十三話
「…まぁ、今急いでも意味がないですよ」
「そうね。じゃ、詳しい話をしましょう」
人生初めてのグリーン席に怜於は困惑しながらも、この居心地を堪能する。他の席に座った記憶を持たないままグリーン席に乗ると、常識が狂ってしまうということを知ったのは後のことだ。
「自らを“反政府の王”と名乗る馬鹿。これが今巷間を騒がせている」
「馬鹿…でも、力は持っているんですよね?」
「ええ、まぁ…株式会社として金を稼ぐというのも、それほど大きな規模の会社という訳ではなかったから、他にも収入源はあったのでしょうね。で、これが」
水科先生は紙を懐から出して、二人に見せる。
「奴らの犯行声明。中々物騒な内容だけれど」
―反政府の王たる私が、今日日本政府に宣戦する。如何なる手段を使ってでも、現状腐りきった日本を立て直すために全身全霊を尽くす―
「…世直しか」
廻がポツリと呟く。
「日本ってそんなに腐ってるの…?」
怜於も言葉を漏らす。怜於のイメージでは、今の日本がそれほど腐ったものだとは思っていない。他に腐っていそうな国など無数にある。
「…まぁ、ね」
水科先生は逡巡した様子で小さく答える。
「彼女は今、大阪…或いはその周辺の地域で軟禁されているということ。…最悪の場合は、監禁も考えられると」
声のトーンはあまり変わっていないように聞こえるが、先生の顔はやはり青くなっている。自分の生徒が監禁…考えたくもないほどの悲劇だ。
なぜ、寧音を拉致したのか?
怜於の今最大の疑問はそこだ。
一つは、拉致の目的だ。
金か?それならばあえて“宣戦布告”などはしないはず。国の動揺ならまだ分かるが…。
事件をもっと大規模にしたいのなら、女子高校生一人誘拐するのは少し分からない気がする。中枢人物の一人でも誘拐すれば列島を揺るがす大ニュースになるだろうし、その分組織の目的達成にも近づくのではないか。“反政府の王”の目的がどうあれ、女子高生一人誘拐するよりも良い方法はあった気がする。
その疑問を口にしようとしたが、理性がそれを止めた。水科先生は今、自分なんかよりも事態を深刻に捉えているはずだ。
「で、場所の目途は付いてるの?…軟禁されてる場所」
廻も深刻な表情だが、決して取り乱してはいない。
「…今のところはっきりしてないです。一時間ちょっとの間、現地の人たちが調査を進めてくれているのでそれまでに…発見できるといいですが」
「難しいか…」
そもそも一時間で、大阪周辺を含めた地域から監禁或いは軟禁場所を割り出すというのが無理な話だ。相手側も、易々と見つかってしまうような場所に置いておかない。
「大阪に到着した後は、どうやって行動するの?」
「…まだ決まっていません。現地の人から情報を聞いた後、活動を始めると。それ以外は聞いていません…。あと言い忘れていましたが、このことはまだ“極秘”でお願いするということです」
どうやらまだ、この誘拐の話は公にされていないらしい。
「ま、後は運を天に任せるだけか」
廻の言葉は楽観的とも取れるが、しかし今のところは彼の言う通りだった。
「初めての大阪かもしれない…」
怜於は思わず呟いた。テレビの中ではよく見るが、現実のものとして見るのはかなり新鮮だった。東京と大阪、決定的な違いは何かと聞かれれば…分からないが。
「こんな状況じゃなかったら一緒に遠出を楽しみたかったけどね…そしたら僕、大阪案内できるよ」
廻も呟いた。どうやら廻は大阪に来ることも初めてではないらしい。
「とりあえず駅周辺で現地の人と接触する手筈になっていますが…」
きょろきょろと水科先生は辺りを見回す。といっても、この時間帯駅前は人で溢れており、きょろきょろした程度で見つかるわけがない。
「入念に打ち合わせたわけじゃないので…今連絡しておきます。二人はあのカフェに入っておいてください。電話してきます」
「分かりました」
人気のコーヒーショップ、‘セイレーン’に入った。緑の人魚が描かれたロゴで有名だ。既に遅い時間帯だが、まぁまぁ混んでいる。
「さーて、何頼むか」
「そんな呑気な雰囲気じゃないって廻…」
「でもまぁ、店に入るからには…何か頼まないと」
「まあ…正論か」
廻は甘いドリンクを、怜於は一番安いコーヒーを頼み、砂糖をたっぷり入れる。
「…結構待ってたけど、来ないね」
「ねー、まぁ手こずるとは思ってたけど…外見に行く?」
「いやぁ…入れ違いになったり俺らが道に迷ったりしたらそれは大事故になるって」
「そっかぁ…」
先生との連絡手段を持っていない二人にとっては、このカフェに縛り付けられているも同然の状況だった。
「廻、眠くない?」
「言われてみると結構眠いなぁ…ってあ!怜於まさか…眠気覚まし用にコーヒーを!」
「…あぁ、そうだよ」
そんなわけがない。多分先生が後で払ってくれると思うが、だとしてもとりあえず安いコーヒーを頼んだ理由は、ただそれが安いということに他ならない。
「…ちょっと不安になるね」
廻がぽつりと呟いた。その発言は怜於の心にある不安という染みを、じわじわと広げていった。
「…ちょっと電話してみるか」
廻の言葉に反論はない。
「…“王”、こちらの作戦は完了です」
「よくやった、次のフェーズに移ろう」
反社会組織として一部の人に知られている、“橘”。実はかなり大きい組織で、各地に拠点を構え、その各地である程度の支持層を持っている。彼らは平時は一般市民として表社会で労働、生活するがひとたび“王”の指令が下りるとスーツを脱ぎ捨て、“裏”の住人へと変貌する。日本を揺るがす一大勢力だということは政府上層部には知られているが、一般市民の認知度はとても低い。一つには表立った行動を今までしなかった点。そして政府がその存在を隠そうとしていたこと、メディアの上層がその政府の意を汲んでいたことが挙げられるだろう。
大阪では数日前、“王”の指令により大阪に詰めている徒党と、表に潜伏している多数の人間を糾合し、大阪に置いてある莫大な軍事物資の一部を装備し聖フェロメナ学院に姿を現した。
学院にも潜伏員は少なからずおり、監視の目をかいくぐって武力行使をすることもできた。が、この指令を出した“王”の想定外だったのが“特保”の極めて迅速な登場だった。
前哨戦程度の戦力、しかも大阪での本格的な戦闘を考慮に入れていないその規模の部隊で特保の部隊と衝突するのは愚策、と現場の司令官は判断した。現場に現れた特保は小規模なものだったが、学院の中での戦闘は不利、ということもあった。結果として撤退という間抜けな結果にはなったが、今こうして本筋の作戦が決行できる状況になった。
「…今まで長かったが」
”王”は重々しく口を開く。
「こうしてこの日を迎えられたことを嬉しく思う。だが、これが“終着点”というわけではない…諸君も知っているだろうが」
冷たく微笑んでいる者、危険な笑みを浮かべている者、様々な者が“王”に視線を向けている。彼の統率力の賜物なのだろうか。
「それを達成するまでは決して諦めることは出来ない!これより!我々は“日ノ本”を元の澄んだ国に戻す為の聖戦を始める!」
「うおおぉぉ!」
太い声が暗い室内の空気を揺らした。その直後、その場にいる全員が部屋から出ていった。―直後、日本が戦乱に飲み込まれることになる。
「まぁ、廻の言いたいことも分かるけど…」
「静かに!」
「えぇ…?」
路地裏を覗き見ると、確かに怪しい入口がある。今怜於と廻は、廻の発案でカフェを出て、怒涛のように町の路地裏という路地裏を探しまくっていた。
「…あそこ、怪しくない?」
…まぁ、怪しくないと言えば嘘になる。町の眩しすぎるほどの明かりも届かない、薄暗くジメジメした通路。空き缶や得体の知れないゴミが足元に散らばり、何とも言えない臭いが漂っている。薄汚れたドアが半開きになってある。確かに怪しいが、こういう所は無数に見てきた。
「まぁそうだけど…まだ確信はできない状況だし…」
逸る廻を見て、怜於は余計に躊躇う。
「こうやって迷っている間にも先輩が危険にさらされる可能性が高まるんだよ?」
「うーん…」
我ながら臆病な自分に呆れるが、だが腰が引けてしまうのはどうしようもない。
「なんとかやるしかないよ…それにほら」
廻が懐から取り出したのは、どこから入手したのかスタンガン。怜於もついこの間見たことがあるが、それより少し大きいように見える。あれなら、奇襲をかければ数人の監視を突破できるかもしれない。
「…やろう!」
怜於は扉に手をかけた。葛藤のせいで集中できず、背後から迫る気配に気づくことができなかった。
「はっ!」
「後ろか…!」
「生意気なクソガキ二人…!思いあがるなよ!」
廻がさっと前に出て、スタンガンを突き出すが相手の方が一枚上手だった。スタンガンを叩き落とし、手首を掴んだ。
「廻!」
この音で気付かれたのだろうか、扉の嫌な音が響き、男数人が顔をのぞかせた。明らかに敵意のこもった視線を投げてくる。
「こっちも口封じしなきゃいけないんだ…容赦しねぇぞ」
怜於のまっさらになった頭の中に、遠くで響いた爆音が流れてきた。
これで一章「ささやかな日々」終了です。若干ささやかじゃなかった気がしますが…
あと事後報告になりますが、最初の方にあったサブタイトル、諸事情によって全部消させていただきます。詳しい理由はトップシークレット()です。




