第二曲 持っているもの、持っていないもの
急に現れた打戻は悪びれもせずに、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて話を続けた。
「それにしても、随分と長い間引きこもっていたみたいだな。お前の取り巻き……『ハーレムガールズ』が心配してたぜ?」
「……いいから早く要件をすませてくれよ」
ハーレムガールズ……誰だよそれ。きっと玲子、直美、理津美のことを言っているのかもしれないけれど、彼女たちとは、そんな関係ではない。決して。奴らからバカにはされているけれど、好かれているなんてことは決してない。
僕は、飄々《ひょうひょう》とした打戻の姿に苛立ちを隠そうともせずに話の続きを促した。
「そんなに急かすなよ?」
悪びれもせずに僕のことを窘める打戻の態度は、人を小ばかにしたような姿で余計に僕の感情を逆立てる。
「言わないんだったら帰るぞ」
「ったく……お前、そんなに気が短かったっけ? しょうがねえなあ……あれは……俺と高倉が会った、あの日。そう、ヤツと会ったのは全くの偶然だった。俺はスタジオに行く途中だったし、高倉は……何をしていたんだろうな」
「で、何か話したの……?」
「話したと言うほどのことでもないけどな。『お前らのライブは、まだまだだ、ブリドリも堕ちたもんだ』ってことを高倉に言ってやった。この言葉に嘘はなかったし正直な気持ちだ」
「はあっ?! ワザワザそんなことを僕に伝えに来たのかよっ! バカバカしい。帰る!」
全く……! なんて奴だ。僕に嫌味を言うだけのために、わざわざ家まで出向いてきたのか。性格が悪いにも程がある。こんなヤツと一秒たりとも一緒に居たくない。
「まあまあ……話は最後まで聞けよ。弟くん」
「……!! やめろ!」
打戻から『弟』と呼ばれて身の毛がよだった。体中の鳥肌がたって拒絶反応を起こしている。なんでこんなヤツから『弟』なんて呼ばれなきゃならないんだ。
「フフフッ……悪かったな。けれど、高倉は俺からの挑発に乗らず、しゃあしゃあと言いやがったんだ。『まあ……そうかもな』って」
「……え? どう言うこと……?」
打戻の話が本当ならば、祥はブリドリの音楽性について方針転換をしてから『レベルが落ちた』ってことを認めたことになってしまう。だとしたら、かなりショックなことだ。
「正直、俺も自分の耳を疑った。当然、言い返されると思っていたのに、まさか賛同されるとは、な」
「…………」
「だが、こうも言っていた。『新しいことにチャレンジするんだから、一瞬のレベル低下は想定内。最初から上手く行くなんて思っていない』ってな」
「一瞬のレベル低下は想定内……」
祥らしい言い分だ……彼の心情としては『失敗するからこそ、人は成長する』と言うのが根本としてあるから、バンドのスタイルを変更して暫くは『レベル低下も止む無し』と考えていたのかもしれない。
それにしても『打戻からの憎たらしい挑発』に対しても、冷静沈着に対応することが出来るなんて、改めて凄いヤツだと思う。
「そう。あっさり認めやがった。憎たらしいほどに、あっさりと……な」
「キミが憎たらしいと思うんだから、相当なもんだな」
「まあな」
「それで? 話はそれだけでは無いのだろ……?」
確かに、祥自身がブリドリのレベル低下を認めたことに、ちょっぴり驚いたけれど、言われてみれば納得がいく。しかも、むしろこれからレベルを上げることにテンションを上げている祥の様子が目に浮かぶ。
「それで……ヤツはこうも言いやがったんだ。『お前、本当はヘヴィメタルなんてやりたくないんだろ?』ってな」
「ええっ?!」
「俺も驚いたし、怒った。何を根拠に、そんなことを言っているのか、と。」
「ああ……そうか……」
これに関しては、打戻に同情する。自分のバンドのことを貶されているのと変わらないもんな。僕だって、もし『ブリドリなんてやりたくないんだろ?』なんて言われたら怒りに震えることだろう。
「怒る俺のことを高倉は窘めたんだ。そう、今、俺がお前に対してやっているように……」
「…………」
「それで、ヤツは言いやがったんだ。『打戻が今ヘヴィメタルをやっているのは、ブリドリと正反対のことをやるため、だろ?』と。」
「!!!!」
そうだ。
最初、打戻はブリドリのベーシストになりたくて立候補したのだった。それで、祥からブリドリ入りを断られた経緯があった。それ以降、打戻はブリドリのことを憎んでいることは周知の事実だ。
そして、今、ブリドリのベーシストとなった僕に対して、打戻は敵意を剥き出しいしている……はずだ。
「高倉の決めつけに俺は怒った。だけれど、ヤツは言いやがった『ブリドリと真逆のバンドを組むことで俺たちのことを見返そうとしたんだろ? しかも今となっては人気バンド、スパイラルスネークのバンマス……見上げたものだ。生半可な気持ちじゃできないよな』ったく……全てお見通しって訳だ」
打戻はやれやれ……という感じで両手を横に広げた。だけれど、打戻の話はそれで終わらなかった。
「で、ヤツは続けて言ったんだ。『打戻さあ……そろそろ素直になれよ。見た目の派手さに捕らわれないで、やりたいことをやったらどうだ?』と。これには正直驚いたし、あの時の俺では高倉の言葉を素直に受け止めることができなかった」
「打戻のやりたいこと……何?」
僕には到底思い浮かばなかった。ヘヴィメタルで五弦ベース。テクニックもそれなり……だと思うし、彼にとってのやりたいことを、今現在、やっている訳ではないのか?
「今、俺がヘヴィメタをやっているのは、ブリドリへの当て付け……復讐で、本当のやりたいこととは違った。ただそれだけさ」
「復讐……」
「それから『俺たちブリドリのライブを見たならわかっただろ? 弟の秘めた可能性が』と、俺を試すようなことを言いやがった」
「可能性……?」
あのデビューライブで僕はミスをしているし、可能性を見出すところなんて何もなかったと思うのだけれど、打戻の言い方からすると心当たりがあるのだろうか。
前に祥から『リズム感と周りを魅了する能力』を誉められたのだけれど、そのことだろうか。まあ、このことが仮に当たっていたとしても、とても自分からは、とても恥ずかしくて言えるものではない。
「まあ……それについては、おいおい…な。後、俺からお前に『ベースを教えてやってくれ』とも言われたぜ。当然、冗談じゃねえって突っぱねたけどな」
「当り前だ! 僕だってキミからベースを教わるなんて冗談じゃない!」
僕の反応を見て打戻は笑いながら言う。
「……だろ? ただ、『弟が打戻に持っていないものを持っているのと同時に、弟が持っていないものを打戻が持っている。だから共有して欲しい』とも言っていた」
「……え?」
「だよな。俺も高倉に同じ反応をした。表現は遠回しだったが、高倉から誉められたのは初めてだったからな」
「うーん……」
まあ、テクニックでは、僕が打戻に遠く及ばないのは火を見るよりも明らかだ。けれど、祥が、そんなわかりきったことを打戻に言うだろうか。
祥のことだ。きっと他にも理由があるのかもしれない。
「高倉からの言葉を聞いたら、何か今までいがみ合っていたのがバカらしくなっちまってな。不思議なヤツだぜ」
複雑そうな表情の打戻だったけれど、でも照れ臭そうに笑ったのだ。ブリドリへの憎しみが全てクリアになったかのように。
--認めて欲しかったんだ。
打戻はブリドリから認めて欲しかったのだ。だから、ブリドリからバンド参入を断られてから、ずっと反抗的な態度で祥たちに接していた。
……けれど、祥から、『僕には持っていないモノを打戻が持っている』と、評価されたことによって反抗の呪縛から解かれたと言う訳だ。
「そりゃあ……僕よりキミの方が経験が長いし、僕に持っていないものなんてたくさんあるだろう……?」
「そんなことないぜ。俺なんて見た目だけの付け焼刃でベースを弾いているようなものだ」
「謙遜しないでよ。気持ち悪いなあ……」
「ははっ! お前と冗談が言い合えるようになるなんて思ってもみなかったな」
「確かに……」
感慨深げに呟く打戻。
とは言え、僕も全くの同意見だ。まあ、今も壁を作っているところもあるのだけれど。でも、今、ここで話す前よりは格段と距離が近くなっているように感じる。
「それで『何も直接教えろなんて思っていない。ただ、ベースを弾いている姿を見せてやってくれたらそれでいい。それで十分だ』ってね」
「ベースを弾いている姿……」
「そう、それでブリドリ+α分、スパイラルスネークのライブチケットを大盤振る舞いした訳だ」
「そいつはどうも」
僕は嫌味ったらしく打戻に礼を言った。僕たちがライブ会場で、どんな状況だったのかを教えてやりたい衝動に駆られたが、ここで揉めるのも面倒なのでやめておこう……
直美なんてもう勢いに押されて言葉を失っていたくらいだ。『ほへえ』しか言葉がでなかったものな。
--でも。
でも、言われてみれば、僕には無いものが、打戻のステージにはあったような気がする。
確かに。そうだ……
--僕にはないもの。
--そして、僕に必要なもの。
--!!!!
「ごめん! ちょっと用を思い出した!」
僕は不躾つけに打戻へ叫び、身体を反転し走り出した。
「へへっ! 問題ない。俺の気持ちはお前に伝わったみたいだから、用は済んでるぜ!」
背中越しに打戻の声が聞こえた。
まったく、もっとわかりやすく言ってくれたら良いのに。
まあ……
それが打戻なのかもしれないな。
--ハァ……ハァ……
僕は一秒でも早く目的に着くように、これまでに無いくらい全力で走った。




