十話
十話
「おい小僧、そっちは関係者以外立ち入り禁止区域だぞ!」
「…そう?」
「そう?じゃねぇ!さっさと離れろ!」
太陽の光も差し込まない、時代錯誤の蛍光灯が弱弱しく光る通路。大きくはないが、静けさのせいで響く二人の声だ。
「まぁ、落ち着いてよ」
その瞬間、蛍光灯の光がプツリと切れ、廊下に闇が落ちた。ゴンッという鈍い音が響いた。
「っ小僧…!」
「黙ってよ。命は取らないからさ」
「お前は…誰だ」
「…怪しい者じゃないよ」
その場から立ち去る足音は、殆どの人間では聞き取ることができない。
闇に紛れ、彼は決して、人間の前には姿を現さない。
「…で?お前は見たか?と訊いているんだよ」
「…何を!」
「何を、とまでは言わねぇ。ここは黒田財閥。分かるだろう?心当たりがあるはずだ」
怜於は狭い取調室で尋問されている。
金属の枷を使って、怜於の四肢と首は固定されており、自由な動きは全くできない状態ではあるが、まだ、“拷問”というところまでは行っていない。だが、辺りを見回せば、何に使うかは考えたくないが、くたびれた綱と、薄汚れた大量の釘、不思議な形をした金属が部屋には無造作に立てかけられていた。染みのついた床、傷が無数についた壁…。
この部屋に入った時には、かつての“平和主義国家”で、今でも“積極的自衛国家”が掲げられている日本という国に、こんなブラックな面があるということを信じられなかった。数世代前の、ヤクザだとか闇の組織とかいう話を、現実に見た気がした。
勿論、この特保の男が言う“心当たり”が無いわけではない。怜於が昨日見た光景―男二人が人目をはばかるようにして何か話していた―にはきっと、黒岡財閥が絡んでいたのだろう。思えば、あのショッピングモールは黒岡財閥のものだった。
「困るなぁ。早く口割ってくれないと、うちとしても困っちゃうんだよ。何しろ」
男はちらりとドアの方を一瞥する。釣られて怜於も振り向こうとするが、怜於を拘束している枷が邪魔をして、振り向けない。
「…黒岡の連中が慌てちゃってね。早くお前との事実関係を調べ、場合によっては、処理をしておかないといけない」
処理、という言葉に再び身が凍るような恐怖に襲われるが、まだまだ正気は保っている。
「…手っ取り早い手を使わざるを得ないんだよ、お前が早くしないと」
そう。
見ました、と口を割れば、怜於は詳細を知らないのに余計な罪を着せられるおそれがある。その場合、怜於がどうなるのかは全く想像がつかない。反面黙っていれば、古びた道具の数々が怜於を襲うかもしれない。
泣きたかった。
だが、怜於は自分より遙かに辛い思いをしているであろう人を知っている。
…もしも晴海も、自分と同じような目に合っているのならば、それは理由もない巻き添え。絶対に避けたかった。結局同じ目に遭うならば、庇った方が良い―。
「…分かった。だが、これだけは言える。一緒にいた女子は、何も関係ない。確かに俺はそれらしき現場は目撃したが、それが何を意味するのかは分からない。だが少なくとも、一緒にいたあの女子、あれは無関係だ」
言い終わったあと、怜於の心臓は嘗て体験したことがないほどに早く打っていた。同時に心の中に込み上げてきた恐怖を紛らわすように、相手からしたらこの姿は無様だろう、と心の中で自嘲する。
「ふふ、言うじゃないか。勇者気取りか?」
「…!」
何も言い返せない。込み上げてくる恐怖に抗うので精一杯で、反論が出来ない。だが、なんだか清々しい気持ちになった。自分は正しいことをした、自分は人を救った…という甘い感傷に浸る。
「まぁ、そこまで言ってくれたんなら話は早い。別室に移動しようか」
不敵な笑みを浮かべ、男は懐から手のひらサイズの小さな機械を取り出す。
『…俺はそれらしき現場を目撃した…』
かなりクリアな、怜於の声が流れる。
…これは絶対的な証拠になる。そしてもう一つ、男は爆弾を放つ。
「言っておくが…お前が何と言おうが、あの女の罪は消えないぞ」
暗い廊下に響く足音が止まった。
「…お前がどう動こうが我々には関係のない話だが」
声が響く。
「だが?」
暗がりの中でも相手が誰かを察したようで、歩いていた男は無機質な声で後を促す。
「お前はこれから公に動き始めるつもりだろう?」
「…」
「そうすれば我々との接触はかなり難しくなる。互いに不都合が生じるはずだ」
「後の話なんて」
「気にする筋合いはないよ、と。お前らしいな。だが、それがいずれ」
「お前の足をすくうぞ、と。ふふ、あんたが言いそうな事だ。まぁ、僕としても君たちと縁切りをするつもりはない。その方がそっちにとっても好都合でしょ?」
「…状況が変わらなければな」
「それは脅し?」
「軋轢を生みたいのか」
「ふふ、冗談。君は僕の正体を知るのに…。ま、しばらくはこちらからの接触は控えるよ。そんで、僕は僕の動きたいように動く。それでいいね?」
「…ああ。なら、”これ”を最後に当面、お別れになるな」
「多分。じゃ、よろしく」
「…」
残された男は、ため息をついた。
黒岡財閥本社、別棟。
「さぁ、早く口を割らないか?…いや、言ってくれるだけでいいんだ。“ああ、見ましたよ”と。それだけで苦痛からすぐに逃れることができるんだ」
「…っ、身に覚えが無いのに?」
「だから、“見ましたよ”と言えば良いだけの話だ。ぶっちゃけ、こっちはそれが事実かどうか、それはどうでもいいんだ。だが、そう言わないならば」
不気味な笑みを浮かべながら、男は席を立ち、部屋に落ちている箱の一つを持ってくる。薄汚れたボロボロの木箱には、不揃いの汚い釘が大量に入っていた。
「こちらにも手立てがあるんだ。さぁ、早く言え」
「…見てない」
「お前の為にもならないぞ?…と、言い続けているんだがな…仕方ない、これも世の定めだ」
ため息をつきながらも口元には笑みを浮かべ、男は立ち上がる。そして、無造作に積まれた箱の中から釘を一掴み取り出し、箱の傍らに置かれた金槌で晴海の手足の枷を壁、床に打ち付ける。
「…えっ…」
晴海は頭が真っ白になり、もはや自分がどういう危険にさらされているのかさえ分からなくなった。当然のように、身動きができない。
「ま、その気になったらそのボタンを押せよ。暫く手を止めてやる…ああ、忘れてたな。口も封じないと」
ガムテープを持ってきて、手慣れた様子で晴海の口に張る。
「出来るだけ早く喋った方が良いぞ」
そう言って、唯一自由に動かせる右手にボタンを握らされた。
もしも晴海が既に苦しい目に遭っていたら、それこそ居た堪れない。
怜於は、逃げた。
逃げて、晴海の元に行こうとした。
勿論、自分の力だけでは逃げることすら無理だった。
「さぁ、逃げるよ!」
高校生くらい?子供っぽい顔をした170cmくらいの男が、取調室のドアを派手に開けた。
「な、何だお前は」
「僕?僕は…」
特保の男は呆然として、新しく入って来た彼が怜於の枷の鍵を開けるのを止めなかった。
「“音霧星哉”。…覚えておいてね」
音霧は不敵に笑いながら、怜於がびっくりするほど素早く、両手を拘束する枷の鍵を開け、怜於の四肢に自由を与えた。
「か、鍵を…⁉」
「さ、逃げよ」
音霧は何が何だか分かっていない怜於の手を引いて、部屋から逃げた。多分、特保のあの男も分かっていない。
「はぁ、はぁ…」
「ま、ここまで来れば少しの間は安全だと思うよ」
「…誰なの?」
「さっき言ったじゃん、音霧星哉って…。まあ、詳しいことはすぐに分かるよ」
「?」
「ほら、今はそんなことはどうでもいいよ。隣の棟に別の人が尋問されてるけど…知り合い?」
「うん、多分。…無実なのに、巻き添えにしちゃって…」
「じゃ、行こう。…一旦ここから出たい?外に行けばすぐに脱出できるけど」
ちょっと考えるふりをして、答えた。
「いや、行かせてください。…足手まといにはならないようにします」
音霧はふっと笑って、
「分かった。…ま、安心してよ。僕が全部片付ける」
別棟へは、かなり早く着いた。途中途中、セキュリティドアがいくつか設けられていたが、音霧はそれを壊すでもなく、淡々と解除していった。
「何者なんですか…?」
という怜於の問いには答えず、
「ここ。取調室はそれぞれ防音だけど…光は漏れるから、分かると思うんだ」
怜於はできるだけ足音を立てずに暗い廊下を歩いて行った。
「…かなり広いですね」
「うん。この棟だけで三十の取調室、五の会議室、食堂…」
音霧が列挙していると、ふと足を止めた。一瞬遅れて怜於も足を止める。
「…ここだね」
「そうみたいですね」
中の音は聞こえないが、扉から少し光がこぼれている。他の部屋は真っ暗なので、多分この部屋だ。希望が見えてきて、怜於も緊張が少し解れた。
「ここは取調室。この棟で進行中の尋問は確認していない…」
言うや否や、扉のロックを解除し、バンッ!と躊躇なく扉を開けるものだから怜於は慌てた。
「…いない」
見ると、音霧の顔は見る見るうちに青くなっていっている。
「不味い…。セキュリティ的に侵入はすでにばれてしまったはず…」
「…追手が来るんですか?」
「分からないけど…救出が遠のいた」
怜於も若干焦りを覚えたその時、
ウウウウウウウウウウウー!
とサイレンの音が響いた。同時にパッと電気が点く。
「来るよ…。その前になんとか見つけないと」
「明るく…!」
「うん…。これはかなり難しいことになるね」
ここは建物の二階である。下の方から、ドタドタ足音が聞こえてきて、怜於をさらに焦らせた。
「ど、どうする?」
「なんとか見つけるしかない。明るいと見つけにくいけど…なんとかして」
「何とか⁉」
「ほら、こうやって迷ってる間も…」
駆けあがってくる、無数の足音。
「さぁ行くよ!三階もあるぞ!」
「は、はい!」
十話、切りのいいところまで行きたかったんですが…。




