第七曲 蓮花さんからの報告
使用人の蓮花さんが、背筋を伸ばし僕の目を見て、義務的に、そして静かに語り掛ける。
「弥勒寺様にご報告なのですが……」
「はい」
「事故の目撃者の情報ですと、祥さまは意識が朦朧としている中で、『弥勒寺様の名前を繰り返し呼んでいた』とのことです」
「!!」
なんてことだ……!
祥が、祥が、僕の名前を……繰り返し……呼んでいたなんて……僕は、僕はそこに居たかった。祥の近くに居たかった。いや、祥の近くに『居るべき』だった。
--いや、それも違う、
『祥を、僕の家まで送らせるべきではなかった』
無理矢理にでも、僕から祥のことを引きはがして、真っすぐ祥の家まで帰らせるべきだった。あの時は手を引っ張って家まで送ってくれた祥のことを、正直、嬉しく思っていた。
だけれど、僕を送ってくれた、その時間が無ければ、タイミングがずれていたら、祥は道路に飛び出した子供に出会うことは無かったし、事故にも合うことはなかった。あの時の僕は何て迂闊だったのだろうか。
悔やんでも悔やみきれない。
--僕のせいだ
--僕のせいだ
--僕のせいだ
今、祥が緊急手術室に居るのは僕のせいだ。僕のワガママで祥は事故にあってしまったのだ。緊急手術を受けなければならないことになったのだ……
僕が祥を、
--傷つけた
バンドに入らなければ、ブリドリのメンバーにならなければ、僕が居なければ……
決して、祥のことを傷つけることは無かった。
ワナワナと全身が震えているのが自分でもわかる。自分の意志とは別に涙が次から次へと頬を伝わっては落ちる。
「翔ちゃん……。泣くのは、まだ早いよ! むしろ、その涙は無駄になるんじゃない?」
「……そっか、そうだよね」
姉さんから優しく肩を支えられて、ほんのちょっぴり落ち着けたような気もする。
姉さんの言っていた『むしろ、その涙は無駄になる』の意図は、『結果、祥は助かるから、悲しみの涙を流すを流す必要はない』と言いたかったのだろう。
僕は気を取り直して、傍に立つ蓮花さんに電話の内容を聞いてみた。
「蓮花さん! 犯人は、犯人は捕まったのですか?!」
「いえ、祥さまを轢いたトラックは、そのまま逃げてしまったようです……」
「ええっ?!」
「……が、車種や車のナンバーの目撃情報もあり、防犯カメラの映像も併せ捕まるのも時間の問題と思われます」
蓮花さんは淡々と状況、自己分析の結果を説明する。この短時間の通話で警察から事細かに状況をヒアリングができているようだった。警察の立場からしてみれば、むしろ蓮花さんから事情聴取、取り調べを受けている気分になったのではないだろうか。
だけれど、蓮花さんが事細かに警察にヒアリングしてくれたお陰で、ある程度、事故の状況が掴めた。ただ、祥自身の容態は、全く予断を許さない状況なのは、依然として変わらない。
--ガチャリ!
思い切り大きい音をたてて待合室のドアが開くと、ブリドリ、シュトルツのメンバーが飛び込んできた。
「翔ちゃん! 何があったの?!」
「翔ちゃーん! 翔ちゃああん!」
「翔ちゃん! 状況を教えて!」
「祥が事故にあったって本当なのか?!」
「祥は、大丈夫か?!」
「翔ちゃん……大丈夫? あ、香先輩……」
メンバーが、それぞれ慌てふためいた状況で、各々が僕に問いただす。僕が、ちょっぴり平常心を取り戻したとは言っても、同時に複数の質問に答えられるほど、僕の心に余裕は無かった。
「ちょ、ちょっと待って……」
「あ、ごめん……」
皆から一斉に詰め寄られた僕の心を読み取ったのか、メンバー達は僕から少し距離を取った。
「私、高倉家の使用人をさせて頂いております『立石蓮花』と申します。本件、私から説明させて頂きます……まず、状況ですが……」
蓮花さんは、スッと僕の横から割って入り、身振り手振りで淡々と説明を始めた。蓮花さんの手際の良さに、最初、メンバーたちも面喰ってはいたが、説明を受けるに連れて、ウンウンと真面目な顔で頷き状況の把握に努めた。
蓮花さんの応対は、周りを平常心へと導く効果があるみたいだ。この状況の中にいても冷静沈着に動ける蓮花さんの行動を見ていると、『ここで僕だけが動揺している訳にはいかないんだ』と、自制心を取り戻す。言わば、彼女の存在は精神安定剤の効用があるのかな。
--ガチャ! ガチャガチャガチャ!
待合室の外、手術室の方から音が聞こえる。どうやら、手術が終わり祥の乗せられているベッド……ストレッチャーが運び出されているようだ。僕を含めた皆が慌てて待合室のドアに向かおうとすると、蓮花さんが先に出て僕らの行く先を制した。
「失礼します。皆さんはここでお待ちください」
蓮花さんは足早に待合室のドアを開けて、手術室の方に向かった。確かに皆が一斉に手術室に向かって、場を混乱させるよりも、蓮花さん一人が確実に状況を把握してくれた方が良いだろう。
「祥くん大丈夫かなあ……」
蓮花さんが出て行った後、直美がぽつりと呟いた。みんなも口に出さないだけで同じ気持ちに違いない。
「祥のことだ。大丈夫に決まってる。ブリドリの祥は不死身だぜっ!」
ボーカル拓人は、直美に……自分に言い聞かせるように何回も頷きながら呟いた。うん、大丈夫だ。あの無敵で完璧人間の祥のことだ。大丈夫じゃない訳がない。
「そうだよ! 三ヶ月後のライブを誰よりも楽しみにしているのは祥くんだよね。きっと、彼は復活して、すぐに元気な姿を私たちにみせてくれるよ!」
今度は弘子さんが皆に向けて笑顔を振りまいた。だけれど、うるうると潤んだ彼女の瞳を見ると、泣くことを必死に我慢しているようにも見えた。
……いや、僕も人のこと言えないな。もう涙を抑えることが精一杯で、他のメンバーを気づかう余裕が全くない。
「どうしよう……祥くんが居なくなったら……どうしよう……」
理津美が珍しくネガティブ思考になっているようだ……と言うか、今までも脳内ではネガティブなことを考えていたのかもしれないけれど、決して口はしなかった。
だけれど、この状況から言って、そんな堅実強固な理津美が弱音を吐くのも無理ないか……
「こらこら! りっちゃん! シュトルツのバンマスが今からそんな顔してたら、祥くんに怒られるぞ!」
「そ、そうだよね。ひろぽん……ごめんね」
「そうそう! こういう時こそ、祥くんを信じて笑顔にならなきゃ!」
弘子さんも泣きたいだろうに、メンバー最年長の立場もあってか、皆のことをフォローする役割に回ってくれている。祥……ブリドリ大黒柱の大ピンチ、動揺しない方がおかしい。
--コンコンコンコン
--カチャリ
「失礼します」
待合室のドアがノックされて、すぐに蓮花さんが入室した。結果がわかったのだろうか。依然として蓮花さんは無表情だ。表情から祥の手術結果を、僕は読み取ることはできなかった。
「祥さまの容体ですが……」
蓮花さんは落ち着き払った表情で、泣きもせず、笑いもせず、淡々と主治医からの報告結果を僕らに連携した。




