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十一話


「はぁ、はぁ…。いない」

「こっちも。…事態は一秒を争うのに」

「…!」

 晴海が傷つくことなど、絶対にあってはならない。

「いたぞ!侵入者だ!」

 はっと怜於は後ろを振り向く。そこには、数人規模の警備部隊がいた。

「早いね…怜於!僕が足止めしとくから、さっさと見つけて逃げて!ほら!」

 困惑する怜於に、音霧はスタンガンとバールを放った。そんなものをどこに隠し持っていたのか、という疑問を持つ心の余裕はない。

「使って!」

「わ、分かった!」

 その場からは逃げるように、走って行った。

 この建物は、三階建てである。


「ここか!」

 ドンっ、とドアをほとんど破るようにして開けた。そして、驚いて体が膠着してしまっている男をバールで殴り、スタンガンを押し付けた。

「わうっ…!」

 晴海はこちらを向き、目に生気を取り戻したようだった。だがすぐに顔を歪める。

「えっ…!」

 怜於は絶句した。見ると、ボタンを持っていない方の腕が固定され、釘が十数本刺さっている。まるで、針山のようになっていしまっている。そして、そこからは血が滴っている。

「こ、これは抜いた方が良いのかな…」

 動揺しながらも、こくんと頷く晴海を見て、一気に数本を抜く。言葉にならないうめき声が聞こえる。口がふさがれていることに気付き、ガムテープを一気にはがす。

「うっ…」

 急がないといけないので、怜於は晴海の腕、足を固定する釘をバールで抜いていく。これを見越して用意してくれた音霧に感心する余裕も、なかった。

「後は枷か…」

 はっと思い、後ろを見ると、さっきまで呻いて崩れていた特保の男はその場を去ってしまっていた。

「あいつは鍵を持っていたはず…!」

 鍵をかけたんだから鍵はもっているだろう。しかし、それが無いとなれば、ピンチだ。このままでは逃げることができない。

「探す!」

 部屋を出た。

 左右を素早く見るが、人影はない。が、下の階が騒々しい。不審者が入っていることがばれているので、それは仕方ない。

「いい!早く逃げよう!」

 迷いながらも、頷く。確かにこの状況、どこにいるかも分からない男一人を探すより、無理やりこの場を離れた方がいい。

「大丈夫?」

 とは訊きつつ、逃げ道を考える。音霧は「さっさと見つけて逃げて」などと簡単に言っていたが、考えてみればその方法が問題かもしれない。

「…下は警備員がたくさん、上にはいないと思うが、逃げられない…。音霧独りではあの人数に勝てない…。つまり、早く逃げないと音霧が負ける」

「音霧って?」

「逃げるのを助けてくれた人。今、下で警備を足止めしてくれてる」

「…じゃ、早く降りようよ」

 ぎょっとして晴海を見ると、すでに窓を開けていた。既に空は暗く、月は雲に隠れている。

 見ると、小さな螺旋階段が設けられている。階段一段一段、人間一人立つので精一杯くらいの大きさ。しかも、手すりの類もなく、一言で言えば、怖い。

「僕が先に降りるから、外見張っといてね。誰か来たら、それで追い払っといて」

 怜於の持つスタンガンを指差し、気楽そうに言う。晴海の緊張が解れているのは分かったが、しかし重責にも程がある…。





「おはよーう」

「め、廻…」

 極度の緊張から解放されたのは良かったものの、直後の登校というのは…残酷だ。

 結局あれから、音霧と名乗ったあの男に会うことなく、車がやって来て、元居た場所まで戻ることができた。家に帰って、門限を破ったことをしつこく問い詰められたものの、大事にはせずに済んだ。

 大事にならなかったので、学校に来ることになったのだ。流石に晴海は、腕の怪我が尋常ではないということで学校には来ないらしい。今朝、青ざめた顔をした光吉先生との面談で聞いた。

 曰く、大事になってしまうので、冗談でもこのことは他言無用だと。警察もこの件は把握しているが、事が事なので、まずは慎重に捜査すると。情報漏洩した場合、怜於か晴海のどちらかに罪があると断定すると。光吉先生は、これらのことについて警察に対し「胸糞悪い」と爆弾発言をしていたが、怜於はそこだけ聞き流した。

「どうした?疲れてる?」

 そうした気疲れも、体力的な疲れも含めて顔に出ていたのだろうか。廻が無邪気に訊いてきた。

「まぁね…」

 ふーん、とそれ以上は踏み込んでこなかったが、話を蒸し返したのは放課後である。



「怜於!面白い記事あるよ!」

 広報部が別名“情報部”などと呼ばれ、生徒たちから面白がられている理由の一つに、大量の本、大量の書類、そして毎日届けられる三社分の新聞が挙げられる。とんでもない、そんな物を読み切れるわけもなく、殆ど新聞を読むのは寧音先輩と水科先生だけだ。が、今日は違った。

「“黒岡財閥、政府と闇取引”」

 と、題した新聞が今、怜於の目の前にある。

「近いって…」

「ねぇ、取引の現場見てよ!このショッピングモール!丁度僕らが見たあの場所だよね?」

「…ホントだね」

 できるだけびっくりしたような感じで言いたかったが、丁度考えていたことそのまま言われてしまった動揺を隠すので精一杯だった。―警察、既に公にしちゃってるじゃん。しかも廻もこの場面一緒にいたじゃん。―

「えー、凄いねぇ。あれ、政府との取引だったんだねー。道理であの人慌てまくってたのか…」

「…そうだね」

「でも衝撃的だな…黒岡財閥、日本有数の大企業に…国が絡むなんてね。日本も腐ったもんだねね」

「…仕方ないんじゃない?こんな()だし」

「そっかぁ…」

 廻はそう言いつつも、別に深刻そうな表情ではない。

「そういや昨日、どうしたの?学校来なかったけど」

「あー、そうだねぇ…。昨日は寝過ごしちゃって」

「寝過ごした⁉」

「そそ。気付いたらもう午後になっちゃってて。どーしたもんかなー、って思って勉強してた」

「諦めてんじゃん」

「…昨日、なんかあった?」

 反射的に頷こうとする自分を慌てて止め、できるだけ平静を装って答える。「特に何もなかったよ」

「ふーん?」

 廻の懐疑的な視線と目を合わせないようにしつつ、新聞に目を通してみる。

「黒岡財閥の会長が認めたみたいだね。なんの前触れもなくいきなり認めたってことは…」

「…確かに、なんかあったのかもね。…僕らが見たのが原因だったら面白くない?」

 まだニヤニヤして廻が言う。

「面白くないよ…もしそれが原因だったら…危険な目に遭うかも」

「…ね、もしかして心当たりあるの?」

 もっと面白そうな顔をして訊いてくる。やけにするどいな、と思いながらも

「いや?」

 と、声のトーンを保とうと努めながら誤魔化す。

「なーんだ、つまんない」

 廻も再び新聞を読み始める。

「黒岡財閥の賄賂か…ありふれた汚職だけど、規模が規模だからね…」

「…うん。これくらい大きな企業の汚職なんて聞いたことないよ」

 怜於がそう相槌を打つ。

「ま、そういう大きな企業も全部裏で汚職なんてやってるんだろうけど…上手く隠すよね、みんな」

 そういう発言には苦笑いするしかなかった。

「…で、黒岡財閥はこれからどうなんのかな?廻、書いてる?」

「…書いてるよ。黒岡財閥そのものはこれからも残ると思われる…けど、会長は逃げたんだって。行方不明」

「会長だけ?身一つで?」

「…いや、財閥の財産、固定資産を除く全部持って」

「は…?」



「くっ…!」

「非常に不味いですね、会長…。これはかなり不味いです…」

「今までなんとか誤魔化せてきたが…これは決定的なものになる」

 重い空気が下りるのは、世界に名だたる“黒岡財閥”の社長室。会長、“黒岡正希”(くろおかまさき)の顔は死んだように暗い。

「…こうなった以上、特保さえも捜査に乗り込んでくるだろう。そうすれば我々の裏稼業はもちろん、本業にも支障が出る…」

「…ええ。国外に逃亡しようにも、既に会長の所在は知られてしまっているわけですから…」

既に本社では警察による捜査が始まってしまっている。

「…そこで会長」

 黒岡の傍で、先ほどまで顔を真っ青にしていた男は、先程までの顔が嘘のように、不敵な笑みを浮かべていた。

「私に案があります…。是非とも、お聞き入れくださいますよう…」

 黒岡の目は、大きく見開かれた。





「黒岡財閥が…事実上の崩壊か」

 夜。東京某所。

「ええ。…これからの活動にかなりの影響が出そうです。…その上、黒岡財閥の連座で他の様々なことが露呈すれば、我々とて今まで通り無傷でいられるかどうか…」

「“王”、これは決断の時が来たのでは…?」

「いやいや、まだ時期尚早だと思いますが」

 一際大きな椅子に座る男の呟きに、その場の議論の幕は切って落とされる。

「このまま何もなければ…この先我々の活動が…」

「行き詰まるかもしれない…」

「いやいや、これは下手をすれば取引相手までもがマスコミに感づかれる可能性すら…」

「いや、それは無い!」

「…いや、黒岡財閥の崩壊はそれくらいの影響力も…」

 議論は白熱したが、すぐに議論は止まり、沈黙が下りた。…黒岡財閥の崩壊、即ちここ、“株式会社橘通運(たちばなつううん)”の最重要取引先の崩壊は、彼らにとってとても大きな意味を持っていた。

「…今までの取引も全部パーか」

「大事件だな」

 この場にいる十人全員の生活にかかわる問題だから、全員が全員、この問題の動向に必死になるのは至極当然のことだと言えた。

「…“(しだれ)”は今どうしてる?」

 “王”と呼ばれた男が口を開く。

「今のところは何も…しかし、黒岡崩壊の影響かどうか、“特保”には不穏な動きがあるようです」

「…そうか。では決めたぞ。おい眼鏡、大阪行きの指定席取っておけ」

「了解しました」

「他もだ!夜が明ける前に大阪へ向かう!作戦は追って指示する!」

「応!」

 十人は、今までの雰囲気を入れ替え、動き始めた。荷物をまとめ、階段を上り、店を出る。

「毎度ありがとうございます~」

 店の主人は頭を下げ、一行を見送る。気前のいい客が去ると、主人は笑みを消し、懐から紙を取り出す。

“重要指名手配””危険人物”が書かれたポスター。

 “殺人、内乱罪被疑者”“岩上空(いわかみそら)”。

 店の主人はエプロンを脱ぎ捨て、散らばった十人の内、一際身長の高い男の後を気取られぬように追い始める。

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