ep.6 エリク
リディの家から戻り、王宮に与えられた自分の部屋に着くと、ため息が漏れる。
「……リディのバカ。無自覚とか本当にたちが悪い……」
先ほどのリディの独り言は、全部聞こえていた。
それなのに聞こえないふりをしたのは、なんて答えればいいのかわからなかったからだ。
幼い頃に出会ったリディのおかげで、ぼくは自分のことが少しだけ好きになれた。
左右で色の違う瞳はぼくにとってコンプレックスでしかなかった。
この瞳のせいで不気味がられ、不吉だ、忌み子だ、と王宮で囁かれ続けた。
母を恨んだこともある。この瞳は明らかに母の血のせいだからだ。
母の生家は古くから続く家で、ぼくみたいな左右で色の違う瞳の子が希に生まれることがあったのだという。
そんな母の血を引くぼくは、その特徴を運悪く受け継いでしまった。
ちなみに母の色はぼくの瞳の色と、どちらとも違うらしい。
らしいというのは、母に関する記憶がぼくにはほとんどないからだ。
母はぼくが物心つく前に死んだということになっている。
ぼくは自分のこの瞳が大嫌いだ。
鏡越しに映るのを見るのも嫌だし、他人に見られて嫌な顔をされるのも嫌だから、ぼくは前髪を伸ばし、この瞳を隠した。
そんなぼくの気持ちなんて考えずに、リディは勝手にぼくの目を見て、目をまん丸く見開いたあと、「きれい」だと言った。
ぼくにそんなことを言うのは、ぼくに取り入ろうと企む奴らくらいなもので、ほとんどの人は〝見なかったこと〟にする。
だからぼくは、彼女もそのうちの一人なんじゃないかと疑った。
今にして思えば当時六歳だったリディがそんなことを企むわけがなく、またリディの家はぼくに取り入る必要もなかったわけだけど、当時のぼくはそんなことに頭が回らないくらい幼く、そしてまた他人という存在は自分を傷つけるものなのだと、被害妄想じみた考えをしていた。
しかし、リディの目を見たら、そんな考えはすぐに吹き飛んだ。
リディはもともと大きい目をさらに大きくして、キラキラとした目をしてぼくを見ていたから。
こんな目をしてぼくを見てくれる人は、誰もいなかった。
それに、ぼくの目を「きれい」だと言ってくれる人もいなかった。血の繋がった家族でさえも、言われたことのない台詞だった。
あのときから、ぼくの中でリディは特別な存在になった。
だけど、リディはぼくと同じようにはぼくのことを想ってくれない。
それがとても腹立たしく、また悔しい。
ぼくはリディの言う〝理想の王子さま〟とやらを目指して、こっそりと努力を重ねた。
それなのに、リディはそんなぼくの努力に気づきもしないし、ぼくの前で理想の王子さまを見つけるのだと意気揚々に言い、それがまた腹立たしい。
だから、ぼくは決めていた。
──ぼくこそがリディの言う〝理想の王子さま〟に近い存在なのだと、思い知らせてやろう、と。
そのために、水面下で色々やっているわけだが、それは置いておこう。
いつかリディの心を奪ってやると決めているのに、現実にはぼくが奪われてばかりだ。
リディにはしてやれることばかりで、本当に敵わない。
しかし、それが嫌ではないと思うことが不思議だ。
「……リディのことは置いておこう……考えても仕方ないことだし」
軽く顔を左右に動かし、頭を切り替え、自分の机の上に並べられた書類を見る。
それは、例の窃盗団についての調査資料だ。
「『暁暗』ね……彼らの目的は、なんとなく見えてきたけど」
夜明けの意味を持つ名が彼らの組織名であるらしい。
彼らが今まで貴族の家から宝石などを盗んできたのは、資金作りのため。
そして──自らの存在を、世間に注目させるため。
恐らく、どちらの目的もほぼ達成しているだろう。
ぼくの調査では、あの夜会が最後のようだったから。
「……殿下」
背後から聞こえた声に、ぼくは振り向かずに返事をする。
「きみか。彼の行方は?」
「申し訳ございません。私どもも手を尽くしているのですが、手がかりすら掴めていない状況です」
「そうか。……まあ、そうだろうな」
彼──ロズリーヌと名乗っていた人物は、相当な手練れだ。
それは対峙したときにすぐにわかった。あのとき、敢えてぼくの蹴りを受けて捕まったのは、恐らくわざとだ。
彼はなにかの目的があって、敢えて捕まることにした。
それは、自分は逃げ出すことができるという相当の自信──いや、逃げ出すことができるという確信があったからこその行動だろう。
「……それで? そんなことを報告するために来たわけではないんだろう?」
「さすが殿下。よくわかっていらっしゃいますこと」
ふふ、という笑い声を聞いて、ぼくはようやく振り返り、声の主を睨む。
まっすぐな黒髪とすみれのような淡い紫色の瞳の少女──ミシェルは楽しそうだった。
「今日は殿下におめでとうございます、と伝えに来ましたの」
「……おめでとう?」
この状況のなにがめでたいと言うのだろう。
逃げた彼の行方は掴めず、暁暗の本部がどこにあるかのすらまだわからないというのに。
……いや、彼女のことだ。
仕事のことでわざわざ祝いに来るようなことはしないだろう。
となると、別のこと──たとえば、彼女の親友であるリディに関することだろうか。
しかし、それにしても祝われるようなことはない。
「聞きましたわ。危機的状況にあったリディを救った、と。これでリディも殿下のことを見直したのではないかしら、と思い、本人に聞いてみたところ、それなりの手応えのある解答をもらいましたので、お祝いに」
「……そんなことでわざわざ来なくていい」
先ほどのリディの台詞が蘇り、むず痒い思いを隠すために、顔を顰める。
そんなぼくに対し、ミシェルはわかっています、というようににっこりと頷く。
「私、これでも殿下のことを応援していますのよ。リディには殿下のように一途に想ってくれる殿方がお似合いです。それに……お二人の様子を見ているのは、とても楽しいので」
「人で楽しむな」
完全に最後の台詞が本音だろう。
本当に趣味の悪い女だ、とミシェルを睨む。
「そんなに睨まないでくださいませ。殿下のことを応援しているのは本当なのですから。だから、リディのほしい物をお教えしたり、流行りのお店のことをお教えしているでしょう?」
「……その節は、助かった」
「いえいえ。敬愛する殿下とリディのため──そしてなにより、私のためですもの。ですけれど……ね?」
ミシェルは綺麗に微笑む。
しかし、その目は笑っていなかった。
「……私、少しだけ殿下に失望しました。あの夜会、殿下がいるからリディは大丈夫だと安心していましたが……まさか、殿下ともあろうお方が、リディをあのような目に遭わすとは……想定外でしたわ」
「……それについては、反省している。あれは完全にぼくの計画ミスだ。もう少し上手くやれていれば、リディがあんな目に遭うことはなかった」
あのときのことは、本当に悔やんでいる。
あそこで彼を挑発しなければ、リディがあんな目に遭うことはなかった。
もっと場所と状況を選んでやるべきだった。まさか、暁暗の幹部が女装しているとは思わなかった、なんて言い訳にすらならない。
「今後はこのようなことがなきよう、お気をつけくださいませ。……彼に関しては、私どもの情報不足だったことが原因であることも、自覚しております。不遜な発言、大変失礼いたしました」
「……いや、いい。きみの言うことはもっともだ。きみたちは頼りにしている」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
ミシェルは頭をさげたあと、今度は心からの笑顔をぼくに向けた。
その笑顔に嫌な予感がし、ぼくは眉を寄せる。
「そうそう……言い忘れておりましたが、王太子殿下からご伝言を預かりました。『手が空いたら部屋に来るように』と」
嫌な予感が的中した。
兄上からの呼び出しはきっと、彼が逃げ出したことについてだろう。
正直、気が重い。兄上と話をするのが、ぼくは苦手だった。
それをミシェルは知っていて、敢えて最後に言ったのだろう。
「……きみは本当に良い性格をしているね、ミシェル」
「まあ。お褒めいたただき、光栄ですわ」
ふふ、と嬉しそうに笑ったミシェルを心から憎たらしく思った。




