぼけ眼で私を見る。
「ラウラ? お前、何やって……えっ!?」
私は無言のまま、籠の中身を玄関にぶちまけた。
真っ赤に染まった薔薇が、私の家に濃い香りを振りまく。籠を振って全部出すと、籠をドン! と家の床に置いた。
「赤い薔薇!? お、おい! 一体どういうことだ!」
父が血相を変えて私に詰め寄ろうとしたけど、私の背後にぴったりと控えているロルフの圧に負け、途中で足が止まる。
「というわけで、今までお世話しました」
「ちょ、ちょっと待て、ラウラ……」
「もうこの家には帰りません。これまで稼いだお金はあげるから、ラウラは死んだと思って下さい」
にっこりと笑うと、両親が唖然としてその場に膝をついた。
最後まで「愛してる」とか「大切」だとかいう言葉はもらえなかったな。それが寂しくないと言ったら嘘だけど――。
私の肩を、大きな手がそっと掴んだ。
「さあ、ラウラ。行こうか」
「ええ、ロルフ」
「それでは世話に……なっていないが、達者でな……でなくともいいか?」
ロルフの言葉に、思わず吹き出す。
呆然としたままの両親がいる家に背中を向けると、私はもう二度と振り返ることはなかった。
◇
馬に二人で跨ると、ロルフの大きな腕が私の身体を絶対落とすまいと包み込んだ。
風に乗って、薔薇の香りが鼻孔に届く。でも、もうほんの僅かだ。
後ろを振り返る。離れていく王都の白さが眩しすぎて、目を細めた。
「ロルフ。薔薇の都にもう戻れないのよ。本当によかったの?」
私は元々『花摘みの乙女』の肩書きは捨てたいと思っていた。だから私はいい。でもロルフが捨てたものは、私の比ではなかった。
だけどロルフは、相変わらず人の首筋に鼻先をくっつけるとクンクンスンスンと吸い続けている。嗅ぎすぎだってば。
「ロルフ、ちょっと聞いてる?」
肘でロルフの固い腹筋を突くと、ようやくロルフが顔を上げた。
「問題ない。薔薇の香りはとっくに飽きた」
それだけ言うと、更に私を引き寄せてここぞとばかりにスンスン鼻を鳴らす。
ロルフ曰く、これまではある程度距離を開けてしか嗅げなかった。でも、恋人になり思う存分鼻を密着させて嗅げる様になった。なので、長年の夢を叶えている最中らしい。
人の首筋を嗅ぎながらずっとそんなことを考えていたのかと思うと、どんだけだと可笑しくなった。
「それに話しただろう? 私のラウラに対する執着の強さは家族はよく知っていたからな。両思いとなった今、引き離しを画策でもした途端、どれだけの報復をされるか考えるだけでも恐ろしいと言われたぞ」
執着の強さ。あまり本人に聞きたいものではない。
「今から向かう町には、信頼できる知り合いの伝手がある。衣食住は……食は、私は作るのは苦手だが……」
「私が作れますから。というか、私も働きますからね」
「うん……」
スンスンスン、と鼻息が荒い。多分これはろくに聞いてないな。
振り返ると、青空みたいな青い目に見つめ返された。
「薔薇の匂いは五年で飽きたんですよね? 私の匂いもその内飽きるかもしれませんよ。その時に手に職がないと困りますしね」
ロルフがムッとした顔になる。
「薔薇の匂いはすぐに飽いたが、ラウラの匂いは五年経っても嗅いでないと恋しくて苦しくなるくらいだから、絶対に飽きない」
きっぱりと言い切ったロルフの言葉が心底嬉しくて、心からの笑みを浮かべた。
ロルフはキュンとした顔になると、ゆっくりと顔を近付けてくる。
私とロルフの唇がしっかりと重なった。ロルフのキスはぎこちないけど、ロルフらしいそこそこな執着を感じるものだ。
やがて名残惜しそうに顔を離すと、熱の籠もった眼差しで私を食い入るように見つめる。五年もの間、毎日向けられたのと同じものを。
「ラウラ。一生傍にいてほしい」
「お願いなんてしなくても、逃がす気なんかないでしょう?」
「当然だ」
きっぱりと言い切るのが清々しくて、敵わないなあとまた笑った。
きっとずっとこの先も、私はこの大男に守られ縋られ追いかけられ続けるのだろう。
――まあでも、ガチムチの腕の中も、案外悪くないじゃない。
がっしりと掴まえられた腕の中で、私は幸せを噛み締めたのだった。
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