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二十話

「…!」

 男は、今更ながらも恐怖に震えていた。

 今まで、自分の目指すこと為すこと、全て自らの正義に則っていたという自負があった。自分は絶対にそこから逸脱しない、と…。

 目の前の光景は、自らの理想、正義からはかけ離れた惨状。

 今まで積み上げてきたものが、ともすれば全て崩れ去ってしまいそうなその光景は、とめどない恐怖と自責となって男を揺さぶった。

―が、彼に退路など無いのだ。




「た、退去ですか」

「ああ。もうここも危険だってな」

「ですがどこに退去しろと…」

「知らねぇよ、そんなもん。俺が知りたいくらいだ」

 大阪にあるとあるテレビ局。外から響く爆音に退去を命じられたところである。

「…まぁいいや。最悪自己責任でここに残るって選択肢もありだ。一応、全員の生存を確認しろって話だ」

「1,2,3…あれ?一人足りなくないですか?」

「あぁ、ちょっと前に一人先に帰るって言ってたよ」

「そうですか…じゃ、これで全員ですね」

 無事に職場から解放されたわけだが、戦地の恐怖から解放されたわけではない。全国規模のテレビ局に所属するこの男、香坂(こうさか)新悟(しんご)は途方に暮れざるを得ない。

「美誠から早く帰れって連絡来てるし…どうしようか」

 無論、娘である美誠が大阪に向かっているということは知らない。

「香坂さん、今日はここで寝るか?」

 同僚の一人が冗談めかして新悟に訊いた。いつもの新悟なら、職場で寝泊りすることに別段の抵抗はない。が、娘の要請に逆らうことになるので、できるだけ避けたい…。

「どうするかな…」

 マップアプリを開いて、作戦を考える。家のある愛知までを結ぶ電車も飛行機も、船舶も難しい。既に前代未聞の混雑に関する情報がひっきりなしに入ってくる。

 一つ、彼の頭に案が浮かんだ。


「お、久しぶりじゃないか」

「いやぁ、どうも」

 新悟は軽く会釈をして、ビルの隙間のドアに入った。

「外の混雑、ヤバいだろ」

「ほんとだよ…人を掻き分け十メートル歩くのも五分くらいかかった」

「へぇ、そりゃ…ご苦労様。そんなになってんのか…予想以上だったな」

「ここ窓無いもんな」

 新悟にとって、この男は“ここ”での古い同僚でもある。

―株式会社“橘”。

 香坂新悟は、大阪の放送局に属しながら“橘”に属していた。株式会社としてではなく、裏を取り仕切る一大組織、“橘”に。

「意外だな、あの社長がこんなグダグダの中で戦いを起こすなんて…」

「先日からいろんなことが騒がれてたから…結局警察署の攻撃なんてのも誤報だったんだろ?」

「それもそうだし、他にもいろんな物騒なことが各地で起こってたからなあ…それに背中を押されたのか、社長が今回大規模に蜂起をしたわけだし」

「…ま、俺らは社長のことを支援するだけだよな」

 株式会社、もとい反社会組織“橘”の理念。それは、

「“この世界から理不尽を取り除く”ってな…俺ら放送局の立場からも大いに賛同だよ」

 この世界の理不尽を目の当たりにし、それに深い憎しみを抱いたものが集う場所、それが“橘”。無論この理不尽が小さなもので良い筈もなく、理不尽な不幸によって“人格”さえ捻じ曲げられてしまった程の人間が集う場所である。

「最後の手土産、なんか無いか?」

「…特には無いなぁ。ただ、これ」

 小さなメモリを差し出す。

「各地の混乱っぷりを記録したやつだ。こっそり持ち出したんだが、まぁ支障はないだろう」

「おお、感謝するよ。これさえ、俺らにとっては貴重な情報源だ」

「…それと、もう一つ頼みがあるんだが」

 旧友は目で答えを促した。

「俺の家に、俺の銀行口座の情報を渡しておいてくれ」

「…分かった」

 旧友はふっと笑い、その後若干の寂しさを湛えて答えた。

 一人、戦場へ向かう。



「大阪市内の現在の様子です。大混雑を極めており、丁度あちらの方で死傷者が出る事故が起きたという情報も入っております!そしてあちらに…黒煙がモクモクと上がっているのがここからも確認できます!時折爆音も響き、…うっ!非常に緊迫した状況だということがひしひしと伝わってきます…!」

 真桜学園の心臓、真桜大学校長室。

「これは…」

 リポーターが人に押しつぶされながらも、必死に言葉を話す様子は、大阪での非常に緊迫した状況を如実に物語っていた。

 校長格、神田通泰も前代未聞のこの事件に絶句した。

「大変な事ですね」

 “十九人の聖徒”と呼ばれる家系の一人、藤堂(とうどう)麗子(れいこ)もテレビを睨みつけている。

「…嘗て東京に並ぶ大都市だった大阪ですが、今でも日本における影響は絶大です。これに呼応して各地の反乱因子が蜂起すれば、東京(ここ)さえ戦火が飛び火してくることも十二分に考えられるでしょう」

「先日の件もあるしな…」

 正体不明の武装集団が真桜大学敷地内に侵入した事件である。第一発見が一般人だということもあって、この由々しき事件は揉み消す前に世間に広がってしまった。

 結局警備隊が駆けつけ何事もなかったのたが、一時剣呑な噂(デマ)がネット上で広がり、鎮火に大分手間取った。

 今回はその教訓を生かさねばならない、と通泰は考えた。

「更なる援助を国に要請したいが…軍は軍で各地に十分な戦力を送る余力も無いだろう…警備を強化するしか無いか…?」

「まぁ、大学はそれで良いでしょうね」

 そう言い放ち、藤堂は書類を差し出した。

「しかし先手必勝とも言います」

 藤堂はすっと紙を差し出した。通泰は一旦目をそらし、「一人東京から大阪に向かっているそうじゃないか」

「…信用できる人間ではありません」

「なら、なぜ向かわせたんだ」

 藤堂は、無言で通泰を睨みつけた。

「まぁ、いい…」

 通泰はたじろぎ、少し躊躇いつつも、さらさらと署名をした。

「ありがとうございます」

 それだけ言って、藤堂は部屋を去った。

「…全くあの老婆」

 先程自分が書いた書類の内容に思いを馳せ、深い溜め息をついた。

―反社会組織"橘”に対する先制攻撃の許可。

「どうなるんだろうな、この先…。大事にならないといいが」

 霧の森の中に足を踏み入れるような心境だった。




「…私は賛成ですよ」

 その刹那、玲於の心が凍りついた。

-せめて、先生には、先生(・・)には、その言葉を言ってほしくなかったんだ。

「なんで…」

「まぁ、それが死に直結するというわけでもありません。…別に楽観しているわけでは無いですよ?でも」

 玲於は口を閉じた。無力感に苛まれる。

-こういうとき、自分に力があって、勇気があれば、何かが変わっていたかもしれないんだよな。

「…でも、廻さんを信じてみませんか」

「そうしてくれると、僕も嬉しいんだ」

 廻の瞳はいつもと変わらない。怜於をまっすぐに見つめた。

「…分かった」

 本音なら一緒に行きたい。行ってあげたい。だが、出来ない。

「必ず、全員助かるように」

 こみ上げてくる物を抑え、玲於は辛うじてそう言う。

「勿論」

 廻の顔に、不敵な笑みが浮かんだ。

 廻が傾斜のきつい坂道を一気に上り、姿が見えなくなったその後も、玲於はずっと廻が消えていった闇に眼を向けていた。



 重たい、五分が経った。

 この状況で先生との会話が弾むわけもなく、本当に息苦しかった。

-行きますか。

 水科先生が目で合図した。玲於も黙って頷く。

「一気に行きますよ」

「…はい」

 廻が通った道を一気に駆け上がり、月光煌めく草原に足を踏み入れた。


「…すごい」

 緊張した怜於の口からも、ぽろりと言葉が漏れた。

 月夜に照らされた、森に囲まれたボロボロの洋館。かなり昔の言葉を使って表現するならば、かなり”エモい”。

「…この家にも、たくさんの人の想いが詰まってるんですね」

「そうなんですか?…まぁ、そうか」

 人が生活する場所である。想いの一つや二つ、詰まっていない方が不思議だ。

「さぁ、行きましょう。正直私も不安ですが…怖じ気ついた者負けですね」

 静寂に響く自分達の足音が、全身が凍てついてしまう位の不安に襲われる。

 何も考えないようにして、辛うじて足を動かす。

「…見たところ人はいなそうですね…寧ろ罠に思えてしまいます」

「怖いこと言わないでくださいよ」

 言霊になりそうで怖い。

「堂々と入り口から入りますか?」

「ちょっと待って下さい」

 ちょっと思い当たることがあった。

-廻といつ合流するのか?

「…彼は、少し残酷な言い方をすれば“囮”なんです」

 言いようのない不安に、体の内側が薄ら寒くなる。月に雲がかかったのか、どこからか響く低音と共に闇が深くなる。

「だから、合流は少し先になるかもしれません。それが彼の役目ですから…。まさか、彼に限って万が一(・・・)の事があるとは思えませんし、心配はしなくて良いですよ」

「無理ですよ」

 絞り出した言葉。彼に限って大丈夫?そんな保証があるのか?

…ない。

「分かりました」

 ふぅと息を吐き、先生はバッグを開いた。そして手のひら半分サイズの黒い機械を取り出した。

「これが無線機です。廻さんにも先程渡したので…傍受は怖いですが、一度の交信ではリスクは低いですし、一応簡単に暗号化はされているので。どうぞ」

「あ、ありがとうございます…」

 先生がボタンを押し、マイクと思われるものを玲於に向けた。

「…もしもし」

「…玲於?」

 はっと先生の顔を見る。先生は微笑んで、頷いた。

「どう?調子は」

「うん。良いよ。なんなら-」

 ガンッ

 緩みかけた頬が瞬時強張った。

 何の音だ?

「…今すぐ来て良いよ、合流する準備は出来てるから」

 先生は交信を切った。

「行きますか」

 平然と言ってのける先生に、怜於は焦った。

―い、今の音は何ですか?

 訊きたかったが、今更ビクビクしていると思われたくはなかったし、怜於は先を行く水科先生についていくしかなかった。


二十話です。

これで6万くらいですかね。

話の内容的にはキリが悪いのですが…

眠いのでここで切ります。

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