こんこんさまは暇してます
流行り病の起きた時には『こんこんさま』が現れる。
この辺りでは、昔からそんな言い伝えがあった。
『こんこんさま』は、着物を着た小さい女の子で、咳をしている人がいるといつの間にかその後ろをついて来て一緒に「こんこん」と咳をするのだという。
『こんこんさま』について来られた人は、病が治るとも、逆に病が悪化して死んでしまうとも言われていた。
私なんかはそれを最初聞いて「流行ったのが咳の出ない病気だったらどうするんだ」と突っ込んだものだったが、クラスのLINEの話題は「治るのか悪化するのかどっちなんだ」って所に大方の関心が向いていた。
「治るんだったらヤバいよ?」
来年高校卒業だというのにそんな事を真顔で(多分)問う同級生に、私はどう答えるべきだったのだろう。
本当にこんこんさまで病気が治るのなら、医療機関は彼ら(彼女ら?)について至急調査をすべきだと思うし、この地域に限り外出自粛だって見直す必要も出て来るかもしれない。
「ブレイク間違いなしでしょ。アマビエに次ぐ全国ヒットだって。地元代表キャラ爆誕だよ」
彼女は、私が思ってたよりは現実的な思考の持ち主だったみたいだ。
よりはね。
「でも、そうはなってない訳じゃん。こんな時でも地元だけのマイナーな言い伝えのまま……つまり、あまり広められないものってこと」
「治らない方だと?」
「そっ。こんこんさまがついて来た人は、症状が悪化して数日以内に死んじゃうんだよ」
彼女にしては珍しい位に論理的な推理だったが、クラスの中ではかなり不評だった様だ。
「ないわー」
「やめてよ。こんこんさまに失礼過ぎ」
「つうか不謹慎じゃねえ?」
「絶対違うって。こんこんさまはアマビエ様と同じ。パンデミックからの守り神様だって」
たちまち上がるブーイング。
どうやら、このクラスではこんこんさまを第二のアマビエにしようという向きが多勢を占めているらしい。
「何だよ……ねえ、きりんはどう思ってるわけ?」
誰だよきりんって。
今までそんな呼び方された事ないぞ。
学校に通ってた時はあまり話した覚えのない、どっちかというとギャルっぽかったと思う同級生は、なおもどこかの首長動物に向かって呼びかけ続けてる。
「おーい、きりんさーん」
「ごめん、誰の事か分からなかった。私の『樹季』で『きりん』はさすがに無理あると思う」
「ごめん。じゃあ、『いつりん』で」
少し近く……はなってねえな。やっぱり分からん。
「いつりんの家って神社じゃないけどそういうのやってんでしょ? 何か知ってる事とかない?」
私の違和感などは置き去りにして、彼女は『いつりん』呼びのまま話を続ける。
彼女への炎上もぴたりと止んでいた。皆の注目がこちらに集まってるのを感じ、結構居心地が悪い。
「うーん、あまり聞いた事はないかな。うちは本当に神社じゃなく、神道系の団体にお父さんが名前置いてるってだけで、本業もただの公務員だし」
「そっか……」
彼女が短く返事し、皆も再びてんでに会話し始める。
注目が引いた所だったが、今度は私から質問を投げてみた。
「この中で、こんこんさまを見たって人はいるのかな?」
「あれ? いつりんが食い付いて来るなんて珍しいかも」
他の子にまで『いつりん』が波及している。この男子には、学校では『天塚さん』と名字で呼ばれてた筈だが。
「ない」
「ないかな。見えないのかも」
「ないね」
「うう、見たいけどっ、いるなら見たいけどっ」
返ってきた答えは、いずれも「NO」だった。
さっきの彼女も今の彼も、やはり見たことはないという。
本当は見た事があっても、この場の空気を読んで隠してるかもとは思った。
――私の様に。
私の話は半分ばかり嘘だった。
父のプロフィールは事実だったが、私はこんこんさまについての話を小さい頃から聞かされていたし、何度かはこの目で見た事だってあった。
結論から言えば、こんこんさまは『何もしない』。
ただ、咳のしている人の後ろをついて、一緒にこんこんしているだけの存在だ。
ご利益もなければ、祟りもない。
昔はそうではなかったらしい。
何百年か前には、こんこんさまは『祟るもの』であり、こんこんさまについて来られた者は流行り病で命を落としてしまうとまで言われ恐れられていた。
何度も鎮魂が繰り返された事でこんこんさまは浄化され、翻って今度は、ついた者に病状の快方をもたらす『守り神』となった。
だが、それもまた昔の話で、幕末から明治にかけての頃にはその力もかなり弱まっていたらしく、スペイン風邪の流行時には「ついて来る姿を見れど病状一向に回復せず」という声も聞かれたという。
そして昭和に入ると、こんこんさまは病気に何も影響しない『ただついて来るだけ』のものになっていた。
私がこれだけ詳しい話を聞けたのは、大昔にこんこんさまを鎮魂して来たというのが我が家のご先祖だったからだ。
父が神道系の宗教法人団体に入ってるというのもその関係で、今はないが戦前まではこんこんさまを祀る神社があり、曾祖父の代まではそこの神主だったという縁があった。
現在でも神社跡や鎮魂に使われた石碑や塚が市内に点在して残っている。団体の中で父はそれらを管理する、言わば『こんこんさま担当』みたいな肩書だった。
本業の方もクラスメートには『公務員』とだけ説明したが厳密には『県立図書館の司書』で、多分だが父の先祖代々の役目と無関係ではない。
――ううっ、まだ結構寒いな。
せっかくの通常より長い春休みでも、引きこもり生活を満喫し尽くすには及べず、私はスーパーへ買い出しに行かされていた。
「皆にだって必要なものなんだから、何でも買いだめしようとするのはダメよ。揃ってるものはその都度買う様にしなくちゃ。お野菜やお肉だって新鮮な方が良いでしょ? あと重いのヤだし」
母の言う事ももっともだとは思う。最後に本音が出てやがったけど。
しかし、買い出しであんまりごねると、今度はそれを口実に料理を手抜きするのが目に見えてたから(「誰も材料買いに行きたくないんだから仕方ないわよね」)重い腰を上げざるを得ない。
さらば引きこもりライフ。こうなったらいっそ、メモにない食材も買い込んで手間暇かかるメニュー作らせまくってやる。
これだけ寒いとボルシチや角煮なんかも美味しいだろう。
決意を新たに顔を上げた時、改めて駅前通りの淋しさに気付く。
徐々に減って来たから分かりにくかったが、冬と比べても嘘みたいに人が少なくなってる。
わずかに歩いている人も、一人残らずマスクを着けていた。私も着けてたけど。
我が家ではとっくになくなってる紙マスクをしてる人もいて、どこにあったんだろうとか思う。
皆、風邪をひいてるわけではない。むしろ風邪っぽい人は一人も見かけなかった。
それもそうだ。今日び、本当に風邪の症状があったらこんな所には出てこない。
――こんこんさま、こんな時にはどこかで頑張ってこんこんしてるのかな。
さっきまでのLINEチャットを思い出し、ふとそんな事を考える。
今までもインフルエンザとかが流行ってた時には、誰かの後ろをついて行くこんこんさまを何度となく見かけていた。
肩までで切り揃えたおかっぱ頭に、黄色っぽい色の古い着物。今の私の腰ぐらいまでの背丈の女の子が、前の人の咳と同じタイミングで小さく咳しながら歩いている。
あんな小さい子がとてとてと小股で歩いてて、どうして大人の歩幅に合わせられるのか。そんな所でも、彼女が私たちの常識の外の存在だと気付く事が出来ると思う。
『あれがこんこんさまだ』といつから知っていたのかは覚えてないが、自然に「あ、こんこんさまだ」って感じで見送っていた。
咳をしない病気が流行った時は姿を見せなかったから、それが私の突っ込みの答えになるだろう。
主症状が咳でこれほどの世界的な大規模感染なら、こんこんさまにとっては出番中の出番となるのではないか。
さぞ『こんこん』しがいもあるとか張り切ってるかもしれない。そんな彼女を想像して思わず一人でにやけてしまう。
そこまで思ったとき、その想像に何か引っかかりを感じた。
「――――?」
それ違う。何かが違う。でもどこがどう違うのかわからない。
違和感の正体を考えている間に、私はスーパーに到着していた。
左右に一つずつLサイズのポリ袋を持って、スーパーから出る。
夕方近くの店内は外と比べて人が多かったが、それでもこの時間にしては少ない。
棚の前も通るのに苦労しなかったし、レジにもほとんど並ぶ必要はなかった。
何の売場かは確かめてないが、並んでるはずの商品が消え失せてる棚をいくつか見かけたし、客も店員も皆マスク姿。
異様な筈のこんな光景にもう慣れてしまっているというのも、よく考えたら怖い気がする。
しかし、いくら怖がったってどうにもならない。
どれだけ恐れようと、人はいなくなるし、商品はなくなるし――私はそれに慣れてしまう。
そんな諦めの境地に至りながら駐車場ゲートの前を通り過ぎようとした足が止まる。
ゲート脇のPマーク看板の下で膝を抱えて座ってた、見覚えのある小さな着物姿。
顔は伏せてて見えないが、頭も黒髪おかっぱのままだった。
「あ、あのっ」
私は思わず前まで行って声をかけていた。
彼女は何の反応も見せなかったが、もう一回「あの!」と少し大きめの声を出すと、ゆっくり顔を上げてこっちを見た。
昼間の猫みたいな目の細い和風な丸顔も、以前見たのと同じ。私は緊張した声で尋ねる。
「えと、あの……こ、こんこんさま、ですよね?」
どういう質問だよ。もし違ってたらどうすんだよ。
万が一人違いだった場合の恥ずかしさの桁違いっぷりに戦慄しつつ、私は彼女の顔を見る。
無言でこっちを見返している彼女から、肯定も否定も読み取れない。
「どうしたの……いや、されましたか?」
思わず小さな子に言うような感じで言いかけてしまう。
そう言えば全然こんこんしてないけど、それでも『こんこんさま』なんだろうか?
『体育ずわりさま』になったりはしないのだろうか。
脳内でそんな葛藤を繰り広げ始めていた私だが、彼女の口が微かに開くのを見て意識を戻す。
「……ぃ」
「い?」
一緒に口を『い』の形にして聞き返すと、彼女の唇がさらに大きく開いて音を出し直した。
「ひ…………ひま、なんです……」
「え? ひ……ま?」
彼女――こんこんさまはキッと睨む様な顔で頷き返すと、更に声を張り上げる。
「せ……咳の流行りに呼ばれ目覚め出たというに、咳の人がさっぱりおらぬのです! ず……ずっと、暇なんですっ!」
ああ、さっきの違和感、何だったのか分かった。
こんこんしてる人、外にはあまりいなかったよね。
それはそうと、こんこんさまの声なんて初めて聞いたな。お父さんだって聞いた事ないんじゃないかな。
今制作中の長編の合間で書いてみました。
一応連載ですが、どこまで続くか自分でも分かりません。
短編の連作っぽくなるかも。
このご時世、人外の皆様いかがお過ごしでしょうかとか、そういうコンセプトです。
長くとも、コロナパンデミックが収束したらこちらも共に終息すると思われます。
そんな次第ですが、どうぞよろしく。
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