【栃木】殺生石
【能力】
生き物を殺す力を持つ石
【ある場所】
殺生石園地
【石の周囲】
硫化水素、亜硫酸ガス発生
【伝説】
平安末期の時代に鳥羽上皇から寵愛を受けた伝説上の女性玉藻前の話
その正体は九尾の狐で陰陽師に正体を見破られ逃げ出した
逃げた先の那須で討伐されそうになったが石に変わった
九尾の石は毒を発して生き物の命を奪っていった
1385年に玄翁和尚によって砕かれ欠片が全国各地に飛び散ったという
飛び散ったとされる場所が各地にある
【松尾芭蕉】
芭蕉も弟子と共に訪れたらしい
奥の細道にて「殺生石は温泉の出づゆ山影にあり、石の毒気はいまだ滅びず、蜂、蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどに重なり死す」
【ステータス】
国指定『奥の細道の名勝地』
【遊歩道】
殺生石に至る遊歩道には色々ある
【盲蛇石】
昔、湯守の五左衛門が冬に備えて山で薪を採ってきた帰り道
殺生石付近で一服していると大きな蛇と遭遇した
蛇は目が見えない様子でこのままでは冬は越せそうにないと思った五左衛門は枯れ枝やすすきで小さな小屋を建ててやった
翌年、春を迎え小屋を見に行ったが蛇はもうおらず枝やすすきに湯の花が付着していた
湯の花の作り方を知った五左衛門は湯の花を採取しだし、他の者達も真似しだした
製法を教えてくれた盲目の蛇に村人達は感謝し蛇の頭に似た石を盲蛇石として祀った
【教伝地蔵】
奥州の蓮華寺に教傳という住職がいた
不良少年だったので母が寺に預け坊主になり後に寺を継いだ
しかし相変わらずの不良だった
1336年、那須温泉に友人達と湯治に出かける際に母が用意してくれた膳を足蹴にして出掛けた教傳
殺生石を見ようと賽の河原付近に差し掛かった時に天気だった空は曇りに変わり、雷鳴轟き大地からは熱湯が吹き出した
友人達は逃げ出したが教傳はそこから動けなかった
熱湯に巻き込まれ死ぬ間際に「俺は寺を出る時に母の用意したお膳を足蹴にしてきた天罰を受け火の海地獄に堕ちて死んでいく」と言って腰から下が炭のようになって死んでいった
時は流れ1720年、教傳が亡くなった場所に親不孝の戒めとして地蔵が建てられた
【千体地蔵】
1970年頃、首がもげ形も定かではなくなった教伝地蔵の新たな制作が始まった
新たな教伝地蔵と修復された元の教伝地蔵の他に脇地蔵二対の小地蔵が寄進された
これが千体地蔵の始まりである
作られ続け設置されたが国からの待ったがかかり一時中断していたが1981年頃に許可が出て再開
【賽の河原】
あります
【割れる】
2022年3月、殺生石が真っ二つに割れているのが発見される
心霊スポットというよりは観光スポットである
那須温泉の湯で疲れを癒そう




