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第一曲 誘う

 

 今日はレンタルCD店でバイトの日だ。シフトは弘子さんと一緒で祥からの頼まれ事を実行する日でもある。


 そう。ターゲットは弘子さん。


 女の人を誘うなんて滅多に……いや、全くないことだ。とても緊張するなあ。ドン引きされたらどうしよう。ボーカルの拓人からは「絶対連れてこいよ!」って念押しされている。本当に勝手なもんだ。


 祥も自分で弘子さんのことを誘えばいいのに。場慣れしている彼なら普通の会話の中で自然に誘えるに違いない。昨日は弘子さんだったら誘えるかなと思ったけれど、実際に誘うとなると尻込みしてしまう。


 レジで会計作業をしている弘子さん。

 何か元気がなく(うつむ)いている。うう……何か話しかけづらい雰囲気だ。よりによってこんなタイミングで誘わなければいけないなんて、僕にはハードルが高すぎる。


 そうだ。誘うって思うから尻込みしてしまうのだ。いつもみたいに挨拶と言うか、雑談すると思えばいいのだ。きっと。きっとそうだ。


 よ、よし。僕は決心を固めた。


「ひ、弘子さん……」


「翔ちゃん! どうしたの? 深刻な顔して」


 弘子さんの沈んでいた顔が一転して笑顔になった。人一倍気を使う人だ。僕に気を使わせないようにしているのかな……


 さて。問題はここからだ。


 祥からのミッションを遂行しなければ!!

 僕はゴクリと(つば)を飲み込んだ。


「この前は相談に乗ってくれてありがとう。弘子さんのアドバイス通りブリドリに入ることにしたんだ」


「あ! そうなんだ? おめでとう! これから忙しくなるね~!」


 弘子さんはポンっと手を叩いて喜んだ。

 僕のことを心配してくれていたんだな……僕の姉さん以上に姉さんっぽいし頼りになる。ウチの姉さんに見習わせたいくらいだ。こんなこと姉さんに聞かれたら物凄い勢いで怒られそうだけれど。


「それで、相談なんだけどさ……」


「ん? どうしたの? 勿体ぶらないで早く教えてよ。うりうり」


 弘子さんは意地悪く肘で僕の肩を突っついた。話やすい場作りをしてくれているのか何か少し気が楽になった


「実はね。祥から頼まれたんだ。明日スタジオでの練習に弘子さんも連れてこいって」


「え? マジで?! 超嬉しい! 行く行く行く! 何があっても行くよ!」


 二つ返事で了承の言葉が返ってきて僕はホッとした。こんなにあっさり引き受けてくれるんだったら、こんなに緊張しなくても良かったな。


「良かった。たぶん、僕にベースを教えてくれってことだと思うんだ」


「そっかそっかあ……翔ちゃんになら喜んでレクチャーするよう。それに翔ちゃんにバンド勧めたの私だし、乗りかかった船だし、責任は取るよ」


 弘子さんは嬉しそうに僕に親指を立てて見せた。これは正直、心強い。現役でバンドのベースを担当している人から教えてもらえるなんて願ってもないチャンスだ。良い機会だから色々と教えてもらおう。


「ありがとう! 助かるよ。ところで弘子さんは何でベースを選んだの?」


「ほら、今のメンバーは皆年上じゃない? 担当の楽器をメンバー皆が順番に選んでいって、残ったのがベースだった訳……とか言うと嫌々ベースやっているって思われちゃうかな。でも。そんなことは無くて、むしろ良かったと思ってる。ベースの独特な重低音。初めて自分の弾いた音がアンプを通して聞こえた時の感動は今でもハッキリと覚えてる」


 弘子さんの目が一層にキラキラ輝いている。バンドのことを話す弘子さんは生き生きとしているなあ……それだけバンドが好きなのだな。


「へえ……そうなんだ。あの低音は確かに魅力かもしれないよね。ところで『アンプ』って何?」


「ああ……簡単に言えば『アンプ』は『スピーカー』だよ。ベース単体じゃまともに音が鳴らないからアンプと線を繋げて音を鳴らすの」


「そっかあ、ベース自体から音を鳴らすわけじゃないんだね。なるほど」


「そうだよ~お姉さんが色々と教えてあげるから覚悟しなさい! うわ~明日楽しみだな。祥君の演奏が間近で見られるなんて想像しただけでもドキドキするよ!」


 弘子さんは冗談交じりに笑った。

 ……そうだ。いよいよ明日だ。僕は弘子さんの言葉を聞いて何か緊張してきた。

 早く明日になって欲しいような、なって欲しくないような……複雑な思いで仕事に戻った。


 果たして今日は眠れるだろうか。


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