二十六話
遅くなりました。
大阪各所で、戦火が上がった。
各地の交通網は直接の戦火にはさらされてはいないものの、混雑と事故によって寸断され、大阪市民の殆どが大阪から離れることが出来ない状況になっていた。
「…どうやって帰ればいいんだ?」
大阪の制空権が”橘”にある以上、航空機が空を飛ぶことなど出来ない。
「さあ。自分で来たのだから、ご自身でお帰りください。私はここに留まりますよ」
「それで大丈夫なのか?」
「私の身は大丈夫です。が、貴方の身は保証できませんね。第一、橘はあなたの情報を知らないでしょうし。無差別の空爆はまだ行っていないようですが、流れ弾は飛んでいるでしょうね」
「…」
「そんな顔したって無理ですよ。私だって、貴方と馴れ合う必要性はありませんもの。どこかに情報が漏れれば互いに不利益でしょうし。確かにヘリを呼ぶのも可能ですが、貴方の為にそこまでの骨折りはしたくありません。第一、貴方の身を案じる必要もありません」
「そうか。なら、どうしようもないな」
「言っておきますけど、ここに留まるのも止めてくださいね」
「ぐっ」
「第一、大阪には貴方方の研究所があるのでは?」
「…あそこは今使っていない」
「そうですか。では、お元気で」
男ーアルバートは、そういう会話を交わした後に建物から出た。駅前一等地のビルだ。
「ご自身で帰れとか言うけどな…」
駅の近くは人で氾濫していた。バーゲンセールが可愛く思えてくるな、と独り言。
こんな状況下を知ってなお「ご自身で帰れ」と当然のように言うのは、「鬼畜だな、あの女」
と思ったら、その人の洪水が、突如として内側から押し出されてきた。
「えっ…」
なぜ群衆が駅から出てくるのか、と疑問に思う暇もなく、アルバートは人の波に押し流され、苦悶を味わうことになった。
「駅に軍が入って来たぞ!」
「攻撃が始まってるぞ!逃げろ!」
人波に流されるがままに、アルバートは駅から少しずつ遠ざかっていった。その間に、周りから聞こえてくる情報に耳を傾けることを忘れない。
「…駅に?」
なるほど、確かに暗くてよく見えないが、物々しいヘリコプターが向こうに数機見える。
「駅を占領して何するつもりなんだ…?」
もしそうなったら、更に帰るのが面倒になるな、と思いながら、襲い掛かってくるような群衆から逃げ始めた。
軍が怖いのではない。怖いのは群衆なのだ。
刹那、背後で悲鳴が上がった。
アルバートは反射的に振り向いたが、しかし血走った顔でこちらに向かってくる群衆を見て、慌てて再び走り始める。
すぐ背後で、数多の命が潰れていることなど知る由もなかった。
「既に大阪周辺、軍事転用可能な全施設を制圧完了した」
煉與は重々しく口を開いた。
「…陸海空の交通の要衝も全て監視下に置くことが出来た。これを起点とし、勢力圏を広げていく…こともできるが」
煉與は一座を見回した。全員、目を伏せている。
気持ちはわかる、と思う。
―“橘”以来、彼らは彼らなりに己の信条に則って行動し続けてきた筈なのだ。だからこそ、その首領たる自分についてきてくれた。今陣頭指揮を取っている数十人に加え、ここに控えている二十人余が、その最たるものだった。
無論、自分だってそのはずだった。
だが、大小の群衆事故が各地で起きている今、その信条が揺らぎ始めているというのは、煉與とて感じざるを得なかった。
だからこそ、口を開く。
「…先の件、我らが準備不足により起きてしまったものと思う。今、それを不審に思い、各々が“信条”を傷つけてしまったと感じるならば、ここに」
地面を穿たんばかりに、頭を下げた。
「深く、謝罪する」
小さく、ざわめきが起こった。
「…そして、これ以上我が声についてこれないと思った者は、遠慮なくこの場を去ってほしい。去り行く者も、その各々の信条の強さ故だろう。尊敬の念を払う」
再び静寂が訪れ、どこかで唾を呑む音が聞こえる。
「それでも我が声についてくる者は、己の信条よりも付和に己が身を任す、軽率の表れだと思う」
静寂が破られ、あちこちで驚きと動揺の声が響く。
「…だが、我は感謝するだろう。そして、その結果何人の同胞が背を向けても、我が人徳と受け入れるだろう。さあ」
煉與は立ち上がり、吼える。
「共に修羅の道を歩く者は立ち上がれ!」
怒鳴り声とも、喝ともつかない、少々湿っぽい大声が一同の耳朶を裂いた。
その首領の目元は光っていたとか、いなかったとか。
いずれにせよ、それを確かめる術は無い。
自分の人生で、これほど不安になったのは、二回と無いだろう。
そう確信できるほど、自分は焦燥しきっていた。
我ながら不思議なもので、「連絡が取れた」と言われても尚、胸に纏わりつくような不安は拭いきれなかったのだ。
「怜於…怜於!」
欠伸をしながら歩いてくる怜於の顔は、母親からしたら目に涙溜めたいたいけな子供のそれに見えた。
「っ、ちょ…」
「心配してたんだよー!」
こんな風に抱きつくことなんて何年振りなのだろうか、と思う心のゆとりもなく、反射的に突き放されてしまった。
勿論彼に、悪意などあろうはずもない。
「…っ、ごめん」
安堵と罪悪感が混じったその表情。十年以上見てきた彼のその表情は、すぐに見抜ける。
「…すみませんでした、お母さま。私の保護責任で、怜於君を危険に晒すことになってしまい…」
付き添っていた先生が深く頭を下げる。「申し訳ございませんでした」
「…いえ。事件に巻き込まれてしまったのは不運の重なった結果ですし」
謝罪を受け入れっぱなしでは、何か後味が悪そうなので、言おうか言うまいか一瞬悩んだが、結局言った。
「ただ、真桜学園ともあろう名門校でこんなことが起きたのは正直…驚きました」
失望しました、と言おうとしていた所を、直前で変えた。
その後は無難な応酬が続き、事件は一件落着、という形を見せた。
…というか、そうならざるを得なかった。
文字数少なめですが、これ以上入れるとキリが悪くなるので。
というわけで、なんかサイドストーリーみたいになってしまいましたが。
勘弁してください。




