人間も人間以外もなるべく家にいましょう
「ただいまー」
「おかえりー、結構時間かかったわね?」
「うーん、売り切れとかもあって色々探したから」
「やっぱり。メモしたのは全部買えた? って、あれ?」
キッチンから出て来た母は、私を見て首を傾げる。
「そんなに頼んだ? 何だか……多過ぎて見えるんだけど」
「いつか作るつってた、3日間煮込むボルシチよろしく」
「いやちょっと待って。自宅待機だからって私は暇じゃないのよ? 君らがずっと家にいるから、前より仕事増えてるんだってば」
彼女は焦り声で追って来るが、その視線は私の両手の袋だけに向いてる。
私の後ろで物珍しそうに家の中を見回してる着物の女の子には、全く反応していない。
やはり母には見えていない様だ。
「ひょっとして、咳してる人がいないと動けない?」
誰の後ろも歩いていない、スーパーの駐車場で膝を抱えていたこんこんさまに、私は聞いてみた。
彼女はおかっぱの髪を揺らし首を横に振ったが、続けて小声で言った。
「……でも、あまり進まぬのです」
「力が出ない、のかな?」
「よく……分からぬのです」
私の質問にこんこんさまは困った様な顔を浮かべた。
「“が”は咳に引かれて寄るのです」
「ガ?」
“が”が『我』だと気付くのに数秒かかった。
「いつにない咳の強さで引かれたのです……されど引かれた先には、寄辺の咳がまるで見えませぬ。今まで……毎年の流行りにも斯様な事はなかったのです」
私にはこんこんさまの言ってる事があまり理解出来なかった。
こんこんさま自身もよく分かってないというか、こうとしか言い様がないって感じだ。
『流行り病ある時にこんこんさまは現れ、咳をする者の後ろで一緒に咳を繰り返す』
地元では誰でも聞いた事のある言い伝えだ。
でも、こんこんさまがどこからどうやって現れるのか、どうやって咳をする人につくのか。
その辺のメカニズムの話など聞いた事もないし、私が知る筈もなかった。
ひょっとしたら、お父さんなら何か知ってるかもしれないが。
「ええとね……今、みんな外に出ないで家に引き込もってんの。咳してる人なんか特にそうじゃないかなあ」
一応神様というかそれっぽいモノ相手なのに、どうも小さい子にするみたいな口調になってしまう。
顔を上げてこちらを見たこんこんさまに、少し提案してみた。
「だからね? 少しめんどいけどそういう、咳の気配みたいなのがある家見つけて入ってみる……ってのはどう? 家の中なら咳してる人も……」
「人家の中は、ぷらいばしーをしんがいするからダメなのです」
いやいやいや、ちょっと待って。
何でそんな所でコンプライアンスしっかりしてんのさ。
「えっと……そ、そうだ」
呆然としかけたが、次案が浮かんだ事で気を取り直す。
「病院にもいるんじゃない? 咳とか熱とか、具合悪くなった人は大体行くと思うから……」
「病院では……怒られたのです」
「あ゛ー」
思わず濁った声で唸ってしまった。
行ってはみたのね。
そして、うん、それは分かる。
そうだね、こんこんさまが見えるのって多分、私やお父さんだけじゃないよね。
病院の看護師さんやお医者さんの中にも見える人がいて、彼らに彼女はどう見えてるか、だよね。
私だって、もしこんこんさまを知らず、病院で咳してる人の後ろでこんこんしてる子なんて見たら「病院で何してやがんだこのクソガキャ。悪ふざけにもやっていい事と悪い事があんのわかんねーのか」と心の中で憤慨してたと思う。
『やって良い悪ふざけ』とは何なのかお姉さんにも分かりませんけどね。
だが、病院関係者ならきっとそれを直で言っちゃうのでしょう。
患者を不快にするとか不謹慎とかもそうだけど、それだけでなく濃厚接触とか色々とリスキーでもある行為だし。
御覧の通り外には人がいない。家には入らない。病院ではこんこん出来ない。
さてどうしたものかと我が事みたいにこんこんさまの行く末を案じていたら、当の彼女がぴくんと動いて顔を上げた。
「ん? どうしたの?」
こんこんさまはそれに答えず、立ち上がってとててて…と駆け出した。その先には――
「うぇへっ、げほんっがふぉっ! ごほ!」
盛大に咳をしながら歩いてるおじさん。
「げほん! がはっ!」
「こんこんっ、こんこんこんっ」
こんこんさまはおじさんの真後ろにぴったりくっつくと、全く同じタイミングで小さな咳を始める。
ようやく見つけた獲物(?)だからか、こんこんさまもどこか嬉しそうだった。
でもあの人――風邪とかじゃなく――流行りのあれでもなく――
「ごほっ、えへぇっ、がはっ」
「……煙草の吸いすぎ、とかだよね」
おじさんの後をこんこんさまがついて行き、更にその十メートルばかり後ろを私がついて行く。
それなりに離れたつもりだが、こんこんさまが見えない人に『私がおじさんをストーキングしてる』と見えてないか、微妙に不安の残る距離でもあった。
最初は意気揚々って感じだったこんこんさまだが、しばらくこんこんしてるうちにどうも元気がなくなって来る。
やがておじさんは道端の喫煙所で足を止め、煙草を吸い始めた。
今まで相当我慢していたのか、物凄い勢いで煙を吐き一本目をあっという間に灰にする。
二本目に火を点けたおじさんに、さっきまでの猛烈な咳は影も形もなかった。
こんこんさまはおじさんから離れ、とぼとぼと私の所に戻って来る。
「……もう、終わり?」
「どこか……合わぬのです。どこか、我を寄せる咳と違ったのです」
ああ、やっぱり。何となくそんな気はしていた。
咳なら何でもって訳じゃなかったんだ。
私は少し考えてから、肩を落としたままのこんこんさまに声をかけた。
「ね? とりあえずさ、うち来る?」
「樹季ー、ゲームの前にちゃんと手洗いなさいよー?」
キッチンへ戻った母の声がリビングに響いた。
「はーい――あ、ちょっと待っててね」
こんこんさまをソファーに座らせ私は一旦そこを離れる。
手洗いを終え戻ると、こんこんさまはさっきと同じ姿勢のままテレビとゲーム機をじっと見つめている。
画面では、買い物に行く前やりかけだったゲームがそのままになっていた。
「あ、見るの初めて? これはゲームと言ってね……」
「ぷれすてです」
「知識あったよ!」
「でも黒いのです。ぷれすては灰色じゃないのですか」
「でも微妙に古い!」
「昔は人家の中にもついたのです。そこにぷれすてのげえむをする者もいたのです」
昔……初期プレステの頃は、まだ家の中までついて行ってたのか。
「こんこんさまが家に入らなくなったのって、いつからなの?」
「二十年くらい前です」
私の生まれる前とは言え、割と最近の事だった。
父の話にも『こんこんさまがプライバシーに配慮する』なんてネタはなかったが、きっとそのせいだろう。
こんこんさまは家に『入れない』のではなく、自分で判断して『入らない』のだ。それは、私が招いたらちゃんと入って来た事でも分かる。
「これがコントローラー。使い方は分かる?」
「我で持つは初なのですが、分かるのです」
使えるんだ……聞いたのは私だけど、凄いな。
何か色々と、想像以上に現代に適応してなくね?
手に取ったコントローラーで、試しに画面のプレイヤーキャラを色々動かしているこんこんさま。
そう言えば、人によっては見えない様な存在が物を持つとか出来るのか。
見えない人には浮いて見えたりしないのか。今更ながら気になった。
「あら? 何で二つ繋いでるの?」
後ろから母の声。
「一つをテーブルに置いてパートナー待ち? 悪いけど私はパスよ? 今本当に忙しいんだから」
ああ、彼女にはそう見えてるんだ。生まれたばかりの疑問はすぐに解決する。
「お父さんもまだ部屋で仕事でしょうけど、後で頼んでみたら?」
どっちのかは分からないが、父は自宅待機中も自室で仕事をしている。
こんこんさまを私の部屋でなくリビングの方に連れて来たのは、ここで父が来るのを待つ為でもあった。
キャラの動かし方に慣れて来たこんこんさまが、ぎこちないながら一人用のストーリーモードをプレイし始めてた頃、父はリビングに顔を出した。
私と隣のこんこんさまを見て、瞬時に全身と顔を硬直させる。
「おま……そ……え?」
「動かないのです。また動かなくなったのです」
口をぱくぱくさせ無理矢理音を絞り出してる父と、さっきから自機キャラが続け様に死んでるこんこんさま。
どちらを先に相手するか迷い、コミュニケーションの取り易い方を優先する事にした。
「こんこんさま、だから何で背後取ろうとしちゃうかな。敵の後ろには行けないんだってば」
「や、やはり、こんこんさま……なのか? 何でここに……咳もしてないし」
「暇そうにしてたので、拉致ってきちゃった」
やっと言葉を出せた父にてへぺろって感じで答えたら、今にも卒倒しそうになってる。
「暇って……いやその前に何でさらうんだよっ」
「こんこんさまなら合法。あ、でも、こんこんしないでゲームしててもこんこんさまなのかな。この場合、ゲーマーさまとかになったりしないのかな」
「悪い、少し黙っててくれ。父さん一人で考える時間が欲しい」
「あと、母さんやっぱり見えてないみたいだから、話合わせるのよろしく」
「咳してる人がいない……か。うーん、そうだよなあ」
夕食後、母が後片付けに行ってから改めて、こんこんさまに出会った時の経緯を説明した。
聞き終えた父は腕を組んで唸ってる。
こんこんさまは食事を摂らないらしく、夕食の間はその辺うろうろしながらテーブルの献立をまじまじと見たりしていたが、今はリビングの隅で私が部屋から持ってきた漫画を読んでいる。
「流行病で街から人が消えるなんて、俺も生まれて初めてなんだ。こういう時、こんこんさまがどうなるかなんて、今まで想像した事もないんだよ」
こんこんさまを横目で一瞥し、父は溜息をついた。
「ねえ、このままでも大丈夫なのかな?」
「大丈夫?」
「暇潰しにはなると思って連れて来たけど、こんこんしてないとエネルギーがなくなるとか、そんな事ない?」
最初に見た時の彼女の元気のなさを思い出す。今だって、楽しそうにしてくれてはいるみたいだけど、元気とはあまり言えない感じだ。
「もしエネルギーなくなったりしたらどうなるの? 普通に今までみたくどこかに帰るだけなの? それとも――」
「それも分からないんだ。俺だって、人の後ろをついてなく咳もしてないこんこんさまなんて、見た事も史料で読んだ事もないんだから」
「父さんでもダメか……」
「ごめんな。でも父さんだって一応『こんこんさま担当』の端くれ、天塚の末裔だ。今出来る範囲で郷土資料をあたって、色々調べてみるよ」
テレビでは変わり映えのないニュース。
新たな感染者が増えた。
休業補償の準備をしている。
給付金の準備をしている。
引き続き不要不急の外出を控えて下さい。
営業時間の短縮を要請しています。
一か月近く毎日同じ事言っている気がする。
それでも、チェックしない訳にも行かないだろう。
『東京はニューヨークの様になるか。サンフランシスコの様に生き延びるか』
そんな誰かの言葉の字幕と共に、先月位のニューヨークの映像が流れていた。病院前に並んでる長蛇の列。
老若男女、様々な肌の色の様々な人種、一様にマスクを着けていて目は笑っていなかった。
その中の一人が顔を小さく上下させている。どうやら咳き込んでいる様だ。
「日本では病院の前に並んだりはしてないけど、本当に『その辺の秩序がしっかりしてるから』なのかな……『まだそこまでじゃない』からでしかな」
「――これだ」
父の呟きを遮って私は声を上げる。私の頭の中にあったのは、父の懸念とは別の事。
「病院の外なら怒られない……出入りする人を見てればいい! こんこんさま、ちょっといい?」
私はソファーを立ってこんこんさまの所へ駆け寄っていた。
「こんこんさま……か」
天塚家のマンション、ベランダから見えるリビングの光景。
そこにぴったりと向けて固定した望遠鏡。
レンズを覗き込みながら『彼』はそう呟いた。
窓際にいる天塚家の一人娘・天塚樹季が話しかけているのは、床に座り込んでいた黄色い着物の童女。
いや――本当は自分よりも遥かに古いモノだと分かっている。
望遠鏡から顔を離し、肉眼でマンションを眺める『彼』。
白い髪の若い男。その整った顔には大き目の白マスクを着けている。
どこかの女子中学生誘拐犯にも似ていそうなルックス。
だけど、そのマスクは何故か表裏が逆だった。
天塚家の窓の明かりを見下ろしながら、『彼』はマスクに隠れた口の端を上げる。
「この先のパートナーには、いいかもね」
前話から一週間。そして5000字越え。
思ったより時間もかかるし字数もかかりました。
自宅待機の話など書いていながら、自分は普通に出勤してる身なんで厳しいのかも。
ただ、もうちょっと何とかならんか、考えてはみます。
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