自粛とは『自らで』するものです
次の日、私とこんこんさまは午前中から市内の総合病院の前に来ていた。
父と口裏を合わせ、母には『お父さんから頼まれて書類の受け渡しに行く』と言ってある。
こんな時だと、外出の理由作るのも一苦労だ。
「どう? 見えそう?」
「はいです」
ガードレールの上に立ちながらこんこんさまが答える。
私達のいる場所は敷地を出た道路の反対側で、病院の建物からは少し距離があった。
病院の玄関付近は結構人の出入りがあったが、私達は病院から出て来た人だけを一人一人チェックして行く。
一人目を見つけるのに、大して時間はかからなかった。
若い――と言っても二十代半ばくらいの女性。マスクをした顔を俯かせ何度も上下させている。
声は聞こえなくとも咳を繰り返していると分かった。
「あ! 待ってよ!」
女性の咳を認めるやいなや、こんこんさまはガードレールから飛び降りて駆け出した。
そのまま車道を突っ切って行ってしまう。
「そっちの横断歩道使いなさいって!」
車に轢かれる心配なんて多分不要なんだろうが、それでも冷や冷やさせられる。
『飛び出して来た子供』を目にしたドライバーがハンドルを切って大事故になる――とかなら十分あり得たし。
道路向かいの歩道でこんこんさまが追いつき、すぐに後ろをぴったりついて歩き出す。
「こんこん、こんこんこんっ」
「こんこん、こんこんこんっ」
おおう、見事なアンサンブル。
見て真似ただけなら必ず生じる筈のタイムラグが、こんこんさまの咳には全くない。
何でそんな事が可能なのか、いくら考えてみても思いつかなかった。
もしも心や未来を読めるんだとしたって、それで咳を合わせるなんて出来るだろうか。
――咳に引かれて寄るのです
昨日の言葉をふと思い出す。
予知とかテレパシーとかで、何かを『読んで』すらいないのかもしれない。
ただ在る咳に引き寄せられ、顕現し、在るがままに咳する。
「『そういう存在』、だから……?」
こんこんさまはバス停まで女性について行ったが、やがて来たバスには女性だけが乗った。
バスが走り去ると、こんこんさまが小走りでこちらに戻って来る。
だから車道渡ってくんなっての。
随分とにこにこしてる。
そう言えば――昨日から、こんこんさまの笑顔は見るの初めてじゃなかったかな。
咳してる人が病院から出て来るたびついて行ってこんこんし、適当な距離まで行ったら戻って来て、次に出て来た咳してる人へまたついて行く――
その繰り返しで、こんこんさまはこの一時間で十人位にこんこんしていた。
こんこんしまくりでほぼ休む間もない。
本来のこんこんさまは、その人が家に入るかこの地域を出るかするまでどこまでもついて行くらしかったが、現状が現状なだけにそれはかなり効率が悪い。
それよりも、咳をする人に遭う確率の高い場所に留まって、そこを拠点に短い追尾を繰り返した方がより沢山こんこん出来る。
私の閃いた作戦はやはり間違っていなかった。
『こんこんさまがこの土地を離れない』というのは、私も前から知っていた。
だからこそ、こんこんさまはここだけの言い伝えのままなのだろう。
「……むっ」
こんこんし始めてから二時間近く経った時、予想していたトラブルが発生。
こんこんさまが誰かに捕まっている。中肉中背の大人の男性。
顔の動きから男性は何か怒鳴っている様子だった。私は横断歩道を渡ってその場へ向かう。
「どうなんだっての? あ? 親とかいねえの?」
「すみませーん」
駆け寄りつつ呼びかけると、男性はこっちを見た。
思ったより年配の様だ。およそ五十歳位か。
「妹がどうかされましたか?」
「妹? この子ね、さっきからずっと、咳してる人の後ろで変ないたずらしてたんだよ! 後ろついて回って咳の真似とかしてんだよ」
「ああやっぱり。申し訳ありません」
「何がやっぱりなんだよ。ちゃんと躾してんの? なあおい、おめえ家で何教わってんだよ」
私がここにいるのに、男はまたこんこんさまに矛先を向ける。そこに少し嫌な感じもしたが、構わずこちらから話を切り出した。
「妹、この前読んだ昔話で、『後ろで一緒に咳してあげるとその人の咳が治る』って思い込んじゃったみたいなんです。私からも教え直したんですが、まだよく分かってないみたいで……」
あらかじめ用意していた言い訳を並べる。
今まで一人でやってただろうこんこんさまに、今回わざわざ同行したのはこの為だ。
このやり方だと、こういう事もあるかもしれないとは予想していた。
「こんこんさまだろ? 知ってるよ、んなもん」
男は怒った声のまま言った。
「何の役にも立たねえんだよな。アマビエみたく売り物にすらなんねえ。こんな田舎じゃ神様もしけてんだ」
また私じゃなくこんこんさまに言ってる。正体知っててわざとディスってんのかと疑いたくなる位のピンポイントさだ。
そうでなくても、影響されるくらいこんこんさまが好き(と思われる)子供の前でそういう事言うとか、普通の大人としてどうなのか。
「それで、そんな黄色い着物なんか着てコスプレのつもりか。ガキにそういう事やらせてんのか、あんたん家じゃ。やっぱり甘やかしてんだろ?」
「本当に申し訳ありませんでした」
舌打ちしたくなったのをこらえて深く頭を下げる。
確かに嘘言ったの私だけど、地元の人間で着物の色まで知ってて見えるんだったら、少しは察しやがれ。本物だよ。
コスプレなんかじゃなく正真正銘のこんこんさまだって。地元育ちで見えるくせに子供の頃見た事ないのか。
「俺じゃなくて迷惑かけた人に謝れば? こんな時にわざと人の近くで咳するなんて、感染しろとか思ってんのか? これってテロだろ! テロ! それに発症した人バカにしてんの? ねえ?」
「私ももっと気を付けて見る様にしますので」
「今そんな事聞いてるんじゃねえんだけど?」
自分への謝罪がいらない割にはやたら、こちらの反応を求めて来る。
それに、今なお私ではなく子供に見えるこんこんさまにやたらと絡んでた。
――ああ、そういうことだな。
言ってる事の内容自体は正しいし、私にとってより配慮すべきだった事なのかもしれないが、とりあえずこのオヤジはスルーが正解だろう。
こんこんさまは悲しそうに眉を八の字にすぼめていたが、怯えた様子はなかった。割とこういう事に慣れているのかも。
「みんな不安なんだよ? 苦しい思いしてんだ。外に出ないで乗り切ろうって自粛して頑張ってんだ。なのにお前ら何なんだよ、学校休みだからってふらふら出歩きやがって。どこ行くつもりだったんだよ」
うん。本当に多いらしいね、こういうおっさん。
ネットでは体験談多いけど、リアルで実物見るのは初めてだ。
ねえいいかな、誰もがここで思う事ツッコんでいいかな。
お ま え は 何 で 外 出 て ん だ よ
「大体よ……こんこんさまなんて、本当は病人呪って殺す化け物じゃねえかよ」
「――――!」
「子供向けだかで甘っちょろいきれいな話に変えられてるみてえだけどな。だからこいつみたく勘違いするガキが出るんだ」
思わず全身が硬直する。横のこんこんさまの表情がこんな時に限ってよく見えない。
近すぎる上にうつむいているから、私からだとおかっぱ頭しか見えなかった。
「こんな時にクソ縁起悪いつってんだよ。妹にもその辺きちんと言っときなよ」
もういい、分かったから、もう黙れ。
頼むからもうこれ以上喋るな。
せめて、正義の味方ぶる前にもう少し言葉を選んでくれ。本人が聞いているんだ。
「あん……何だよそのツラ」
男はふいに声を低くして囁く様に言った。
しまった。
「文句言いたそうな顔したよな今? この野郎って顔だったよな? 何か言いたい事あんのか? 何かおかしい事言ったか俺?」
聞き流そうとしてた筈なのに、自分の感情にだけ注意が向いてた。それが顔に出てしまっていたのだろう。
そして、この男は思ってた以上に厄介な奴だったみたいだ。
「せっかくよそで痛い思いしねえ様に忠告してやったのによ、そんな親切も分からねえバカなのか」
「文句はありませんでしたが……そう見えたらすみ」
「見えたらじゃねえよ。頭悪いのかお前って聞いてんだ。言いたい事あるなら言ってみろって言ってんだ。お前みたいなバカJKの言う事でも俺は落ち着いて聞くからよ」
言いながら男は私との距離を詰めて来る。
これ、ちょっとヤバい――かな?
男の顔も半分マスクで隠れてるのは、せめてもの救いだった。
これで口まで見えてたらとても精神衛生上よろしくなかった事だろう。
チンピラみたいだけど、本物のチンピラではなさそうだ。私達が弱そうだからそういう態度に出ているに過ぎない。
本当に掴んだりはして来ないと思うが、万一に備え防犯ブザーの準備はした方がいいかもしれない。
ブザーで誰か来るだろうか。来たとして、男と私にしか見えてない『妹』はどう説明したらいいだろう。
「また変な顔したな。馬鹿にしてんのか、俺を馬鹿にしてんだろう」
男はまた一歩近付いた。
確かに私は変な顔かもしれないけど、こんなオヤジに言われたくはなかった。
とか思ってるうちにまた一歩。
あ、これ、やっぱりヤバいのかもしれない――
「――そこまで」
言葉と同時に、何か影の様なもので視界が遮られる。
私と男の間に割り込んだ誰かの背中だった。
字数を抑え、少し早めに上げてみました。
しかし、その代償として『彼』の活躍と紹介に至らず。予定していたサブタイトルも使えず、急遽ここまでのタイトルを考える羽目に。
うむ、やはり難しい……
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