三十九話
あるぇ?
向日葵との差がどんどん縮まっているぞ?
代表作入れ替わりまで折り返しですね。
「鋭いことを言うな」
精一杯多く保とうとしているのが分かる頭を掻き、黒岡は席を勧めた。怜於は一瞬躊躇ったが、晴海が堂々と勧められた席に座るのを見て、怜於もその椅子に座った。座り心地は良かった。
「ここにいる」
黒岡は辺りを見渡し、各々紙やコンピュータと向き合っている“社員”、約十人に目を遣った。「者達は、こんなに豹変わってしまった私にもついてきてくれたんだ」
「彼らは気を遣ってか言わないが、私自身が一番自覚していることだ。私は昔の信条も何もかも失ってしまった」
「…つまり、端的に言うと」
言ったのは晴海だ。
「そういう凋落っぷりが、私の顔にも出ている、というだけの話だ。こんな話よりも、君たちの話の方が面白そうだ」
「話…ですか」
「ああ。私達は、というか私は特に外に殆ど顔を出さないのでね。社員たちは新鮮な食糧や情報を手に入れるために外に出ることがあるが、得られる知見には偏りがあるだろうからな。是非とも外部の者である君たちの話を聞いてみたい」
「その前に、僕から質問、いいですか」
晴海が手を挙げ、聞いた、
「ここには、どれくらい滞在しているのですか」
「それには、私が答えましょう」
話に割り込んできたのは、スラっとした礼服の男。他の者達がスーツを着ているとはいえ、かなり浮いている。他の者の中で、この男ほど明るく生気のある表情をしている者がいない、ということも関係していると思う。
というか、この男のこの態度はかなり差し出がましい。僭越ながら、という一言があってもいいのに。社会経験の浅い怜於にも、それくらいのことは分かる。
「…ああ、頼む」
財閥の(元)“総帥”がこう言ったのは、果たしてその器量が大きいからなのかどうか。
「黒岡総帥は、御財閥が名残惜しくも崩壊した後に、元より私が目をつけていたこの場所にお逃げしたのです。我々が逃げ出した後の財閥は散々で、遂には“橘”なんかに頭を下げ始めた。折角我々が築き上げてきた名声が無駄になってしまいましたよ」
「…まあ、そうだな」
黒岡“総帥”の反応に違和感を覚える。無駄になってしまいましたよ、と言っているが、その名声を築き上げてきたのはお前ではなく、黒岡“総帥”の筈なのだが。
「……あ、申し遅れました。私、役員の金森洋一と申します」
慇懃に礼をしながら、怜於に名刺を渡す。続いて、晴海にも。
「…僕も、名乗った方が良いですか?」
「よく存じ上げています」
金森が堂々と頷いた。「岡本――」
「岡崎晴海」
「た、大変失礼しました!」
慌てて金森は頭を下げる。ひょろい男が立派なスーツを着て、頭をぺこぺこ下げる様子は、中々既視感だ。昼ドラによくありがち。
そしてこういう奴は、謝罪は赦免の道具だと思っている節がある。
「隣の方はよく存じ上げていますとも。松坂怜於」
え?
「我々の黒岡財閥をどん底に突き落とした張本。廻零士と、松坂怜於。我々が忘れるわけもございません」
ああ、思い出した。怜於の脳裏にこびり付いた憶念がフラッシュバックする。
黒岡財閥。怜於を二度も死地に追いやった、あの”組織”のことだ。防衛本能かどうか、怜於の記憶からそのことがすっかり消えてしまっていた。
「松坂…か。金森、何故それを先に言わん」
「…名前を、知っているんですか」
「忘れたくても叶わん名前だ」
黒岡が立ち上がった。平らかな声音がその殺伐とした空間に響く。
「いや、そんなに言うほどでも無いのでは?」
金森の言葉も黙殺して、黒岡は怜於にまっすぐな視線を向けた。
……気のせいだろうが、この場にいる人間全ての視線が自分に注がれているような気がする。身体のあらゆる箇所に、何かが突き刺さっている感覚。
「あ…」
「惨めだよ、松坂。何の因縁か、今お前が我々の掌中にある、本当は廻という男と共に締めたかったが、岡崎晴海、お前もお前で因縁があるな。ふふ、我々の間に何の因果があるのやら」
「そんなもの、信じたくもないですけどね」
晴海が声を張り上げた。だが、それは寂しく虚しく響いただけだ。
それさえも、怜於の弱さを浮き彫りにする要素の一つになってしまう。
「……待てよ」
一言目、口火を切ってしまえば後は、堰を切った大河、それも濁流のように言葉があふれ出てきた。
「黒岡は何度も俺を命の危機に晒した!だが、俺は、廻は、そして晴海は何をしたんだ⁉例えそれがお前たちにとって命取りになるとしたら、俺達は“悪”なのか?」
「善悪を絶対的な指標で測ることは無意味だよ」
金森は静かな声で言った。「無論、ね」
黒岡は依然として視線を怜於に向け続けているが、口は開かない。
「見られたのは俺達の所為なのか?お前達の過失じゃなくて、か?」
「無論、私達にも非はあるさ。だが、私に非はない。ヘマをした上に報告を怠った馬鹿は確かにいたが、相応の処分をしたよ」
「だったら…!」
「だったら、なんだ?お前たちはそもそも、罪など背負っていないぞ」
「…!」
金森はその顔を一ミリも歪めることなく言った。今まで百面相の男だっただけに、その言葉は重かった。
「我々が追及しているのは、“罪”ではない。というかそもそも、何も“追及”していない。落とし前をつけるためだ。要するに憂さ晴らし」
今は薄笑い。だが、怜於の視線は、自然とその後ろの黒岡の表情に向けられる。
「金森、お前は」
「?どうなさいました、総帥」
「若すぎたな」
こういう時、人はほんの少し先の“未来”が見える気がするのは、自分だけだろうか。
不思議と確信がある、突拍子もない“妄想”。だがその刹那、それは現実となって自らを襲っている、そんなような感覚。
クイズ番組を見ている時に多いかもしれない。とある問題の答えが見えるようになる直前に、天啓のように答えが降りてくる。それを口にすることは叶わず、口の筋肉に力を籠めようとしたその瞬間には既に、目の前にに答えが表示されてしまっている。
……そんなような、どうでもいい考えが一瞬で頭を廻ることがあるのも、自分だけなのだろうか。
でも、それでも、妄想それがまさか本当になるとは、絶対に予想できない。
一つには、そんなことが自分の身の回りに起きるわけがないという、無根拠の自信。平穏の泥に浸かって過ごしてきたことの代償。
自分がそれに曝されたことがあっても、目の前で客観的にそれを見るのとは、まるで比較にならない。
例えそれが他人以下のそれでも、中々目の前で喋っていた人間がそうなる体験は貴重なのだろうな、などと、事後、怜於の脳が思考する。
大して響きもしない、柔らかいものが地に堕ちただけの音が、部屋に響いた。
混乱。だが同時に、いくつかの疑問が氷解していく。同じだけの疑問が現れる。時間に急ブレーキがかけられ、怜於の頭の中はフリーズする。
自分はどう動くべきか?どんな声を発するべきか。平然としているのが良いのか、叫ぶのがいいのか、何処に目を遣ればいいのか、手は握っておいた方がいいか、足は動かせるようにした方が良いのか。
廻り廻るその思考とは対称的に、黒岡とその背後の背広達の表情は変わらない。
こいつ、序盤に名前出したくせに、明確な役割持たせてなかったんですよね。
でも今回、綺麗に役割を果たせたな、と…。思います!(強引)
軽率に名前を出すのは止めよう、と思いました。




