ep.2
エリクは週に三回くらいのペースでうちの庭にやって来る。それもなんの先触れもなく、突然に。
だから、気づくとエリクは指定席となっている庭のベンチで読書をしていて、わたしはそんなエリクを見つけるたびに、来たのならひと言言いなさいよと文句を言うのだけど、エリクは知らん顔をする。
先触れも出さずに他所の家に来るのはマナー違反だ。それが王族であるのならなおのこと、マナーを遵守しなければならない。それなのにエリクがやって来るのはいつも突然だ。
それでいいのかと父さまに問い詰めると、父さまは困った顔をして「エリクさまはとても複雑なお立場におられるから、我が家でくらいは好きにさせて差し上げたい」と言う。
エリクの上には二人お兄さまがおり、その二人とエリクの母親は違う。エリクのお兄さま方の母親はエリクが生まれる何年か前に亡くなられ、その後添いに嫁がれたのがエリクの母親なのだ。
エリクの立場うんぬんに関してわたしが知っているのはこれくらいで、それ以上のことは知らない。エリクは自分のことを話したがらないし、そんな人から無理に話を聞き出そうとも思わない。
だからといって、エリクに遠慮したり気を遣おうという気にもなれなかった。うちの庭ではわたしとエリクは対等な立場。身分なんて関係なく、ただの〝リディ〟と〝エリク〟だ。
わたしはわたしの好きなように、エリクはエリクの好きなようにお互いに接している。なにより、それがエリク自身の望みだから、わたしは誰になんと言われようと、うちの中ではこの態度を改める気はない。もっとも、エリクが嫌がったらすぐにやめるけれど。
そんな気安い仲のエリクとわたしだけれど、仲が良いのか、と聞かれれば首を傾げざるをえない。
なぜならエリクはわたしに対してものすごく意地悪なことばかり言うからだ。
「バカなの?」「もっと現実をみなよ」「たまに君のその能天気さが羨ましくなるよ」などなど、エリクのわたしに対する暴言の数々は語り切れない。
そんなエリクなので、わたしたちは喧嘩が絶えない。喧嘩ばかりと言っても過言ではないくらいだ。
だけど、それも次の日になればころりと忘れて、わたしはエリクに普通に話しかけてしまう。話しかけてからそういえば昨日喧嘩したのだった、ということを思い出す。しかし、エリクも昨日のことなどなかったかのように返事をするので、わたしたちは喧嘩はするけど仲直りは一度もしたことがない。
だけど、今回は違う。
エリクにとっては今までのものと変わらない喧嘩だったのかもしれない。だけど、わたしにとっては違うのだ。
昨日のエリクの暴言は聞き捨てならなかった。国中探せばわたしの理想の王子さまの一人や二人いるはず。それに、理想の王子さまと結婚することは、幼い頃からのわたしの夢で、それをいるわけがないと一刀両断されたのだ。夢見る乙女として許すまじ。
だから、わたしは今回はとても怒っているのだとエリクに表明するために、エリクが庭に来てもエリクに近寄らなかった。
エリクが「ごめん、ぼくが悪かった。許してくれリディ」とわたしに許しを乞うてくるまで、絶対に許さないと決めていた。
数日もすればさすがのエリクもおかしいと気付いてわたしに謝ってくるだろう──そう思っていたわたしが甘かった。
ああ見えてエリクも意地っ張りなのだ。絶対に自分からは謝らない頑固なところがあるということを、わたしはすっかり忘れていた。
エリクは謝罪はおろか、手紙の一つもわたしに寄越さなかった。なんて強情なのだろう。
この間の件を何度思い返してもわたしに非はなく、明らかに無神経なエリクの方が悪い。なのに、謝罪の一つもできないなんて!
我が幼馴染みながら、なんと呆れた男だろう。きっと彼の奥さんになる方はきっと大変だ。まだ見ぬ未来のエリクの奥さんにわたしは心から同情する。
エリクはわたしと話をしないにも関わらず、相変わらずうちの庭に来て読書をしていた。そんなエリクの姿を、わたしは屋敷の中から見つけては、いい加減謝ってくれればいいのに、と思う。
エリクが謝ってくれさえすれば、仲直りしてあげるのに。
本当にどうしようもない男だと、呆れを通り越して感心さえ覚えてしまう。
屋敷の中からじっとエリクを見ているのに、エリクはちっともわたしに気づかない。そんなに離れた距離にいるわけでも隠れているわけでもなく堂々と睨んでいるのに。どれだけ読書に集中しているのだろう。
わたしが話しかけなくても、エリクは平気なの? むしろ、清々している?
そう聞きたい気持ちもある。しかし、それを聞いてしまったら、やつは意地悪な笑みを浮かべて「ぼくと話ができなくて、そんなに寂しかったの?」とかなんとか言うに違いない。それはそれで腹立たしい。
……エリクのバカ。
そもそも、なんでわたしはこんなにエリクのことばかり考えているのだろう。
あんなやつのことを考えるよりも、もっと他にやるべきことがあるはずだ。だってわたしは理想の王子さまを見つけるという、大事な使命があるのだから!
理想の王子さまを見つけるためには、わたし自身も磨かなければならない。
そうだ。エリクのことなんて放っておいて、来たるべき日のために準備をしなければ。
よし、と自分に小さく気合いを入れて、わたしはエリクに背中を向けて歩き出す。
しかし、数歩歩いたところでやっぱりエリクの様子が気になって、ちらりと背後を見る。
エリクはさっきと寸分違わない姿勢で読書をしている。わたしの予想通りに。
そんなエリクの様子にムカムカとして、エリクが見ていないのをわかっていて、わたしはエリクに向かってあっかんべをした。
ふんだ! エリクなんかもう知らない! エリクなんてずっとこうして一人で読書でもしていればいいのだわ!
一人で勝手に怒り、エリクから思い切り顔を背けて歩き出したわたしは、エリクが本から顔をあげて呆れた顔をしているのに、まったく気づかなかった。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
それからわたしは、ふとした瞬間に頭に過るエリクのことを追い出し、社交界デビューの準備を進めた。
礼儀作法の見直しはもちろんのこと、当日のドレスの確認、それに合うアクセサリーの準備などなど、やらなければならないことはたくさんあった。
庭でエリクを見かけるたびにやつをぎゃふんと言わせてやる、という闘志に燃え、わたしはより一層準備にのめり込んだ。
……まあ、正直なところ、エリクがぎゃふんというところなんて想像ができないのだけど、それはそれ。とにかくわたしはエリクを見返してやりたいのだ。
これだけ準備をしたのだから大丈夫。きっと理想の王子さまに見つけてもらえる。
そんな期待と、ほんの少しの不安を胸にして、エリクと会話を交わさないまま、わたしは社交界デビューの日を迎えた。
デビュタントの証である白いドレスを身にまとい、めいっぱいおめかしをしたわたしは、きっといつものわたしよりも綺麗になっているはず。
今のわたしの姿を見たらエリクは目を丸くするに違いない。まあ、素直じゃないからお世辞でも「綺麗だね」なんて言わないだろうけれど。
会場内にはわたしと同じく今日が社交界デビューである貴族のご令嬢方が多くおり、期待と緊張からか、どことなく浮いた表情をしていた。
かくいうわたしもそのうちの一人で、不躾にならない程度に辺りを観察し、理想の王子さま候補を探した。
あ、あの方なんてどうかしら。
あ、こっちの方もすてき、かも。
きらきらとした笑みを浮かべる貴公子たちに、早くもわたしのテンションはハイになった。
こんなにたくさんいるのだもの。絶対にわたしの理想の王子さまがこの中にいるはずだわ!
今に見てなさい、エリク。絶対にあなたをぎゃふんと言わせてやるんだから!
……とはいえ、淑女は自分から声をかけてはならない。
だから自ら行動に移すことはできないのだ。じゃあどうするのか、と言えば、気に入った方をただじぃっと見つめるのだ。その視線に気づいた貴公子が令嬢に近づき、ダンスを申し込む。それが一般的だ。
だがわたしはそんなまどろっこしいことはできない。
ただ見ているだけで相手が気付くか? わたしなら絶対に気付かない自信がある。それこそ、それに気づくのは最初から気になっていた場合だけではないだろうか。気にもとめていない令嬢の視線に気づくとは考えにくい。
と、なるとやはり容姿の良し悪しがすべてだ。美しく可愛い令嬢には当然のごく、蟻のように貴公子たちが群がり、反対に可愛げのない令嬢はぽつんと壁の花になる。
容姿の他にも、身分も関係あるかもしれない。親の身分が高ければ出世が見込める。それを狙って声をかける計算高い方もいるだろう。
わたしの容姿が別段劣っているとは思わない。だが、特別優れているとも思わない。そして身分も伯爵令嬢という、ぱっとしないもの。
だからわたしは物語でいう、村娘Aの印象くらいしか貴公子たちに与えられないだろう。
そんなわたしが狙いを定めた貴公子たちに話しかける方法。
──それはわざとぶつかる、だ。
わざと貴公子たちにぶつかり「きゃっ、ごめんなさい」と謝れば、向こうもなんらかのアクションを起こすだろう。そこからなんとか会話を継続させ、この子良いなと思っていただき、ダンスを申し込んでもらう。
我ながらなんて素晴らしい計画だろう。自画自賛したくなるくらい素晴らしい作戦だ。
そんなことを考えながら、油断なく周りを観察していると、なんだか辺りがざわざわとしだした。
いったい何事か、と思い、皆が見ている方を見ると──。
「エリク王子がいらっしゃるなんて……なんて、珍しい」
「殿下はこういった場はお嫌いだと伺っておりましたのに……」
そんな戸惑った周りの会話なんて耳に入らないくらい、わたしは驚いていた。
エリクは人嫌い。この夜会にも出る気がないようなことを言っていたのに、どうして急に出ることにしたのか。
もしかして……わたしをからかいに!? だとしたらなんて暇なやつだろう!
邪魔をするつもりなら絶対に許さない!
そんなことを考えていると、不意にエリクを目が合った。
エリクは公式の場所であるからか、普段は下ろしている前髪を右に流し、左だけをすっきりとあげ、その端正な顔を半分だけ出していた。
正装をして顔を(半分だけ)出したエリクは本当の王子さまみたいだった。
いや、本当に王子さまなんだけど。
エリクはわたしを見ると、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべてすぐに視線を逸らした。
その笑みをたまたま目撃してしまったご令嬢から興奮したような悲鳴があがる。
わたしも興奮した。
ただし、他の令嬢とは違う意味で。
──理想の王子さまを見つけられるものなら見つけてごらんよ。
あの目はそうわたしに語って、バカにしていた目だった。
なんて……なんて腹の立つやつだろう……!
いいだろう、その挑発に敢えて乗ってやろうではないか!
絶対にこの夜会で理想の王子さまを見つけてやる、と再度決意し、わたしはエリクに背を向けてズカズカと歩きかけ──いけない、と思い直し、淑女らしく楚々として歩いた。




