第七曲 ライバルと姉さん
ライブが大盛況に終わり、祥の号令で簡単な『打ち上げ』をしようと言うことになった。
もちろん、ライブ前から打ち上げのことは話題に上がっていたのだ。けれど、僕のブリドリ参入から一か月の間にドタバタとメンバー増員、英語歌詞から日本語歌詞へ楽曲方針変更等々があったこともあって、打ち上げ計画の優先度が下がり詳細は決まっていなかったのだ。
それにしてもライブが、ここまで良く形になったものだ。一か月前は無理だと思っていたけれど、努力次第で何とかなるものだと実感した。僕は、この一か月間で別人になってしまったのかと思うくらい成長したと思う。こんな前向きな考えの自分……全ては祥と出会ったお陰であることは言うまでも無い。
……と。
「「おいっ!」」
後ろから、僕たちを呼ぶ『どす黒い声』がした。恐々と振り向くと、そこには最近見た顔の男が不機嫌そうに立っていた。
「お前、勘違いするなよ? 俺の方が数段テクニックは上だからな!」
打戻和也……だ。
ライブ前に僕たちに因縁をつけてきた男だ。ブリドリのベーシストに立候補して祥に断られたことを、ずっと根に持っているらしい。
僕のテクニックが未熟なことなんて言われなくてもわかっているさ。メンバーの皆が居たからこそライブで演奏することが出来たことくらい自覚している。
僕が言い返そうと口を開くと隣に居た祥が、サッと前に出て、僕のことをかばう様に打戻に対して冷静に、そしてキッパリと言い切った。
「ああ、『現時点』では、そりゃ君の方が経験年数も長いし弟よりテクニックは上だろう。だけれど、弟は君の持っていないものを持っているんだ。それが自分でわかっていて言っているんだろ……?」
「俺をメンバーに入れなかったことを後悔させてやる」
打戻は、悔しそうに捨て台詞を吐き捨てて去って行った。『後悔させてやる』彼の言葉が、果たして本当に悔しまぎれの捨て台詞なのか今の僕にはわからない。ただ僕は、打戻の言葉が本当にならないように努力するだけだ。
けれど、僕自身、祥の言っていた『打戻が持っていないもの』と言うことに全く心当たりが無いのだ。ベースを初めて一か月の僕に、打戻より勝っているものがあるのだろうか。
「打戻の持っていないものを僕が持っているって何をさ?」
「な、い、しょ!」
「きもっ!」
祥は右手の人差し指を前に出して、前後にチョンチョンと動かした。何キャラなのか分からないな。
祥に突っ込むまもなく、僕らを呼ぶ女性の声が後ろから聞こえた。
『かけるーっ! ひろちゃーんっ!』
うわっ!!
この声は言わずと知れた……
「香先輩っ!!」
ですよね。僕の姉さん……絶対ライブに来るって言ってたしな。出来れば会わずに済ませたかったのだけれど、『ブラコン姉』の性格上、逃げられることはないだろう。
弘子さんも姉さんと久しぶりに会うことができて喜んでいるみたいだし仕方ないか。それを証拠に姉さんと弘子さんは抱き合って再会を喜んだ。
「ウチの愚弟が、いつも迷惑を掛けてすみません」
姉さんは、皆に対して行儀よくお辞儀をした。家でのブラコン姉っぷりからは想像できないくらいの完璧な『上品姉』を演じている。いやいや、猫を何匹かぶっているんだこの人は……?
「こ、この綺麗系女子さまさまが、弟くんのお姉さまっ?! まじかあああっ!」
拓人が頭を抱えて暴れまくっている。いやいや、これは『世を忍ぶ仮の姿』で、家ではとんでもないんだって! むしろ『逆セクハラ大魔王』なんだってば。
拓人に対して悲哀の目を向けている僕に対して、姉さんは目で『バラしたらどうなるかわかってるよね?』とアイコンタクトを送ってくる。
「…………」
姉弟関係があるからこそわかるアイコンタクト……辛すぎる。むしろわからない方がどれだけ幸せだっただろう。
「香先輩! お久しぶりです! まさか翔ちゃんのお姉さまだったなんて。運命を感じちゃいますよ~」
「そうだねー。私も運命感じちゃうよ! ひろちゃんのことを翔から聞いたときは驚いたもん。ものすごい確率だよね」
「……ん? 翔ちゃんって、本名読みが『かける』なの? それともあだ名?」
このタイミングで弘子さんからの素朴な疑問……そうだな。弘子さんの前では本名で呼ばれたことないし、知らなくても当然か。
「あだ名は『しょう』の方ですよ。本名は姉の呼んでいる『かける』です」
「ああ! そうなんだ? 新発見だ!」
弘子さんは手をポンッと叩いて納得した様子だ。まあ、本名がわかったところで呼び方は変わらないと思うけれど。
「翔ちゃん? みんなに迷惑かけてない?」
「迷惑なんて掛けてないよ! いや、かけてるか……」
『外向け姉』の家では見たことの無い丁寧な言葉使いに違和感を感じたこともあって、素直に答えたくなかった。むしろ、完全否定したかった……けれど、ライブでのミスをフォローしてもらった手前、認めざるを得なかった。
「いやいや、翔くんには助けられてばかりですよ。バンドに入って貰って本当に助かっています」
「そうですかー? そうだと良いのですが、これからもよろしくお願いしますね」
祥の大人な対応、完璧なタイミングで完璧なフォローを入れてくれて救われた。しかし、姉さんも型にハマった返しをしているな。後が怖いから、姉さんに対して何も言い返せないのが悔しい。
『それでは失礼しますね。……翔ちゃん? 皆に迷惑かけてはいけませんよ?』
姉さんは捨て台詞を僕に残し、優雅な足取りで帰って行った。そうか学校での姉さんは、あんな感じなのか。そりゃあ皆も騙される訳だ。そう言う意味では女って怖いなと思い知った。
「弟くんの姉貴って超綺麗じゃん! モデルみてーだなっ! 俺、年上好きなんだよ~もしかしたら、俺は弟君の兄貴になるかもなっ」
「ないない。と言うか、拓人って女なら誰でもいいんだろ?」
「うわっ! ひでーっ!」
興奮する拓人に僕は手を振ってあしらった。拓人が兄貴とか想像もつかない。そもそも姉さんを飼いならすことのできる男って存在するのだろうか。姉さんと付き合うってことはモンスターを飼いならすくらいに難しいと思うのだけれど……
「ああー上手く行けば再来年、香先輩と一緒の大学に通えるんだよなあ……大学だったら2年間一緒に過ごせるんだよね。それだけでテンション上がる~」
弘子さんは両手を組んで空を見上げる。いわゆる夢心地な状態だ。そうか、姉さんは慶蘭大学、四年制の大学だから、今高校二年生の弘子さんは、再来年、現役で大学合格すれば姉さんと二年間一緒にいることになるのだな。
弘子さんは慶蘭女子の主席だって聞いているから、普通に行けばエスカレーターで慶蘭大学に入れるだろう。僕は、高校もそうだけど、成績も良いとは言えなから、推薦なんて受けられないだろうし、一般入試で大学受験する可能性が高いから羨ましい限りだ。
「さーて。打ち上げいくぞーっ!」
「おう!」
祥が右手を大きく挙げてメンバーに号令をかけた。




