第五曲 ライブ前日(前編)
「ひろ~い!」
「ヘタなスタジオよりスゴい! 防音もバッチリだ」
「POWで練習する意味あったのかな? 最初からここで練習すれば良いじゃない?」
メンバーから次々と驚きの声が上がる。ここは祥の家……ライブ前日と言うことで、メンバー全員が招待されたのだ。皆の驚いている様子からわかると思うけれど、家の中とは思えないくらい半端なく広いスタジオがある。
スタジオは、家とは別の離れにあってスタジオPOWの一番広いAスタよりも全然広い。むしろ、ここでライブが出来るのでは無いかと思うくらいの広さだ。
「あー毎回だと、色々不都合があってさ。今回は特別な」
「そうなんだよ! 祥の奴、中々使わせてくれなくてさー俺も今回2回目だよ。ケチくさいよな」
「まあ、怒るなって。POWの方が、駅から近いし、達也さんにお世話になっているし、都合良いだろ?」
不服そうな拓人をなだめる祥。別に僕は最低限の設備が整っていれば何処でも良いかな。それにしても、祥は金持ちだったのだなあ……僕、玲子、直美にポンっと楽器を渡してくれたのも納得できる。
「祥って、お金持ちなんだね。知らなかったな……」
まあ、祥とは知り合ったばかりだから、知らなくて当然と言えば当然なのだけれど……僕が感心しながらドラムセットを眺めていると、後ろから弘子さんが顔を覗かせた。
「そのドラムセット、私の見立てによると高級車一台買えるくらいすると思うよ?」
「え?! うそっ!」
弘子さんからの爆弾発言に、僕は思わずドラムセットから離れた。いや、壊したら弁償できないし。パートがドラムじゃなくて良かった……
あ、そうだ。丁度良いから、弘子さんに姉さんのことを聞いてみようかな。姉さんが嘘をついているとは思わないけれど、弘子さんが姉さんのことを、どう考えているか興味がある。
「弘子さん。僕の姉さん……知ってる?」
「ん? 翔ちゃんのお姉さん……翔ちゃんの苗字何だっけ?」
「弥勒寺……だよ」
弘子さんが、俺の苗字を知らないとか少しショックだな。バイトで名札もつけているのに。僕に興味がないのかな。
「おお! そうだったそうだった。いつもあだ名で呼んでいるから忘れちゃってたよ。みろくじ……みろ、くじ……弥勒寺?! 翔ちゃんって、もしかして香先輩の弟?!」
「あー……やっぱり姉さんのこと知ってたのか」
「知っているも何も、私が一年の時に、香先輩は三年生で生徒会長……生徒会で、かなりお世話になったんだよ~プライベートでもたくさん相談にも乗ってもらったし、私にとっての憧れの先輩。学校内ではアイスドールの異名を持っていたんだよ」
弘子さんは夢うつつな表情で宙を見上げた。まったく『アイスドール』って……次々と姉さんの回想シーンが頭に浮かんでは消える。
『翔ちゃん! おっぱい触ってもいいよ?』
アイスドール、ね……
『翔ちゃん! 欲求不満解消してくれるの……?』
アイスドール、か……?
『翔ちゃん! 結婚しよう!』
どこが『アイスドール』なんだ!
やっぱり姉さんは、学校で猫を被っていたのだな。家では弟に胸を押し付けてくる『逆セクハラ姉さん』だってことは、弘子さんの幸せのためにも黙っておいた方が良さそうだ。
「そっか……姉さんも弘子さんがブリドリのメンバーになったって聞いて驚いていたよ。絶対ライブにくるってさ」
「え?! そうなの?! うわーテンション上がる~! 香先輩が見に来てくれるんじゃ半端なライブできないよね。よっしゃー! がんばるぞー!」
うわー……弘子さんのテンションが一気に上がったみたいだ。姉さんが弘子さんに会った時、どんな感じになるのか見てみたい気がする。別の意味で楽しみだな。
「よーし。みんな、チューニング終わったかー? 明日のライブの曲順と同じ流れで行くぞ!」
『はーい』
祥の号令にメンバーが元気よく応えた。曲順通りか……と言うことは、一番最後の曲に出演する僕は、暫く出番が無いな。僕はパイプ椅子に腰かけると、祥がスタスタと近寄ってきた。
「弟~暫く時間あいちゃうけれど、良い子に待ってるんだぞ~特に白旗さんの弾くベース、特に指先は芸術だから注目してくれ。フッ」
「ちょっと! やめてよ!」
祥は、僕の肩を優しく抱いて耳元に息を吹きかけた……何かやってくるかなと思って、心の準備をしてはいたが、まさか、耳に息を吹きかけてくるなんて……背筋がゾッとした。でも、祥からはレモンの甘酸っぱい香りがした。とても良い匂いに心が奪われそうになった……何を考えているんだ、僕は……
そして、祥は笑いながら自分のポジションに戻った。
「じゃーいっくよーん!」
ボーカルの拓人が号令をかけるや否や曲が始まる。
--ダダダダダダダ!
--ドドドドド!
--キュイーン!
凄い迫力に思わず仰け反ってしまった。ライブ前日だからか、いつもよりメンバーに力が入っているようだ。隣に居る玲子と直美は席から立ちあがり拳を突き上げ、ノリノリだ。
そう言えば、弘子さんの『指元が芸術』って祥が言ってたっけ……どれどれ?
--なんだそれっ?!
弘子さんが指弾きなのは知っていたけれど、指を3本……? 4本? とにかく、たくさんの指を使ってベースを弾いている。指の動きが早すぎて見えない。一体どんな仕組みになっているんだ?
僕的にはベースの指弾きは、人差し指と中指の2本指、2フィンガーで弾くのが一般的だと思う。僕も祥から言われて指弾きしているけれど2フィンガーでも、いっぱいいっぱいだ。
「さあ、弟くん、出番だよ」
「…え? もう?」
長い時間待たされると思っていたのだが、彼らの演奏を見ていたら、あっと言う間に時間が過ぎてしまった。彼らの音は、それだけ人を魅了させて時間を忘れさせてしまうと言うことだな。『束の間の夢』とは良く言ったものだ。反面、僕がその輪に入って音を乱すことがないかと心配になってしまう。
僕はチューニングが終わったベースを肩から掛けて弘子さんの隣のポジションに入った。
「真打ち登場だね」
「嫌味ですか」
弘子さんからの激励に僕は苦笑いで応えた。超緊張するなあ……深く深く深呼吸して気持ちを整える。ここで緊張していたら、明日の本番ライブはどうなるんだ。しっかりしろ僕。
「さーて、ラス曲いっくよーん」
拓人からの軽いノリの号令に少し気持ちが軽くなる。
……さあ行くぞっ!
--ドゥワーン!
何とか無難に演奏が終わった。ミスは無い……よな?
自分なりにはやりきったと思う。
「弟~おつかれ~」
「翔ちゃんレベル上がってるじゃない」
「まだまだだけど、まあ、あなたにしては良い方じゃない?」
「弟ちゃーん。歌いやすかったよーさんくすねっ」
「翔くん。お疲れさまでした」
「お疲れ様です。ありがとう!」
メンバーの皆からも及第点をもらったようでホッとした。何とか明日のライブに間に合ったかな。まだ気が早いけれどライブが終わったら、ブリドリのオリジナル曲に挑戦したい。前に祥が一曲では満足できないって言っていたけれど、本当にその通りだった。
現状に満足してはいけない。立ち止まるな。前に進もう。先に進もう。
『もう、惰性で生活していた、あの頃の僕ではない』
それには、もっとベースのテクニック磨かなきゃね。あ、そうだ。さっき弘子さんがたくさんの指で弾いていたの凄かったな。
「弘子さん。いつもと弾き方違ったみたいだけれど、何あれ? そもそも何本指で弾いていたの?」
「3フィンガーと4フィンガーをフレーズで変えて組み合わせた感じかな。でも、祥君が作ってくれた曲の譜面通りに弾いただけだよ。いやー出来るか出来ないかのギリギリの線を攻めてくるから焦ったわ」
「……え? そうなの? 弘子さん自分で弾きやすいから弾いてたわけじゃないの?」
「あはは。私だけだったら、あんなチャレンジしてないよ。厳しい監督のせいで頑張らされちゃったよ」
頬を膨らませてワザと不機嫌そうに振る舞う弘子さん。まあ、内心は楽しんでいるに違いないけどね。
祥が割って入ってきて、弘子さんに対して憎まれ口を叩く。
「厳しい監督の期待に応えてくれるのがエースの白旗さんですから」
「まったくもー! ほどほどにしてよね。やらされる方はたまらないよ~」
「はいはーい気が向いたら気をつけまーす」
「……まったくもう! 全然説得力ない!」
祥と弘子さんも良いコンビになりそうだ。2人のやりとりに、みんな微笑んで見守っている。拓人はツボにハマったようで腹を抱えて笑っている。
とても良い雰囲気に僕も自然と笑顔になる。ブリドリのメンバーになって本当に良かった……本当に、本当に。




