三十四話
約百年前、世界に、とりわけ日本に何が起きたのかを知る者はほとんどいない。その界隈では、オカルトめいた説で溢れているが、普通の日常を送っている者にとっては、百年前のことなど心底どうでもいいし、その当時のことを語る老翁がいるわけでもない。
その時、世界は滅んだんだ。この学説を信じろ、と言われるのは、何も知らされない庶民にとってはお伽草子の内容を信じろ、と言われるようなものだった。
その後、世界は再建されたが、今の技術力はせいぜい数百年前に匹敵する程度でしかなく、百年前、世界が滅びる前の技術力と比べると明らかに見劣りするということ。
そのことを信じるのは、せいぜい天然な狂信者程度のものだっただろう。世界中の人間の九割九分九厘九毛九糸九忽は、若気の至りの奇行だと解釈した。
「…この阿呆は、なんて言ってるんだ?」
「知らねぇよ、俺が知りたいわ!」
「そういうことを信じたがるのは分かるけどさぁ…やり過ぎだってw」
「こいつの住所特定~」
それは、全世界同時に伝わった。
当然、長目飛耳の持ち主たちは、全世界で失笑を共有する。
そのことについての意見は、瞬く間に一桁、二桁、と増えていく。
仕様もない意見が、全世界に波及するなど異例の事態だ。
だが、その違和感には誰も気付かない。
ただただ、ドミノ倒しのようにそれが広がり行くだけ。真偽に疑問を呈するまでもない。なぜなら、それは絶対に真っ赤な嘘だろうから。
「マジで馬鹿ばっかりだよな」
あーあ、とテレビの画面を消す。「こんな馬鹿なことやってる場合じゃないのにな」
「ええ、尤もです」
倫成は再びソファに横たわった。
「日本が大変なことになってるってのに、こんなクソ動画作ってる暇あったら現地の状況を憂えよ」
「…」
月島の何とも言えない視線に気づき、倫成は付け足した。「俺も大概、田舎で暇を満喫してるけどさ」
「あーもー、また面倒の種が増えたし…」
明華は再び大きなため息を吐いた。
犯罪予告じみた、馬鹿馬鹿しい動画。しかも、多言語で全世界に広がりつつあるというのだから、また面倒。
しかも、その動画の中で男がとんでもないことを事実として話しているのだ。殆どの人は信じないとはいえ、明華としては放っておけない事実でもあるのだ。
デマだとしても、何だとしても。
「イタズラ動画が拡散されているようですが、内閣としては全く関与していません、と…。校正さんに見てもらわなきゃ」
それにしても、と明華は思う。
「…よっぽど暇な人がいるのね…」
また別のモニターには、砲煙弾雨が写っているのだ。
「クソみたいな迷惑動画を作り拡散する社会不適合者め」
口にして毒づく。総理もぶっ倒れてるこの状況で、こんなことをする奴の心中が知りたい。
「うっぜえーーー!」
砂塵舞う荒野に、咆哮が響いた。
「何だコイツ!ニタニタしやがって!死ねよ!」
「マユさん落ち着いて!」
危うくモニターを叩き割りそうなマユを、慌てて朽木が宥める。
「じゃあ何だ!幸基はこいつを殺したいとは思わないのか!」
「殺したいとは思いませんよ?」
モニターをどけて、観測装置に再び目を遣る。
「鬱陶しいですけど、それほどでは…」
「こっちは集中してんだぞ!しかも何だあのクソ動画は!中二病を拗らせた社会不適合者が犯罪予告しようが何しようが、俺には関係無ぇ!」
「言い方…」
「大体、誰なんだよこいつは!」
「名前ですか?えと…」
「名前じゃない!中身だよ!キモい!」
荒れに荒れたマユを抑えるのは、手慣れている朽木にとっても至難の業だ。
「まあまあ、ネットではほら」
素早く検索してマユに見せた。既にそれに関連するワードで溢れている。
「バチクソに燃えてますよ」
「お、どれどれ」
普段は穏やかな性格を見せることが多いマユだが、こういう時にはよく荒ぶるのだ。
「あー、あんまり過激な発言はしないでくださいね」
「当然だろ、俺のリテラシーを舐めるな」
マユは鼻を鳴らしてキーボードを叩く。
「はじめまして、世界の皆」
単調な空間にぽつりと置かれた椅子に、どっかりと男が座っている。
「いきなりですが、近年取り沙汰されている“救世主”ですが、実在します」
これでもか、というほどに整った容姿。全世界に受け入れられそうな端正な顔立ちで、聴き心地の良い声音を出す。
「僕は、その救世主を手中に収めるべく、今この瞬間を待ち望んでおりました」
にこやかな表情をつくり、高らかに宣言する。
「僕の名前は“音霧星哉”!どうかお見知りおきを!」
その後で、彼はモニターを見せる。
「日本の皆さんはお馴染みでしょうが、もしかしたら海外の方々のうちの何方かはご存じではないかもしれませんね」
広々とした、殺風景な荒野。
「こちらは、現在の東京都になります」
にこやかな表情を消し、溜息を吐いた。
「…深刻な状況です。この日本国でクーデターが起きたこと自体は私の私見を挟む隙間はございません。しかし、これほどの被害をもたらした直接的原因は、クーデターでは無かったのです」
間を置き、重々しく口を開く。
「…世界が今、希望として目指し続けている救世主こそ、この災禍を現実にした唯一のものなのです。膨大なエネルギーが絶えず供給され続ける救世主に大きな刺激が加わったことが、この」
モニターに、上空からの写真を映す。「半径一キロが更地になった原因なのです」
「これだけの巨大なエネルギー源を、恒久的かつ安全に利用し続けることは実質的に不可能。世界の科学の最高峰、“S”はそれを知って尚、その利用を目指し続ける」
―愚かと言う他、表しようのないことではありませんか。
「実行部との連絡は繋がったか」
実行部との連絡を確保できるように言いつけたアルバートは、既に着替えを済ませていた。
「も、もうすぐ…」
「あまり待たせるな」
「は、はい」
Sが国際的な地位を得たと同時に、得た権利のうちの一つ、“秘密回線”の利用権である。
S内部での連絡の速度をおよそ極限まで高め、盗聴に対するセキュリティも万全という代物だ。
「おい、まだ繋がらないのか」
「ちょっと待てよ、結構時間かかるんだってこれ…」
「所長の機嫌がいつもと違うんだって…」
この研究拠点にアルバートが現れるのは、そう珍しい話ではない。だから、今のアルバートがいつもと違うことも彼らには分かった。その直後、部屋の大モニターの映像が切り替わった。単調な部屋と、端正な顔立ちをした男が映し出される。
「おい、誰だ大モニターと俺のモニターを乗っ取った奴!」
「あ、俺のモニターも乗っ取られた…」
「私のも…」
回線の接続を頑張っている二人の視線も、大モニターに持っていかれる。
「誰だ…?」
「知らねぇ男だな」
しばらく、その男の気取ったようなスピーチに耳を傾ける。
「おいお前ら!サボってるんじゃないぞ!」
「すみません!」
二人で、慌てて回線を繋ぐ作業に戻る。が、耳はモニターからの音声に傾いている。
「所長、モニターが乗っ取られたのですが…」
流石に研究室が喧騒に包まれることはなかったが、あちらこちでざわめきが聞こえる。
「気にするな、気になる奴はモニターの電源を切れ」
アルバートは迷いなき足取りで、秘密回線の繋がった電話が設置されている所長室へと向かった。その背後に「回線、繋がりました!」という声がかかった。
あー、
兼部しよかな。




