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第五曲 姉さんの気持ち


 --ただいま


 祥と暫く公園で話した後、『女じゃないし、いいよ!』と嫌がる僕を、祥は半ば強引に手を引っ張り家まで送った。


 --少しでも一緒に居たいんだよ


 祥は、まるで乙女になったかような言葉を僕に投げかけた。僕は、ほんのちょっぴり複雑な気持ちになる。だって……実際のところ僕も気持ちは一緒なのだから。


 それにしても今日の祥は弱々だったな。強くて前しか向いていないはがねのような印象しかなかったけれど、やはり祥も人間だったと言うことか。まあ、たまには弱みを見せてもらわないと、僕も心から彼に頼ることができない。そう言う意味では、今日は貴重な一日だったとも思う。



『おかえりかけるたん!』



 家の階段を上り切ったところで、姉さんが飛びついてギュッと僕のことを抱きしめた。思わず僕の身体がよろめいて、階段から落ちそうになる。


「ちょっとーっ! 危ないって!!」


「あははっ! ごめんごめん。うっかり私の翔ちゃんへの愛情があふれかえってしまったよ」


 怒る僕を軽くあしらって、上機嫌に笑う姉さんに言い返す気力も無く部屋に入る。マジで顔を合わすたびにベタベタ絡んでくるのやめて欲しいな。本当、早く男を作って僕のことを解放して欲しい。


 --ガチャ!


カバンとベースを置いて部屋着に着替えていると、突然、勢いよくドアが開いた。まあ……これも日常茶飯事なことで、すっかり慣れてしまったとは言え……


「ノックくらいしろよな!」


「えへへ。ノックなんてしたら、着替え終わっちゃうじゃないかあ」


「やめろっ!」


「ほらほら、服脱いだらベットに横になりなよ。お姉さんがマッサージしてあげるよ~」


「出ていけ!」


 --バタンッ!


 僕は姉さんの身体を押して、部屋から追い出しドアを思い切り閉めた。まったく……セクハラやめてほしいな。ドアに鍵をつけてもらう様に母さんに相談してみようかなと本気で思う。


 また姉さんが覗きに来ると嫌なので急いで部屋着に着替える。男……それも弟の着替えを覗いて何が楽しいのだろうか。理解に苦しむ。


 --ガチャ!


「翔ちゃん……着替え終わったー?」


「だからノックしろっての!」


 ドアを半開きにした隙間から、ひょこっと顔を出す姉さん……焦る僕を見て手を口に当ててニヤニヤと悪戯いたずらに微笑む。


「あれれー? いきなり入られると困ることでもするのかなあ……翔ちゃんのえっちー! あ、もし『アレ』するんだったら、お姉ちゃん呼んで! 協力するよー」


「そんなことしねーよ! って、アレって何だよ! 弘子さんに言いつけるぞ!」


「……は?! そんなことしたら、どうなるかわかってるよね? 翔ちゃん……犯すよ?」


「!!!!」


 弘子さんの名前を出したとたんに、姉さんの表情がガラッと変わり凍り付いた視線を受ける。ヤバい……これ、マジなやつだ。本気で姉さんから犯されるヤツだ!


「なーんて、うそうそ翔ちゃん! でも、弘ちゃんには内緒だぞーっ?! えいっ!」


 と、思ったのも束の間、姉さんの表情が再びガラッと、いつもの小悪魔的な笑顔に戻る。姉さんは冗談交じりに腰に手を当てて僕の鼻を人差し指で突っついた。


 ここら辺は僕よりも大人なところなのかな。


「や、やめろ!」


 でも。いつまでも僕のことを子ども扱いしてくるのは勘弁して欲しい。もう僕は高校生で大人の一歩手前なんだ。たぶんだけど……


「でも、翔ちゃんはバンドで皆と仲良くやっているみたいで安心したよー」


「そう……?」


「あの友達が居なかった『コミュ障暗黒時代』の翔ちゃんを知っているお姉ちゃんとしては嬉しい限りだよ。でも翔ちゃんが遠くに行ってしまう様な気がして少し寂しいかな」


「『友達が居なかった』は余計だろ。そんなことねえよ。僕は、今でも、これからも僕のままだよ」


 僕の反応を見て嬉しそうにニッコリと微笑む姉さん。なんだかんだ言っても僕のことを心から心配してくれているのだなと思うと少し嬉しい。いつもベタベタしてくるのは姉さんなりの照れ隠しなのかもしれない。


 姉さんは学校で『アイスドール』と言われているくらい外では冷たい印象がある人らしいけれど、僕にだけ本当の姉さんを見せてくれているのかなと思うと嫌な気はしない。


 あ、そうだ。ちょっと『あのこと』について姉さんに相談してみるか。


かおりちゃん……ちょっと相談していい……?」


「え? 珍しいね。いいよ! 翔ちゃんの純潔じゅんけつだったら、いつでも貰ってあげるよ」


「ち、ちがうよ!」


「なんだーつまらなーい……じゃあ何よ?」


 つまらないって何だよ。もし本当に、その相談だったら受け入れるのかよ! 少し気を抜くとスグに下ネタぶち込んでくるんだもんな。さっき思ったこと取り消そうかな。


 僕は姉さんの言葉に少し呆れたけれど、何とか気を取り戻して話を進めた。


「あのさあ……もし僕が『アメリカに行きたい』って言ったらどうする?」


「ああ……そんなことか。私もアメリカ行きたいから春休みくらいに連れて行ってあげるよ。姉弟水入らずの旅行なんて素敵じゃない? 一緒にお風呂で洗いっことかしちゃってさあ……」


 姉さんは天を仰いで夢うつつに呟いた。頭の中は、もうすっかりアメリカ旅行に向かっているらしい。これは僕の言った表現が悪かったな。お風呂のくだりはスルーするとして、今、僕が『アメリカに行きたい』と言われたら誰だって旅行だと思うだろう。


 と、言うことで僕は、もう少しだけ表現を付け加えた。


「い、いや違うよ。高校を卒業したら『アメリカで生活したい』って言ったらどうする? ってこと」


「ああ、なーんだ。そう言うことかあ! …………って、ええーーっ?! 翔ちゃんがアメリカで生活したいって、だめっ! ダメダメダメ!! 絶対ダメぇーーっ!」


 姉さんは腕をバツにして僕に押し付け、力一杯思い切り反対した。予想していたことではあるが、まあ家族の反応としては当然なところだと思う。僕がもし、姉さんから『アメリカ行き』を言い渡されたら少なからず複雑な思いをすることだろう……


 あ、でもセクハラから逃れられると思えば強ち反対でもないかな。


「そうなるよね……まあ、まだ誘われている段階だし、僕としても迷っているところではあるし。うん」


「え? 誘われてるって、誰から……?」


「……祥だよ」


「ああ、あのイケメンギターくんかあ……確かに彼だったら卒業してからアメリカに行くと言っても不思議ではないか。でも翔ちゃんはダメ! もしどうしても行くと言うのなら私の純潔を奪ってから行って!」


 さらっと自然の流れの様にカミングアウトされたような気がするけれど、ここは僕の幸せのためにスルーしておこう。


 姉さんの純潔は置いておいて、結論を出すまでには、まだ時間があるし、じっくりゆっくり考えよう。



 --テケトコ、タカトコトットン



 スマホから着信音が鳴った。

 画面を見ると『高倉 祥』の表示だった。祥からとか。別れてから一時間もたっていないのに何か連絡でもあるのかな。ここまで一途だと面白いな。


 僕は姉さんに『ごめん、祥から』と断ってから電話にでる。姉さんから『ひゅーひゅー』と冷やかされる意味がわからない。



「どうした……祥?」


弥勒寺みろくじかけるさんのお電話でよろしいでしょうか。わたくし……』


 電話に出ると、『祥以外の女性の声』が受話口から聞こえる。聞き覚えのある声……誰だ?


「はい……はい……えっ?! わかりました。すぐに行きます!」



 --ガチャリ



 僕は電話を切ると、慌てて着たばかりの部屋着を脱ぎ捨て、制服に着替えた。



「翔ちゃん! 一体、慌ててどうしたの?!」



 姉さんは、有り得ない程の僕の慌てっぷりを見て目を丸くする。それほどに僕の心は平常心ではなかった。いや、平常心でいられる訳がない。この時、僕の目には姉さんの姿が映らなかった。声が聞こえていなかった。


「翔ちゃん! 翔ちゃんったら!」

 

 姉さんから両肩を揺さぶられて、ハッと正気に戻る。姉さんの目は、うるうると涙目になっていて、今にも泣きそうだ。


 そんな姉さんの姿を見て、僕はほんの少しだけ自分を取り戻した。……そして姉さんに簡潔に一言だけつぶやいた。



『祥が交通事故で病院に運ばれた』


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