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ep.36


 昨日食べられなかった分まで食べようと、手と口を必死に動かす。

 少し多めに用意されているはずの朝食は、わたしの手の届く範囲にあるものはほぼ空となった。


 エリクの呆れた顔に見なかったふりをする。

 ……言い訳をさせてもらえるなら、朝食がおいしすぎるのがいけない。

 わたしだって普段は朝からこんなに食べないし、たとえ昨日一日ろくに食べていなかったのだとしても、これほど食べる気なんてなかった。


 ぱんぱんになって膨れたお腹を見て、ほんのちょっぴり食べすぎたことを後悔したけれど、おいしかったからとても満足。お腹いっぱい食べられるってすごく幸せなことだよね。


 エリクは朝食を半分以上残した。

 まあ、それはいつものことなのだけど、エリクだって少なくとも昨日の夜からまともな食事をとっていないはず。なのに、いつも通りで大丈夫なのかな?


 そう思って聞くと、フッとエリクは笑う。


「ぼくのお腹は、リディと違って繊細なんだ。朝からバカみたいに食べたら腹を壊すんだよ」

「なっ……! なによ! まるでわたしのお腹が繊細じゃないみたいな言い方をして……!」

「へえ。繊細だったの? 知らなかったな」

「せ、繊細だとは言っていない……けれど……!」


 もう少し言い方ってものがあると思う!

 本当にエリクったら失礼しちゃう!


 怒るわたしにエリクは肩を竦めたあと、素知らぬ顔で本を読み始める。

 本当に失礼なんだから!


 文句を言おうと口を開きかけたとき、来客があった。思わずエリクと顔を見合わせ、いつの間にか傍にいたユーグが応対するために素早く動く。


 きっと、昨日のことについての話をしに誰か訪ねて来たのだろう。

 わたしたちは賓客だし、あんな騒動に巻き込まれて「なんでもない」なんて言うことはないはず。

 まあ、自国に不利益になるようなことは話さないのだろうけれど、ある程度の説明はしてくれるに違いない。


 あの人、大丈夫かな。無事……ってことはないと思うけれど、なんとか命だけは助かったといいな。

 そのあたりの説明も、今訪ねてきた人がしてくれるだろう。


「殿下、リディアーヌさま。フレンツェル伯爵がお見えです」


 珍しくユーグが敬称を使う。その表情も普段のそれとは違い、よくできた侍女といったふうだ。

 お客様がいるから、演技をしているのだろう。ユーグの切り替えの早さは本当にすごいと思う。


「お通しして」


 エリクがそう告げて少ししてフレンツェル伯爵さまが現れた。相変わらず表情は変わらないけれど、どことなくお疲れの様子だ。

 それも仕方のないことだろう。昨日あんなことが起きただけでも大事件なのに、それがゲストであるはずのわたしたちの前で起きてしまったのだ。


「エリク殿下、リディアーヌ嬢。まずは昨夜のこと、王太子殿下に変わりお詫び申し上げます。我が国の不祥事に殿下方を巻き込んでしまい、大変申し訳ございません」


 深く頭を下げた伯爵さまにわたしはあわあわしたけれど、エリクは表情ひとつ変えずに伯爵さまを見つめた。

 その横顔は『王子さま』だった。それはわたしの夢見る王子さまという意味ではなく、我が国の『王子殿下』で、わたしの知らないエリクの顔だった。


「謝罪は受け取りましょう。そのかわり、きちんとご説明いただきたい」

「もちろんです」


 そうして伯爵さまはことの経緯を説明してくださった。

 昨日倒れたご令嬢は何者かに毒を盛られたらしい。いつどこで毒を摂取したのかはわからない。ただ、毒に倒れたのは彼女だけであることから、彼女を狙ったものの可能性が高いそうだ。


 そして彼女はなんとか一命を取り留めたけれど、未だに意識は戻らず、下手をすればこのまま意識が戻らないこともあるかもしれない、とのことだった。


 彼女が一命を取り留めたことにはほっとしたけれど、未だに生死の境を彷徨っているという事実に顔が青くなるのを感じた。


 ──どうか、彼女が目覚めますように。

 そう祈ることしかわたしにはできない。


 ぎゅっと膝の上で拳を握ったそのうえに、ぽんと優しく手が置かれる。

 無意識に下げていた視線をあげると、エリクが「大丈夫」というように頷く。

 そして、わたしにしか聞こえないくらいの小さな声で「その顔キープしてて」と言ってきた。


 ……その顔キープ?


「現状でも詳しい状況等はほぼわかっておりません。ですので、ご不便をお掛けしますが、殿下方には安全が確保されるまではこちらで待機をしていただきたいのです」


「なるほど。では、ぼくたちは国に帰らせていただきます。伯爵のお話を伺った限りでは、あの毒は倒れたご令嬢を狙ったものであるかもわからないのでしょう? 毒を飲むのは誰でも良かったという無差別な犯行であった可能性もあるわけだ。そんな危険のある場所に、ぼくの可愛い婚約者を置いておけません。ほら、こんなに怯えた顔をしているのに……」


 そう言って心配そうにエリクがわたしを見つめる。

 可愛い婚約者とか、そんな寒い台詞に呆然としていると、エリクの目が冷たく輝いた気がした。


 ──リディ、わかっているよね?


 そんな圧を感じ、わたしは先ほど言われた顔キープに必死になった。

 わたしは必死に不安そうな顔をする。なんだろう、この言葉の違和感。


「お気持ちは痛いほどよくわかりますが、殿下方をお帰しするわけには参りません」


 伯爵は表情を変えることなく淡々と言う。


「理由を教えていただいても?」

「先ほど述べた通りです。大切な御身である殿下方の安全性が現段階では確保できないからです」

「では、ぼくたちに食事のたびに毒に脅えろとおっしゃるのですか」

「毒味役はきちんとつけますので、ご安心ください」


 どことなく雲行きの怪しい二人の会話に本当に不安になってきた。

 もしやわたしたち、この事件が解決するまで帰れないのでは……?


「そこまでしてぼくたちを留めたい理由があるのですか? まるでぼくたちが疑われているようだ」

「そんなことは……」


「──ヴィリー、エリク相手にそんな方便は通じない」


 突然響いた第三者の声に、わたしたちは一様に顔を声のした方に向ける。

 そこには堂々と部屋に入ってくる王太子殿下と、それに困った顔をしているユーグがいた。


「ローレンツ殿下……」


 伯爵がそう呟くのと同時くらいに、エリクが小さな声で「やっとお出ましか」と呟いた。


「ローレンツ殿下がこちらに足を運んでくださったということは、直々にご説明いただけるということでしょうか」

「その通りだ。君相手ではヴィリーでも荷が重たいだろうと思ってね」


 フッと笑った王太子殿下は優雅な足取りで空いている椅子に近づき、腰を下ろした。


「まずはエリク殿下に感謝を。そこの侍女殿のおかげで、我が国の令嬢は一命を取り留めた。まさか毒に詳しい侍女がいるとは、な。それも、ここに勤める医師ですら知らぬ毒の解毒ができるとは」


 意味ありげに王太子殿下はエリクを見つめる。

 それに対し、エリクは「殿下に褒めていただけて、そこのユゲットも光栄でしょう」と涼しい顔で答えた。ユーグもすまし顔だ。


 ……よくわからないけれど、あの令嬢を助けたのはユーグってこと?

 そして、なんとなくだけど、わたしたちは王太子殿下に疑われている……?


 なにがどうなっているのかさっぱりわからない。

 王太子殿下と伯爵さまがお帰りになったら、エリクとユーグを問い詰めないと!



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