不安に付け込むような話や詳細の曖昧な話は特に注意が必要です
いくら気がそれたとしても、着けてるマスクなんて裏返されたらすぐ気付くもんだろう。
という普通な判断の一体どこが間違っていたのか。
「人間の注意力なんて、君が思ってる以上に穴だらけなんだよ。天塚樹季さん」
そんな事を言いながら妖怪枕返し――改め『マスク返し』は、また通りがかった人のマスクを引っくり返している。
いや、ちょっと待て。
「私の名前も知っているんですか」
「ほらね?」
勿論、こちらから教えた覚えなんてない。
私の問いに彼は目を細めて笑う。
その問い自体が彼の言葉を裏付けてるとでも言いたげに。
「彼女について知ろうとしたら必然的に『天塚』に辿り着く」
背後からでも横からでも、正面からでも。
マスク返しは相手に気付かれずに迫り、一瞬でマスクを裏返してしまう。
さっきクソオヤジのスマホを裏返したのと似た要領にも見えたが、もっと高度な技の感じもする。
両側の紐に指をかけて耳から外す。そのままマスクの両端を持って引っくり返し、再び紐を着け直す。
しかし、横や前に迫られて気付かないのはどう考えてもおかしいよね。
『注意の隙を突いた』なんて説明では片付かない。
彼の姿はこんこんさまの様に『人によっては見えない』のでもないみたいだし。
あるいは、人間には分からない様な『隙』なのだろうか。
今、彼にマスクを裏返された女性は、数メートル先に待ち合わせてた相手がいた。挨拶と同時にその友人らしき相手にマスクが逆なのを指摘されている。
「ひょっとして知らなかっただろー、マスクの裏表」
「いや知ってるって! あれえ……鏡見た時チェックしてなかったかなあ」
「これで皆のマスクを長持ちさせられる、とかも思ってたんだけど……残念だね」
二人の後ろ姿を見送ってたマスク返しが私達に振り向く。
「でも、やっぱりマスクは裏返すよ」
「それで、何の用なんですか?」
私は改めて彼に尋ねた。さっきより言い方が冷たいのは自覚してる。
助けてくれた恩人だしイケメン(推定)でもあるけど、やっぱりこいつも相当な不審者だ。妖怪なんて大方そんなものなのかもしれないが。
「私じゃなく……こんこんさまにですよね? その用って」
その不審者妖怪はこんこんさまに何を言おうとしているのか。お呼びでなくとも放っとけない。
「保護者のつもりかい? 彼女は子供の姿をしてても、僕なんかよりずっと大先輩なんだけどな」
「そんな問題じゃありません」
皮肉げなマスク妖怪の言葉も私は一蹴する。
「そんなに色々嗅ぎ回ってたんなら知ってるんですよね。こんこんさまが今どんな状態なのか。心細くしてる人に付け込んで何の話をするのか、一度関わった以上見過ごせないです」
マスク返しは溜息をついて頷く。
「もう一度言うけど、君達への用だ。元々君にも聞いてほしい話だよ」
「枕返し」
「マスク返しだってば」
唐突にこんこんさまに呼ばれ、彼は訂正する。
おや?
口を尖らせて、私相手の時より少し子供っぽくなってる気がした。
「もう枕は返さぬのですか」
「見ての通り大きくなり過ぎた。もう枕元に座れるサイズじゃないんだ」
「そうなのですか」
サイズとか関係あるのだろうか。こんこんさまはそれで納得したのだろうか。
――と疑問の尽きない会話だったが、私が考えて分かる様な話じゃない気もする。
「それに今じゃ、枕が足元にあったって誰も何とも思わなくなってしまったから」
こんこんさまに向けた彼の言葉は寂しげだった。
それは少し分かる。
私だって朝起きて枕が足元にあっても『枕返しの仕業』だなんて微塵も思わないだろう。せいぜい『昨夜は寝相が酷かったな、暑かったかな』ぐらいだ。
彼の言ってるのは多分そういう事だ。
「すっかり、人がいなくなったね」
マスク返しはふいに顔を上げながら言った。
見るまでもなかったが、彼の視線につられてちらっと背後に視線を向ける。
「店も閉まってたり、開いてても夜早く閉めたり。この辺りも夜になると真っ暗だ」
私の後ろの道は『病院前通り』という名前で、大きくはないけど色々な店や食堂、喫茶店が軒を連ねていた。
今開いているのはコンビニと文房具屋、雑貨屋くらいか。
病院に出入りする人は大抵バス停か反対側の駅方面に向かうから、こっちを通る人は殆どいなかった。
「まるで昔みたいだ」
その言葉で、やはりそっちを見てたこんこんさまの表情が微かに変わる。
「これを面白がったり、ノスタルジーで賛美したりするつもりもないさ。この景色の影で多くの人間が生活する事――あるいは生きてく事さえも困難になって、その数は日ごと増えてるのも知ってる」
マスク返しは今度は私を一瞥する。
「でもこれは、僕らにとっては、その在り様に関わる事なんだ」
「君にはちょっと厳しい条件になってしまったけど、人のいない空間、人のいない時間が増えるって事は、大方の人間以外のモノにとって単純に『自分のいられる場所や時間が増える』事を意味する」
周りに人気のない所まで来ると、マスク返しは膝を屈して目線をこんこんさまに近付けた。
私はすぐ近くでガードレールに座ってそれを聞いている。
「それだけじゃなく、これを境として社会の仕組みも国の形も個人のライフスタイルも色々と変わるだろう。そういう時って、僕らのようなものが新たに自分の存在を示す好機となるんだ……いつだってそうだったよね?」
「……おまえのようなもの、ですか」
こんこんさまがぼそっとそう返し、私も気付いた。
マスク返しは『大方の人間以外のモノ』と分けてそう言ったと。
「自らそれを望み、それへと己を導かねば、変化は得られないさ。神だろうが妖だろうが」
まあそうなんだろう。
どんなチャンスが来たって、それを活かせなかったら何の意味もない。
人間の世界でもしょっちゅう言われてる事だ。
「だけど、人の世の中で孤独に彷徨いながらそうするのは厳しい。特に今は昔よりも。この機に新しい在り方を求めるもの同士で繋がりを持ち……協力し合えないかと僕は思ったんだ」
あ、何となく話が見えて来たかもしれない。
「とりあえず僕と組んでみないか? それが僕の用さ」
やっぱりな。
分かり易いと言うか、随分と人間臭い話になったものだ。
「組むとか協力し合うとか言うけど、それで具体的に何をするって話なんですか?」
私はそこで横から質問を挟む。
その辺が曖昧なままの『協力』だの『助け合い』なんて、絶対に後でロクでもない事になる。
そういう奴は大抵、一方的に助けてもらうつもりか、自分の要求を断れなくなる段階まで隠しとくつもりかだからだ。
「これという決まった中身はないよ。共同戦線、協力体制、パートナーシップ、名前も形式も何だっていいんだけど……そうだな」
マスク返しは立ち上がって私を見ながら答える。
『中身がない』とか嫌な予感のする事を言いかけたが、睨んでる私の空気を読んだのか少し考え込んでから続けた。
「まず、君がやってた様な彼女のサポートを、これから僕が引き継ぐ」
「え?」
「目の届く範囲にいて、彼女が人間に捕まってトラブってる様なら出て行けばいいんだろう? さっきのを見ても、むしろ僕が適任じゃないかな」
「あなたなら、もっとうまくやれると?」
不信感も露わな口調で尋ねたが、確かにその通りだろうとは心の中で思っていた。
「君も毎日こうやって外に出られる身じゃないだろ?」
彼は答える代わりに私にそう問い返して来た。
これまた大図星だよこんちくしょう。母への言い訳だって日ごと用意出来る筈もない。
それに、何の為に外出を控え家にいるのか、決して忘れた訳じゃない。
正直、明日以降どうしようとか思ってたよ。
「そして、僕は彼女の『咳につく』性を利用して、手出しする人しない人を見分ける」
「手出し……しない人?」
「あれかそれ以外のウィルスかは分からないが、彼女がつくという事は何かには感染してるって事だ。僕だってそういう人のマスクを裏返すのは避けたい」
「感染拡大しないようにとか? こんこんさまにも思ったけど、そういう人間社会のルールとかって貴方たちにも無視できないものなんですか?」
「ものにもよるでしょ。今わざわざ人類の敵に回ろうとは思ってないからね。ともあれ、僕のメリットも分かったかな? 彼女がついた人間や彼女を『呼び寄せる』人間には、僕は手を出さない。そんな住み分けが出来るんだ」
彼の考えてる当面の『協力関係』がどんなものかは分かった。
それを額面通り信じていいかどうかは別として。
「こんこんさまだって感染者が全て分かる訳じゃないと思いますけど」
「それはそうさ。多少は仕方ない……ただそれでも」
――ヴヴヴヴヴヴ
マスク返しの言いかけた言葉はどこからかの振動音に遮られる。
彼はズボンのポケットから音の正体たるスマホを取り出す。
ピッ
「はい」
『もしもし私メリーさん、今―――』
「……チッ」
ピッ
「ああ、しつれ―――」
ヴヴヴヴヴヴヴヴ(ピッ)――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ(ピッ)――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ―――
何度切っても即座に掛け直されてるらしい。電源自体を切ってようやくスマホの振動は止まった。
つうかこいつ今舌打ちした。舌打ちしながら切った。
じゃなくて電話の向こう『もしもし私メリーさん』とか言ってたよ。バチクソ聞こえてたよ。
今いる所聞かないで切ったけどいいのかなそれ。つうかマジなんですか。
「・・・・・・どこにいるか分かってるからね。そこまで聞かなくていいんだ」
私の視線に彼はそう答える。
「いえ、分かってたら無視していいのかどうか自体知りませんし……つうかそれも協力関係の一つってことなんですか」
その前にまず『メリーさんってあのメリーさんなんですか』と聞くべきだったかもしれないが、さすがに私ももう面倒くせえわ。あのメリーさんってどのメリーさんだよ。
「まあ、おいおい紹介はするつもりだよ」
「無理にする必要はないですよ」
こんこんさまに関係ないなら、あまり積極的にかかわりたくはないかな。
『妖怪マスク返しのスマホにメリーさんから鬼電が入りまくってる』――言葉にしてみると一層カオスさが増してる。
こんな『モノたちの繋がり』とやらにこんこんさまを巻き込んで本当に大丈夫なのだろうか。
「まあ何でも答えを急がなくたっていいさ」
マスク返しは再びこんこんさんの前で膝を曲げた。
「さっきの交換条件から始めてみるって事でいいと思うけど、どうかな?」
こんこんさまは首を縦にも横にも振らないで彼を見返していた。やがて口を開いて小さな声で問いかける。
「……おまえはもっとかわりたいのですか」
「君だって力を取り戻したい筈だよ」
私は思わず二人を凝視する。
「こんこんさま、どうするの?」
マスク返しはあっさりと私達を解放した。しつこく勧誘を続けるタイプではない様だ。
『それじゃ』と短い挨拶を残すと、現れた時と逆に視界から拭き取られたみたく消え去った。
「……いつきにめいわくかけたくないです」
私の問いにこんこんさまは一分近く黙った後、呟くように答える。
初めて名前で呼ばれたのは嬉しかったが、言いたい事は別にあった。
「そんな事じゃなく! こんこんさまも新しい存在とか力とかほしいのかなって事だよ」
言いながらも心の隅では思っていた。こんこんさまが欲しくない訳がないじゃないか。
現実に影響させる力を失い、存在感を失い、行き場や居場所さえ失って来た、そんな彼女が。
本当の問題はそこでさえない――
こんこんさまが取り戻したいのは、どっちの力なのだろう?
また五千字近くなって、一週間近くかかりましたが。
更に新キャラ登場で、話も回り始めた感じはします。
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