第三曲 碧いギター
--ハァハァ……
--ゼェゼェ……
目的地に着くと僕は疲れてヘトヘトになり、手を両ひざについて前屈みになって肩で息を切らせた。もう心臓が口から飛び出すかってくらいドキドキしている。
家の門の手前で、深呼吸。
そして、いよいよ呼び鈴を押そうとしたところ、後ろから声を掛けられた。
「弥勒寺様……? 一体、どうなされたのですか?」
「蓮花さん……」
「お無事なようで何よりです……お友達が心配されていましたよ?」
「はい。認識しています。ごめんなさい……」
そう。ここは、祥の家の前。もっと正確に言うなら祥の家の門の前だ。蓮花さんは、ちょうど外出から戻ってきたみたいで、これはラッキーなのかなあ……ともあれ、蓮花さんが外出しているタイミングでなくて良かった。
「ともかく、中にお入りください」
「はい、すみません……」
蓮花さんは、僕の前に立ち、家の門を開けた。そこには前に来た時と同じように広い庭園が見えた。いや、前は夜だったな。洋館がライトアップされていたのだっけ。そう言う意味では若干状況は違うのか。
蓮花さんは無言で僕の前をスタスタと歩いて行く。……ヤバい。無言って、急に押しかけて怒っているのかな。アポを取らずに突然押しかけてしまったのは流石にマズかったか。
庭には季節の花が所狭しと植えられている。夜来た時は、暗くてあまりわからなかったけれど、この庭は蓮花さんが手入れをしているのだろうか。植物たちは、色とりどり、とても綺麗に植えられていて、まるで植物園のようだ。
--ギィィー
少し歩いて玄関に到着すると、蓮花さんは大きくて重そうな両扉を開けた。
「大奥様! 弥勒寺様がおいでになりました」
「……翔さんっ?!」
奥の方から祥のお婆さんの驚く声が聞こえた。そしてゆっくりと、でも焦っているかのように、杖をついて僕の方に近づいてくる。
「突然すみません……!」
僕は恐縮して、お婆さんに深々とお辞儀をした。そんな姿を見てお婆さんは涙ながらに首を左右に振る。
「いえいえ……お待ちしておりましたよ。祥も待っているから、早くお入りなさいな」
「あ、はい」
お婆さんの言葉を聞くや否や、蓮花さんが祥の居る部屋まで先導してくれた。いや、厳密には言葉を聞く前に行動を起こしていたから、お婆さんの言動を先読みしていたのだろう。
--その部屋に入ると、祭壇の上に十字架マークの骨壺、隣に祥の写真が飾られていた。それは照れくさそうに笑う祥らしい写真だった。
「祥……」
やはり、祥は死んでしまったのだ……
頭ではわかっているつもりでも、中々受け入れることが出来ない。でも、それでは前に進めないこともわかっている。
--受け入れたくない現実
祥の写真の隣には、祥がメインで使っていた碧いギターが、ギタースタンドに立て掛けられていた。
「…………」
僕は、無言でギターを優しく撫でる。あの時、祥の頭を撫でた時の様に。そうすることで、祥が喜んでくれるのでは無いかと思ったんだ。
「翔さん……そのギター貰ってやってくださいな」
「え……?」
「翔さんが貰ってくれたら、祥も喜びますよ……」
「いいですいいです! 僕はベースしか弾けないし、ギターを貰っても無駄にしかなりませんよ! 宝の持ち腐れです……!」
お婆さんの意外な提案に、僕は慌てて、ぶんぶんと思い切り手と首を振り断る仕草を見せた。祥のギターを受け継ぐのは、それなりのテクニックを持ったギターリスト、ミュージシャンであるべきだ。
ベースを始めてから数か月の僕が受け取るなんて勿体ない話だ。
『灯滅せんとして光を増す……』
「……え? とうめっせんと……?」
蓮花さんが、いきなり慣用句のような言葉を発した。お婆さんの言葉をフォローしたのかもしれないけれど、僕には蓮花さんが何を言っているのか全くわからなかった。
蓮花さんは言葉を繰り返す。
「灯滅せんとして光を増す……灯が消えようとするとき、その直前、光は輝きを増します。それは死に際も同じケースがあるようです。きっと祥さまは、死に際の一瞬の輝きを全て弥勒寺様に託したのではないでしょうか……」
「死に際の一瞬の輝き……」
「ええ……私には、そう思えてなりません。ですから、それだけ大事な存在の弥勒寺様にギターを受け取って頂く、弥勒寺様の手元に置いて頂く……弥勒寺様にギターを受け取って頂けたら、きっと祥さまはお喜びになると存じます」
蓮花さんの言葉を聞いて、目線をお婆さんの方に移すと、お婆さんは涙ながらに『うんうん』と頷いていた。
それでも僕が悩んでいる様子をみて、更に蓮花さんは言葉を重ねる。
「それに……あの時、祥さまは元気そうに振舞っていらっしゃいましたが、実際は途轍もない痛み、苦しみがあったのでは無いでしょうか」
「そ、そんな……」
「それでも、弥勒寺様と最期の時を過ごしたいが為に、尋常ではないくらいの無理をなさっていたことは間違いないでしょう……」
「祥……」
伏し目がちに語る蓮花さんだったけれど、その言葉には説得力があった。確かにもし、あの時、祥が苦しそうにしていたら、僕はその場を蓮花さんや、看護師さんに譲っていたことだろう。
祥は、そんな僕の性格を見越した上で、あの自然な振る舞いを見せたのだろうか……そう思うだけで、僕は溜まらなくなり涙が止まらなかった。
だって、痛いのに……苦しいのに、祥は笑って……笑って……
なんでだよ!
死ぬ直前まで無理するなよ!
『愛友』の僕に気を使うなよ!
「祥さまは満足だったと思います。弥勒寺様の胸で逝くことができたのですから……祥さまの死に顔を見れば一目瞭然ですよ……」
相変わらず凛と姿勢良い立ち姿の蓮花さんだったけれど、その頬には一筋の涙が流れていた。流石の蓮花さんも感情が抑えきれなくなってしまったようだ。
そんな蓮花さんの言葉を受け止めて、僕はお婆さんの方に向き直った。
「お婆さん……お願いがあります」
お婆さんはハンカチで涙を押さえながら、僕の方を見た。悲しみで言葉を発することが出来ない状況のようだった。
僕はお婆さんの気持ちを汲んで、ゴクリと唾を飲み込み、意を決して言葉を続けた。
「お婆さん、この祥のギターを僕にください」
「あ、ありがとうね……祥も喜ぶわ……」
再び泣き崩れるお婆さんの肩に手を置き『良かったですね』と声をかける蓮花さん。
僕がギターを受け取ることで、ここまで喜んでくれるなんて覚悟を決めて良かったと心から思った。
そして僕はポケットからスマホを取り出し電話を掛ける。
『あ、もしもし翔だけど。……うん。もう大丈夫だよ。心配かけてごめん。急で悪いのだけれどスタジオを取ってもらえないかな。あと、メンバーも集めて欲しい』
僕は相手に一通りお願いをして電話を切った。




