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ep.27 エリク


 むにゃむにゃ、とぼくの腕の中で意味のない寝言を言っているリディにため息を堪えた。

 どうしてこの状況で眠れるのだろう。目の前には、よく知らない男がいるというのに。


 リディをぐっと抱き寄せ、膝の上に乗せる。

 そして、リディの顔が正面からは見えないように抱えると、へにゃっとリディが笑う。


「うへへ……えりく、あったかい……」


 そんな寝言を呟いて、ぐりぐりとぼくの服に顔を擦りつける。まるで子どもだ。いや、リディの精神年齢は確かに子どもなのだけども。


 恐らく、リディは完全に寝てしまったわけではないのだと思う。うとうとと、夢と現実を行き来している、そんな状態。

 昨日はあっさりと眠ったと思ったけれど、彼女なりに緊張はしていて、あまり深くは眠れていないのだろう。


 頭を撫でると、顔を緩める。

 とても無防備な顔。そんな顔を外でするなと怒りたくなるのは、きっとぼくの我儘だ。


「仲がよろしいのですね」


 無口なフレンツェル伯爵が珍しく話かけてくる。

 表情は乏しいが、彼の瞳は微笑ましそうに柔らかい色をしていて、なんとなく、気まずい。


「……彼女とは、幼なじみなので」


 渋々と答えると、伯爵は「なるほど」と頷く。

 その言葉に含みがあるような気がしたのは、ぼくが深読みしすぎなのだろうか。


「……伯爵は、どうして王都の案内を?」


 話を変えるために問いかけると、伯爵はそつなく答える。


「王太子殿下から直々に頼まれましたので」


 ……王太子か。

 このフレンツェル伯爵は王太子殿下の側近中の側近だ。王太子殿下の補佐のようなことをしているとも聞く。

 そんな人物が、わざわざぼくたちを王都に案内するようにと王太子に頼まれたのは、なにか思惑があってのことなのか、それとも王太子の気まぐれなのか……そのあたりは考えるだけ無駄だろうから、深くは考えない。


「それにしても、エリク殿下が女性を連れて来られるとは、意外でした」


 ぽつりと呟いた伯爵に、ぼくはどういう意味だと問うように視線を向ける。


「殿下は……失礼ながら、俺と似たものを感じておりましたので」


 そう言った伯爵に、ああ、と納得する。

 この通り、フレンツェル伯爵はすごい美貌の持ち主で、結婚前は年頃のご令嬢方が群がっていたことを思い出す。

 それに対応する彼は、表情にこそ出してはいないけれど、どこかうんざりとしていた。それにぼくも共感できたし、きっと同じ思いだった。

 ぼくの場合は彼と違って、滅多に社交の場に出ないから、その鬱屈は彼と比べるまでもないけれど。


 フレンツェル伯爵はきっと想い人がいて、だからこそ、群がる令嬢たちにうんざりしていたのだろう。それはぼくも同じだ。

 好意を向けられるのは、好きな相手だけで十分だ。他にはいらない。


 そして、その相手と想いが通じたのなら、閉じ込めてしまいたい。どこにも出さず、ただ自分だけを見てほしい──そう、ぼくは思う。

 もしリディと想いが通じ合ったのなら、夜会になんて出したくないし、ましてや知らない人たちばかり集まる外国の夜会に出席するなんてもってのほかだ。


「今回の夜会はパートナー同伴でなければならないと伺ったので」


 仕方なく。本当は嫌だけど、渋々連れてきたのだというのを含めて答える。

 実際は、違うけれど。公務なんてただの口実。そろそろ、リディには自覚してもらわねばならない。ぼくも男であることを。

 他の男なんかに現を抜かされるわけにはいかない。


 結果は上々だ。

 なんだかんだで、リディはぼくを意識しているように感じる。


 ……ただ、このように突然抱きしめられてそのまま眠られると、意識されていると思ったのは自意識過剰だったのでは……という気がしてならないけど。


「可愛らしい方ですね、リディアーヌ嬢は」


 そう言った伯爵に、思わずむっとする。リディが可愛いのは一目見てわかることだ。わざわざ言わなくてもいい。

 しかし、ぼくはリディいわく、『外面がいい』らしいので、それは顔に出さずに笑う。


「はい。ぼくの自慢の、婚約者です」


 はっきりと言うと、伯爵はうっすらと口角をあげた。


「婚約者、ですか」


 含みのある言い方に、笑顔を保つ。

 フレンツェル伯爵は王太子のお気に入り。つまり、それほど有能な人物ということだ。

 恐らく彼は、リディがぼくの〝正式な〟婚約者ではないことを知っている。


 だけど、リディがぼくの婚約者候補に入っていることは、間違いない。リディは知らないだろうけれど、一応王子であるぼくにも何人かの婚約者候補がいる。兄上と父上が勝手に考えている相手たちが。


 しかし、ぼくは王位継承権を放棄するつもりだ。王子の身分にこだわりはないし、伯爵としてリディとのんびり過ごすつもりで、いろいろと動いている。


 ……まあ、それにはリディの気持ちが大事になるわけだけど。リディの父であるクラヴリー伯爵は、リディの結婚相手は彼女が好いた相手と、と考えているようだから。


 会うたびにそれとなく、生暖かい目で「がんばれ」と言われているような気がする。そしてその裏では「落とせるものなら落としてみろ」と言われているような気がしてならない。

 はっきりとは言われないのだけど、これはたぶん、気のせいなんかではないと思う。


「ローレンツ殿下はご婚約者を探していらっしゃると伺いましたが、明日の夜会はそれが目的なのでしょうか?」


 話を変えるためにローレンツの話題を振る。

 すると、伯爵が顔を顰めた。


「……ええ、その通りです。殿下はその……とても志が高い方ですので、殿下の気に入る方がなかなか見つからず……」


 苦々しく語る伯爵に、この人も苦労をしているのだな、と他人事のように思った。

 確かにあの王太子の理想は高そうだ。


 同じ王太子でも、兄上とは違う。兄上は幼なじみの公爵令嬢と婚約しており、完全に尻に敷かれている。公の場では兄を支える良い婚約者、というふうを装っているけれど、身内の前ではボロクソに言われている。正直、見ていてスカッとするので、もっとやればいいと思う。

 兄上たちは来年あたりには結婚するだろう。そのためにいろいろと準備が進められているようだった。


「苦労されているのですね……」


 心から同情して言うと、伯爵は小さく笑って「慣れていますので」と答えた。

 その回答に、さらに同情を覚えた。


「う、うーん……えりく……?」


 大人しくうとうとしていたリディが、ぱちりと目を開けた。そしてぼんやりとぼくを見て、目の前にいる伯爵を見た。


「あ、あれ……? いつの間にエリクは、伯爵さまと仲良しになったの……?」


 ごしごしと目を擦りながら、どこか寝惚けた様子でリディは問いかける。


「……寝惚けてるでしょ」

「ねぼけてない……」


 あくびを噛み締めてリディは答える。

 ごしごしと目を擦り続けるリディの手を掴む。


「なにするのよ……」

「あんまり擦らないの。せっかく綺麗に化粧しているんだから……可愛いのが台無しだよ」


 自分の台詞に吐きそうだった。

 こんなのぼくのキャラじゃない……でも、仲良し婚約者を装わなければならない。特に、それを疑っているらしい、目の前にいる伯爵の前では。


「……エリク?」


 ぱちぱちとリディは瞬きをして、ぼくの顔をぺちぺち触る。


「なにするの……」

「だって……エリクがきもちわる……じゃなくて、珍しいことを言うから、夢なのかと思って」


 夢だと思ったなら、自分の顔を叩きなよ。というか、今、気持ち悪いって言いかけた?

 そう言いたいのをぐっと堪えた。


「くっ……」


 不意になにかを堪えるような声がして、ぼくとリディは同時にその声が聞こえた方を見る。

 そこには、伯爵が口元を押さえて、笑いを堪えていた。


「伯爵さま……?」


 ぽかんとして問いかけたリディに、伯爵は堪えきれずに笑い出した。

 今のどこに笑いのツボがあったんだろう……。


 伯爵は若干涙目になって、なんとか笑いを収めると、「申し訳ありません」と謝った。


「お二人のやりとりがまるで息のあった夫婦のようで……」


「……」

「……」


 そう言われると、悪い気はしない。

 ちらりとリディを見ると、不服そうな顔をしていた。それにむっとして、リディの片手でリディの頬をぎゅっと掴んだ。


「ひひゃひ! ふぁふぃふんのほ!」

「なに言っているかわからないよ」

「ふぇふぉはなひなふぃほ!」


 リディのアホ面に満足して手を離すと、リディはギロリと睨んだ。

 そしてふと、怪訝そうにぼくを見た。


「……ねえ、なんか近くない?」

「なにが?」

「エリクが、近い」

「そりゃあ、きみがぼくの膝の上に乗っているからね」


 なにを今さら言っているのだろう。

 リディはぱっと顔を赤くする。


「えっ! な、ど、どうして……?」


 おろおろするリディに気分が良くなった。

 ぼくに動揺しているリディは見ていて楽しい。


「……俺は、少し席を外した方がいいでしょうか」


 先ほどまで笑っていた伯爵は、今度は神妙な顔をしてそう問いかけた。

 どうやら、恋人同士がいちゃいちゃしているように見えたらしい。いい傾向だ。


「いいえっ! お願いですから、一緒にいてください……!」


 必死に言うリディに、伯爵は苦笑いをした。そしてちらりとぼくを見て、なにやら同情した目を向けられる。

 そういうの、本当にいらない。


 不貞腐れたぼくは、リディをぎゅっと抱きしめる。

 わあわあと騒ぐリディの背中を撫でると、急に大人しくなった。

 訝しく思ってリディの顔を覗き込むと、真っ赤な顔をしていた。


 可愛い。

 いつもこれくらい、素直になればいいのに。


 リディが聞いたら「そっくりそのままお返しするわ!」と言いそうなことを思っていると、伯爵が窓の外を見て、ぼくたちに言う。


「馬車の中で見ているだけでは退屈でしょう。商業区に入ったので、街に出てみますか?」


 伯爵のその言葉にリディはガバッと反応し、キラキラした目で「ぜひ!」と答えた。

 それにぼくは、少しだけ面白くないものを感じた。



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