ep.23
「ぼくとリディが相部屋なのは……保険みたいなものだよ」
渋々と話し出したエリクの隣に座り、わたしは首を傾げる。
「保険?」
「そう。ちょっときな臭い話があってね……あまりこの国の人たちは信用できない。リディの身を守るためという意味では、ぼくの傍にいるのが一番安全だと思う。ユーグも常に一緒にいられるわけじゃないし。だからまあ……大人しくぼくに守られて」
わたしから視線を逸らして言ったエリクをじっと見る。勘だけど、今のエリクは嘘をついていないように見えた。
「……わかった。仕方ないから、エリクと一緒の部屋で我慢してあげる。そのかわり、変なことしないでよね」
まあ、エリクが変なことなんてすることはないと思うけど。一応、儀礼的に言っておく。これでもわたしは伯爵令嬢なのだから。
ふんっと渋々そう言ったわたしに、エリクはほっとした顔をした。
しかし、すぐにニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「変なこと? それってどういうこと?」
「は……? か、考えればわかるでしょ!」
「でも、ぼくの思っている〝変なこと〟とリディの思っているのと違うかもしれないから、具体的に教えてほしいな」
「なっ……ななっ……!!」
具体的にですって……?
そんなこと、恥ずかしくてとてもではないけれど言えない。
きっとエリクはそれがわかっていて、あえてそう言っているのだろう。なんて意地の悪い……!
ギロッとエリクを睨んで見ても、涼しい顔のまま。
それどころか「早く教えてよ」なんて言う。この鬼畜王子め……!
「言えないの? なら、どこまでいいのか試そうか」
「へっ……?」
どこまで? なんの話?
ぽかんとするわたしに、エリクが段々と距離を詰めてくる。それから逃げるように、エリクが一歩近づくたびに横にずれる。
そうしていくうちに、わたしの背中にこつんとなにかに当たる。
肘かけだ、と思ったのと同時にバランスを崩し、わたしの視界は反転した。
あ、これ、まずい。
そう焦ったときにはもう遅い。にこにこと笑顔を浮かべたエリクがすぐそこに迫っていた。
「エ、エエエリク……?」
「なに?」
「なんか……距離が近くないかなあ、なんて、わたしは思うのだけど……!」
「うん、そうかもね。だってこれ、実験だし」
「じ、実験……?」
「そう。リディの言う〝変なこと〟ってやつを知るための実験」
そんな実験、しなくていい。
そう主張したいけれど、エリクが覆い被さるようにわたしの上に乗ってきて、ぱくぱくと口を動かしても声が出なかった。
「これは大丈夫?」
エリクは楽しそうに問いかける。
大丈夫じゃない。完全にアウトだ。
本当の婚約者だとしても、こんな距離感はおかしいと思う。
……いや、待って。本当の婚約者なら、人前でなければこれもありだったりするのかもしれない。恋人同士なら、これくらいの距離感なんて当たり前なのかも。散歩しているとこれよりも近い距離で、キスしている人たちもいるくらいだし。
いやいや、落ち着きなさい、リディ。
エリクとは本当の婚約者でも恋人でもないのだから、この距離感、そして体勢は絶対おかしい。ギルティだ。
「なにも言わないってことは、これくらいはいいってことだね」
そう言ったエリクにぎょっとする。
よくない! 全然よくないから!
しかし、相変わらずわたしの声は出てくれない。
「じゃあ……これはどう?」
いつもよりも低く、艶のある声で囁くエリクの顔がドアップになる。
さらさらとした金色の髪がわたしの頬に当たってくすぐったい。
いつもは隠れている赤みの強い紫色の瞳がうっすらと見えて、鼻が当たりそうなくらいに近づく。
この状況がまったく理解できなくて、わたしはただ呆然とすることしかできない。
やめて、と拒むべきなのに、エリクの綺麗な瞳に吸い込まれるように視線を逸らせなくて、ドッドッと大きく鳴る自分の鼓動がやたらとうるさかった。
「……ねえ。拒否しないと、このままするよ」
なにを、なんて聞かなくてもわかる。さすがにそこまでバカでも、純真でもない。
わたしの唇に、エリクの吐息がかかる。
あと少し。
ほんの数ミリ動かせば、触れそうなところまでエリクが迫る。
だめなのに。
こんなこと、ただの幼馴染みや、友達がするようなことではないのに、わたしはエリクを拒めないでいるのが、不思議でたまらない。
どうして拒めないんだろう。
でも、きっとわたしは──。
「……お楽しみのところ、悪いんだけど」
突然聞こえた第三者の声に、まるで呪縛から逃れたかのようにエリクから顔を反らすことができた。
エリクがわたしの上から退いて、いつもの平静な声で「別に楽しんでいたわけじゃない」と答えた。
「ふうん……? ま、そういうことにしてあげるよ」
まだ、心臓の音が収まらない。
ぎゅっと胸のところを掴みなから起き上がると、メイドに扮したユーグがニヤニヤしながらわたしたちを見ていた。
その視線がすごく居心地悪くて、思わず顔を顰める。
「ボクは荷解きするから。ちょっとうるさいかもしれないけど、我慢してね」
そう言ってユーグは荷物を次々に持ってくる。
そしてテキパキと荷物から物を取り出していく。すごく慣れた手際のよさだ。前に言っていた潜入先で令嬢たちの支度を手伝っていた、というのは本当のことだったみたい。
「ユーグ、ぼくたちは王太子殿下から晩餐の招待受けたから、そのつもりで」
「了解。リディのドレスどうしよっかなぁ」
荷解きをしながら楽しそうにユーグは口ずさむ。
エリクからは先ほどの変な雰囲気はすっかり消えていて、内心ほっとする。
あれはもう懲り懲りだ。ユーグが来てくれて、本当に助かった。
わたしは先ほどエリクを拒めなかった理由を考えるのをやめ、ユーグの傍に行く。
「暇だから手伝うわ」
「いいよ、リディは今のうちにゆっくりしていて」
「……今のうち?」
不穏なユーグの台詞に、わたしは固まる。
ユーグはにっこりと笑う。
「晩餐に備えて、今のうちに体力温存してきなよ」
……晩餐会って、そんなに体力必要なものだっけ?
嫌な予感がしてきて、わたしはぶるぶると震える。
「ボクが全力でリディを綺麗にしてあげるからね!」
輝かしい笑顔を浮かべたユーグに対し、わたしは顔を青くした。
そんなわたしを、エリクは気の毒そうな顔をして見たけど、すぐに興味がなくなったのか、いつの間にやら取り出した本を読み始める。
この薄情者!
わたしは八つ当たりをするように、エリクを睨んだ。
〇●〇●〇●〇●〇●〇●
「いやあぁぁ! もう、むりぃ……!」
悲鳴をあげるわたしに、ユーグはにこりと笑う。
「これくらいで悲鳴あげてどうすんの? まだまだイケるでしょ?」
「むりっ、もう、本当に限界なのぉ……!」
「まだまだ限界なんかじゃないよ。さ、もう一回やるからね」
「いやぁっ!」
ぎゅうっとコルセットがさらに締められる。
無理っ! これ以上締められたら、出てはいけないものが口からは出るぅ!!
「リディの貧相な体を見せれるようにするために必要なんだから、頑張って?」
「ひ、ひど……ふっ、ぐぅ……!」
下着姿をユーグに見られるだけでも恥ずかしいのに、さらにコルセットをぎゅうぎゅうに締められて吐きそう。
こんなに可愛い女の子の見た目のユーグだけど、その力はやはり男の人のそれだった。
一人だけなのに、うちのメイドさんたちが総出で締めるのと変わらないくらいに締めてくる。いや、むしろそれよりもきつい。
「……こんなものかな」
お疲れさま、とユーグは笑顔を向ける。
わたしはもうお腹のきつさに疲労困憊だった。これではろくに食べられない。
「じゃあ、ドレスはこれで」
若干涙目を浮かべるわたしが目にしたのは、深緑色のドレスだった。
慣れた手つきでドレスを着せるユーグになされるがままにしていると、いつも間にか着付けも化粧もヘアメイクも終わっていた。
「うんうん、綺麗になった」
満足そうなユーグに言われるがままに鏡を覗くと、確かにいつもよりも綺麗なわたしがそこにいた。
相変わらずユーグの化粧の腕前は素晴らしい。
それはわかるんだけど、ちょっとお腹が苦しすぎてなにも考えられない……。こんな状態でわたし、晩餐会行っても大丈夫なのかな……。
もはや誰かに言われるがままに動く人形と化したわたしは、先に着替えて待っていたエリクのところに行き、エリクの言われたとおりに動いた。
気づいた時には目の前に料理が並んでいて、いざ食べようとしても、わたしを蝕むコルセットのせいで、少ししか喉に通らない。
悔しい……こんなに美味しいのに……!
もはや、わたしの頭の中には「悔しい」と「苦しい」の二文字でいっぱいで、なにか話しかけられてもにこりと微笑むだけで精一杯だった。
ある意味、エリクの計画通りになったといえる。
わたしに話しかけられたことは、隣に座るエリクが如才なく答えてくれた。
さすがといえばいいのか、どうなのか悩みどころだ。
そんなこんなで、わたしの晩餐会の後半は記憶が飛んでいた。その晩餐会に誰がいたのかすら覚えいない有様だ。
たぶん、国王さま、王妃さま、王太子さまはいたような気がするけれど……。
うん、次からはユーグにコルセットをもう少し緩めてもらおう。この有様では失礼なことをしかねない。
そんな決意を固めて部屋に戻り、寝支度を整えてさあ寝るぞ、という段階でわたしは再び固まった。
……あれ。ベッドが一つしかない……。




