いつきは手洗いを忘れてるのです……我もです
マスク返しと別れた後も、私たちはさっきより病院と離れた所で『こんこん待ち』を続けていた。
人通りは病院前よりも少なめだが、駅方向なのでそれなりにはある。
いい感じに咳を連発してる大学生風の兄さんが通りがかって、こんこんさまは彼について行った。
今度は私も少し離れてついて歩く。
「おや、こんこんさまだねえ」
前から来ていたおばあちゃんがすれ違う時にそう言った。
小さな幸せでも見つけたみたいにニコニコして、何度か振り返りながらこんこんさまを見送っていた。
これだよこれ。
今回初めて、こんこんさまに遭遇した時の『マトモな』反応を見た気がするなあ。
こんこんさまはこの土地限定、見える人限定と但し書きこそ付くが、風邪とかが流行ってる時の風物詩みたいなものだった筈。
そこまで思いを巡らせた時、そのことが本当に意味するものに気付いた。
――流行ってる病気が重いものでない事と、そして、こんこんさまが現実に何の影響もない存在である事が前提なんじゃないの? それって。
おばあちゃんの笑顔にほっこりしかけた気分に、また影が差してしまう。
予定通りお昼前にはそこを引き上げ、昼ご飯の直前ギリギリで家に着いた。
「かかりすぎでしょ? どこに寄り道してたの」
「本屋。図書館は開いてないからね」
母の問いに即答する。途中本屋に寄って色々買い込んで来たのだから嘘ではない。
「まったく。本屋だって人の密集する所なんだから、気を付けなさいよ」
リビングに行くと父がもうテーブルについていた。
「神社の古文書、『協会』に頼んでアーカイブしてあったのだけ送ってもらったよ」
父は私の顔を見て開口一番に言う。
こんこんさまはリビングに入るなりソファーに直行する。また大画面でのゲームをやりたがってる様だ。
食事中のゲームはダメだぞ。
「アーカイブ? 『協会』ってそんな事もしてんの?」
「まあ文字起こしじゃなく、文面撮って画像にしただけなんだけどな」
「ふうん」
父が入ってる神道系の団体は普段『協会』とか呼ばれてた。何やってる所かはあまり知らんけど。
「こんこんさまの事言ったの? 『協会』に」
「いや。『郷土史料の調査でちょっと確認したい事がある』って依頼した。向こうはこんこんさまが本当にいるなんて考えてないから」
「調査って図書館の仕事って事でしょ? そんな個人的な理由でも送ってくれるんだ」
「本来は天塚家所蔵の物だからな。『協会』に預けてあるってだけで」
うちでそんなもの持ってるなんて初めて聞いた。いや、聞いた事あったが忘れたのかも。
「『天塚神社』縁起にまつわる複数の文書だ。中には、俺も初めて知った様な事も書かれてた」
「自分の神社の歴史なのに、今まで知らなかったって……神主やべえっしょ」
「俺が神主ならお前も神主だろ。今はない神社のな」
「御神体はそこでゲーム始めてんし。だからダメだっつの」
ソファーに行き、こんこんさまの肩を軽く叩きながらコントローラーを引きはがす。
手の届かない高さまで掲げられたコントローラーへ両手を伸ばしてるこんこんさまに、携帯ゲーム機の方を貸してやった。
「元々、公式な『天塚神社縁起』はこんこんさまを鎮魂する所から始まってて、『それ以前』のことはあまり語り継がれてなかったんだ」
テーブルへ戻ると、早速PSVitaに取り憑いてるこんこんさまを横目で見ながら父が言う。
「……それ以前?」
「樹季、あとで部屋に来てくれ」
「こんこんさまも連れて?」
こんこんさまに視線を向けたまま、父は首を横に振った。
「いや、お前一人の方が良いな」
昼食の後、こんこんさまを私の部屋に残して父の部屋を訪ねた。
大量の本や書類が棚に入り切らず部屋中に溢れている。
割と几帳面な性格で普段はそういうのも整理して並べてたが、今は机の周りでそれらが散乱していた。
かなり本気の調べ物の時はそうなる。それもよくある事だ。
机のモニターに表示されてるのは、件の古文書の画像だろうか。
「今回は神社の事だけでなく、他の事が書かれてるものも取り寄せた」
「他の事?」
「当時の治世とか、村落の状況とか……疫病の流行とか」
父はカーソルで画面上の文をなぞった。
大昔のにしては結構きれいな紙に書かれた、崩れ過ぎて私には読めない文字列。
『○○村△△村』と『風疾』という箇所だけが分かった。
「大まかだけど、ある年に大流行した風疾と、その果てに行われた人柱の儀式が記録に残っていた」
「……」
私は息を呑んで画像を凝視する。
人柱。私だって知ってる。
何かの祈願で人間を生きたまま土に埋めたり水に沈めたりする――つまり、生贄のことだ。
何となく、文字列の雰囲気が変わった様な気がした。
「当時だってそんなのは、馬鹿げた残酷な風習だとされていた。だけど」
父はそこで言葉を切り、画面をスライドさせた。
次のページ、更にその次のページと、新しい画像が流れて行く。
「そんな教養が全国の隅々、この辺りの村々とかにまで行き渡ってた訳じゃない……特にこんな状況だとな」
スライドが止まった。相変わらず何が書かれているか分からないが、父の話と繋がっている所なのだろう。
「そして、当時この地を治めていた領主は、疫病退散祈願の人柱を立てる事を領民達に煽りさえしていた。陰ながら儀式のお膳立てもやったという事だ」
「え、何で? そんなの立場がヤバくなるんじゃないの?」
「もちろん表沙汰になったら『無知な百姓が勝手に盛り上がって、抑え切れなかった』事にするって逃げ道は用意してたさ」
疑問の答えにはなっていない。
逃げ道があるからって、それが敢えて人柱なんかに手を貸す理由にはならないよね。
別の文書を画面に出しながら言う父の声が、更に冷淡になった気がする。
「この領主は、疫病へのまともな対策を何一つ行わなかったんだ。病から領民を守る気がまるでなかった。人柱で領民の不満を自分から逸らそうとしたんだ」
「疫病に際して、領主は大きな道の通行を禁じ、家長と長子以外が田畑に出る事も禁じた。そして領民へ御札を配った。そして、それだけだった。他には何もしなかった。にもかかわらず年貢は例年通りに、一層厳しく取り立てた。皆酷く困窮していた――農民にも、職人や商人にも、身体の動けなくなった者がたくさん出て、通行規制や外出規制が仕事に大きく差し障ってもいたのに」
「御札?」
「病除けの御札だな。一戸につき二枚か三枚と書かれている」
「昔だからって……それって効能あるの?」
「さあ。しかも由緒ある神社や大きな神社のではなく、何か領主と懇意にしていた神社の御札だったそうだ」
「何でその話にデジャヴ感じるんだろう」
「あははは、何でだろうな……それはおいといて」
やっと笑った(苦笑だが)父は肩の力を抜いて、新しい文書のページをスライドする。
さっきから話が重すぎてどうも気分がよくない。笑いでも挟まないともたない。
それに、この話の流れだと良いルートは待ってない気がする。
今、私達が探っているのは、こんこんさまの力の事だったはずだ。
「この時代なりにもっと合理的な予防法や療養法はあったし、それを実践していた所だって少なくなかった筈だ。だけど、この領主には、疫病自体が軽微に食い止められ税収にも影響なし――と上にアピールする事が何よりも大事だった」
「それが……何で人柱になるの?」
「領主はただの無能ではなかった。むしろサイコパスの様に優秀だったって事さ。無意味なお触れと御札二枚で領民がどれだけ苦しもうと、民からはそれを感謝され良君と讃えられる、そういう手管には長けていたんだ」
「感謝? 領民からは良い領主だと思われてたの?」
「まず、領主がこんな時本当はどうするものだか知らないからな。いくらでもそこに付け込めるんだ。近在の農民には『これだけやってくれて立派なお方だ』と讃えられていた――こっちの文書にはそう記されている。もっとも、この文書自体、実は領主が作らせたものなんだけどな」
「何だ、工作かよ」
「そういう事もやってた訳だ。ただ、支持されていたってのも本当だろう」
「支持されていたんなら、それ以上余計な事する必要なかったんじゃないの」
「領民達の困窮が極まってくれば、それにも限界がある。だから新しいテコ入れが必要になった」
「だから人柱……いや、それだったら、普通にマトモな疫病対策とか減税とかすれば」
「そんなもんと比べて遥かに低コストだったんだよ。建前上領民が勝手にやったことにすれば自分の家名も汚れない。犠牲が価値の低い命なら、そのコストはさらに低くなる」
父の最後の一言に首の後ろが冷えた。
「何で人柱なのか。金や物資を出さないまま、取るものは取り続けるままで『疫病対策に手を尽くす立派な領主』を演出する為。そして領主以外の『犠牲者』を領民たち自身に選ばせるという側面もあった」
父はブラウザを切り替えて別の画像を出す。
地図だった。かなり古くてどこの地図かは分からなかった。
隣の市の山ふもとにあった村落だと父が教えてくれると、かろうじて見覚えのある地名がいくつか読み取れた。
山の絵の近くに赤い丸が書き込まれてた。直接書き込んだのではなく編集ツールで入れたらしい。
父はその赤丸にカーソルを当てて言った。
「近在の地主や頭百姓による合議で、ある村の外れに住んでいた貧農の娘が人柱に選ばれた。貧農の一家は娘を含めた全員が、すでに病にかかって倒れていた」
「その娘って……何歳くらいなの? どんな格好しているとか」
「それは記録にない。言っておくが」
父はそこで言葉を切って、少し間をおいてから続けた。
「その娘がこんこんさまだと直接書いてるものはどこにもないんだ」
何だろう。脳裏に突然浮かんだ強烈なイメージ。
舗装されてもいない土を固めた地面。
雑草だらけの畑の中に、朽ちた木を貼り合わせたみたいなボロボロの家。
その前に立っている小さな女の子。
おかっぱ頭で黄色い着物。
でも私が知っているそれより顔色が悪く、着物は薄汚れていて生地も傷んでいる。
見覚えのある悲しげな表情。こちらを見ている彼女は苦し気に咳を繰り返す。
こんこん、こんこん、こんこん………
「領民の中に反対はなかった。既に病にかかってる水呑の子など厄介者でしかない。どうした所で彼らに損はないからな。彼らが犠牲者を決めると、領主も儀式の場所や祭壇をしつらえ懇意の宮司を招いた。床に伏せていた娘を家から引きずって来てそのまま穴の中に立てた柱に括りつけ、宮司が祈祷してる間土を被せて行った。儀式についての記述はこれで全部だ」
父はそこで再び画像を切り替えた。
新たに現れた画像は絵だった。墨絵に短い文章が添えられている。
老いた男が咳をしながら苦悶の表情を浮かべている。その後ろには小さい子供が立っていて、老人を真似た様に同じ咳を繰り返している。
おかっぱ頭で着物姿。昔の絵の表情は分かりにくいが、この子はどこか嬉しそうにも見えた。
「人柱を埋めて程なく、咳をしてる者の後ろを『おかっぱ頭で黄色い着物の』子供が一緒に咳をしながらついて来るのが見られる様になった。その子供がついて来た者は皆、病が重くなり死んでしまった」
脇に書かれた崩し字の最後は、私にもはっきりと読めた。
『こんこんさま』確かにひらがなでそう書いてある。
スライドされて現れた新しい絵にも、こんこんさまがいた。老若男女、色々な人間が咳に苦しみ、床に臥せていて、その傍らでこんこんさまは笑っていた。
笑いながら、こんこんと咳していた。
「子供は後ろをついて来るだけでなく、家の中や枕元にも現れた。恨み言を言うでも怒りを浮かべるでもなく、ただこんこんと咳をするだけ。こんこん、こんこん、こんこん……子供が咳をする度、その者の咳も酷くなって行った」
スライドする度、こんこんさまに憑かれた者の身なりが立派なものになって行く。
地主や裕福そうな商人、そして武士らしき者にもこんこんさまが憑いていた。
「この地の疫病は国内でも最悪なものとなり、領主の一族にも酷く祟った。領主自身がまず倒れ、息子や兄弟、甥まで次々と連鎖する様に倒れて行った。最後には領主の末娘と老母を除く全員が死んだ。当主も世継も残らなかった領主一族がお取り潰しとなり新しい領主がこの地へ赴いた時には、領民の数は半分以下にまで減っていた」
次の絵にはこんこんさまの姿はなかった。
その代わりに、夥しい数の死体が横たわって並んでいた。
あばらが浮き出て白目をむいた骸に鴉が群がっている。
「うちの先祖がここに来たのもその後なんだ。新領主に呼ばれ、この地に祟り続け疫病の度に犠牲を増やすこんこんさまを調伏する為に」
そこから先は、大体が私も前から聞かされてた話になる。
当初、天塚は正式な神社もないままこの地を駆けずり回った。
人の後ろにこんこんさまがついてるのを見ては、神器を用いてこれを祓う。
祓えた時も祓えなかった時もあった。
そして、ついた者から祓うのは対処療法でしかない事も、天塚は分かっていた。
こんこんさまの……恐らくは理不尽に命を捧げさせられた娘の魂を鎮め、この地に絡み付いた怨念を丸ごと浄めなければならない。
流行り病の度にお祓いと儀式が繰り返され、鎮魂はおよそ八十年の長きに及んだという。
今度は五千字超え。ちょうど一週間。
今回、ちょっとこの話を一区切りまで出したいというのがあって、どうにもこうにもでした。
具体的な事は伏せますが、書く上で色々と難しかったです。
次回からはまた軽い感じで進んでく予定です。
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